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読書中座記:クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』への誘い

”私は旅や探検家が嫌いだ”という書き出しで第一章が始まる民俗学の本を、今日は紹介していきたいと思います。南米はブラジルのアマゾン奥地へ、民俗学の調査行に出かけたレヴィ=ストロースが著した『悲しき熱帯』(川田順造 訳 中央公論社)、この本は単に民俗学、人類学の著作と割り切るには随分と不可解な書物です。というのも、著者自身が書くことに羞恥と嫌悪を感じ、彼の地ブラジルを去ってから十五年も経過してると冒頭に記しているのです。

アマゾンの未開の原住民を訪ねた書物でありながら、時に話はインドや開拓団にも飛びます。その切り口は単なる民俗学には収まらず、あらゆる時代、あらゆる地域の人間が、自然とともに営み続けてきた記録です。大義には彼の地で複雑な文明を築いた彼らの道筋を鳥瞰的に網羅しつつ、広く人類という生き物の細部に学ぼうとした行程に思えます。

”景観の全体は、<中略> 一つの広大な無秩序として現れる。<中略> (しかしそれらは)すべてを繋ぐものとしての峻厳な「意味」があり・・・”

”歴史の様々な時代と、世界の様々な場所が互いに呼び交わし、ようやく解りあえるようになった言葉を語る” (p.86)

”旅よ、お前がわれわれに真っ先に見せてくれるものは、人類の顔に投げつけられたわれわれの汚物なのだ”(p.51)

いずれもレヴィ=ストロース著『悲しき熱帯』(川田順造 訳 中央公論社)より引用

民俗学の書物の前半に、こう書くことのできる学者がどれだけいるでしょうか。さらには、未開人をコダクロームの写真に収め、尊び祭り上げる文明化された我々の貪欲な行為は人肉嗜食(カニバリズム)であるとまで言い切ります。(p.57)
文明化されたはずの現代人がいかに滑稽で卑劣な行為を、未開のインディオたちに行ったか、あるいは未開のはずのインディオがいかに高度な文明を生み出し、彼らの社会を成立させているか、この本から知ることができます。
(ここに、今福龍太さんの『移り住む魂たち』(中央公論社)に登場する「マチュピチュはスペイン人の鞭が建てた」というシャーマンの話も興味深く接続できるきがしています。)


レヴィ=ストロースが著『悲しき熱帯』(川田順造 訳 中央公論社)


翻訳に十二年を要したという訳者川田順造氏は、”いくつかの叙述に関しては疑念をもっている”としながらも作品としての全体と、"ストロースの文章表現に対する愛着があった”と述べています。また、一部の見解に対して川田氏自らが否定する文章を発表もしましたが、ストロースいわく、”『悲しき熱帯』は追憶の入り混じった夢想である”との説明を行った著作でもあります。(p.xii)

近代文明化された我々からすれば、非科学的なまやかしと受け取りやすい、蛇を使って傷をなおす田舎医者の逸話など、原住民から聞き取った耳を疑うような面白い話もちりばめられています。また、ストロースには森林に咲くラヴェンダーや乳香樹の姿態に、”静止したバレエ”をみる詩的な眼差しもあります。こういった多面的な筆致に、読者はどこへ連れて行かれるのか定かでないまま、文字で組み上げたイカダで彷徨います。ジャングルの放つ芳香に幻惑されながら、”追憶の入り混じった夢想”とオウムの鳴き声、猿の喧騒、原住民の歌に皮膚を震わせつつ。

一方で、キリスト教のサレジオ会が原住民を改宗させるために行った有効で一見目につきにくい周到で破壊的な方法の紹介や、ボロロ族が ”人の死は自然の側が負うことになる負債”として、村人が亡くなった際に起こす行動の紹介など実在の興味深い逸話もたくさん収められています。

”村を成しているものは、土地でも小屋でもなく、<中略> ある一つの構造であり、その構造をすべての村が再現するのである”(p.62)

この本を読んでから、休憩室にある別の学者の、アマゾンのジャングルについての分厚い本をめくってみました。その本は辞書と呼んでも差し支えないほどの挿絵や写真に溢れた重厚な作りで、英王室から祝辞を受けた文言がのり、キュー王立植物園からの言葉もあったと記憶しています。その学者は、現地で貴重な植物を発見すると、採取し袋に包んで持ち帰ったりしながら、一方では原住民が、ヨーロッパ人である彼女の長い髪の珍しさに見惚れ「切らせて欲しい」と言ってきたのを、相手にばっさりと嘘をついて断ります。帰国後に洒落た場所での会議があり、ざんばら頭で出席することを懸念した末の決断でした。原住民の宝やその土地の持つ財産の一部を、自分の立ち位置からの一方的な価値観で交換し持ち去る文明化された者の姿。
学者というのはその立場や目的、学術的成果という命題を利用し、一方的に何かを持ち帰り、原住民からすれば勝手な名前をつけ、分類、保存する。そういったある種の搾取的な行動、等価交換ではない行動から逃れられない宿命があるように思います。

ストロースにももちろんそう言った面がなかったわけではありませんが、彼は現地のとある民族について次のように記しています。

”限りない優しさ、深い無頓着、素朴で愛らしい、満たされた生き物の心がある”
”人間の優しさの、最も感動的で最も真実な表現である何か”(p.159)

また、欧州が優れていて、未開の地の民族は劣った生活をしてるという考えではなく、彼らも我々と同じかあるいはそれ以上に高度な文化的仕組みと構造を生み、日々を営むという眼差しがあります。

現代からみて、本書最後の仏教とイスラムの記述の部分には違和感もありますが、それでもやはり全体としてみれば類い稀な愛着を抱かずにはいられない名著であるとことは間違いないようです。上・下巻とも三百ページ以上ですが、速度は弛まず、あっという間に読み終えてしまう書物です。

どこに生きてどんな文明のもとに暮らしていようと、地上のすべての人類や植物や生物は、この宇宙の構造物のひとつです。そして、それぞれが同等に寄与しあっていることを知るなら、人は道端に咲く花や石ころの中に全てをみとめ、もう旅に出ることさえ必要なくなるのかも知れません。


fine

*引用はすべてレヴィ=ストロース著『悲しき熱帯』(川田順造 訳 中央公論社)より

最後にもう一冊



『悲しき熱帯』を読むきっかけになった本を一冊のせておきます↓

『ブラジルから遠く離れて 1935-2000 クロード•レヴィ=ストロースのかたわらで』今福龍太+サウダージ・ブックス 編著 (港の人)

ストロースと共に過ごした著者による、彼の行動とその考察、言葉の紹介。この本を手にすれば、もう『悲しき熱帯』を読まずにはいられない。そんな本です。どちらも是非読んでみて下さい。




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