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考えない日記:12/06 『落ちていること』

12/06 下りの坂道に漬物石が落ちている。駐車場と歩道を分かつ小さな三角州の端にそれはある。角の取れた丸い石は赤子の頭部ほどの大きさに見える。しかし、目の前に民家があるわけでもないこんな場所に漬物石は落ちているものだろうか。いや、そもそもこれほど目方のある石というものが落ちるものだろうか。

トラックの後方を車で走っていると、段差や何かの弾みで積荷が落ちないだろうかとひやひやしながら運転することがある。トラックが積荷を落とすことも稀にはあるだろうが、積荷が漬物石ということはかなり限られるだろう。それに、砂利や小石ならばまだしも重量のある石は落ちにくいのではないか。

時折、全く予期しない場所から驚くものが降ってくることはある。宿の天井からトカゲが落ちてくることもあれば、畑に魚が降ってきたというニュースも読んだ。

隕石。

そうだ宇宙という摩訶不思議な場所から石と名のつくものが落ちてくることがある。燃え尽きず地上へたどり着く稀な石。それは珍しいものなので人々が先を急いで探すだろう。まさか駅から僅か数十歩の生垣にもならない草の上へ人知れず落ちるだろうか。撫でくり回されたような滑らかな球状になって。

カプセルというのはいつの世も人を惹きつけるものだ。子供時代に地中へ埋めた浅はかな宝物としてのカプセルや、異国から日本を訪れ、物珍しさに一泊の夜を明かす一畳ほどの狭小ホテル。それに宇宙船から放り出された燃えない手紙。

坂道の途中で漬物石がメッセージを発している。そこでは人間の方が砂よりも多く行き交う。

いや待てよ。漬物石にも向き不向きがあるのではないだろうか。使ったことのない人間が「あれは漬物石だ」と決めつけるのはその適当な大きさだけによるのではないか。それではあの石は何と呼べば良いのだろうか。赤子の頭ほどの石とだけ書くのでは少々不穏ではないか。それならば一層のこと鈍器に成り得るほどの石と記した方が清々しいだろうか。

自らの知っている言葉と知識だけで真っ当に伝えられるほどのこの世界は寂しくはない。そうと知らずに無知や思い違い、錯覚、夢想の大風呂敷を広げさせるほどには未知を充分に隠し持っている。

坂の途中に、ボーリングの玉よりも小さく、砲丸よりも大きいと思われる丸い石状の塊が今日、一時間前までそこにあった。


ーfineー

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