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『雨の日の読書』パート2

 印象を言葉に置き換える厳しさに抗うのが詩人だとすれば、今日の午後、通りがかりの子供達によって偶然与えられた感動を、この人ならうまく伝えてくれるのではないかと心に浮かんだのがレイモンド・カーヴァーだ。

 雨上がりの空に遅く起きた木曜の午後。窓の外、濡れた草木越しにピアニカの音が届いた。一人の少年がそれを吹いていた。通学路を帰っていく彼が気ままに吹いた無名の一小節。楽譜や鍛錬によらない彼だけのその音が、根源的な生の喜びを伝えてきて感動してしまった。
 生の喜びなんて書くと大袈裟なのだけど、この時に受けた心模様は言葉に置き換えることは非常に困難な、複雑な感情だった。彼は何も賛美するつもりもなかっただろうし、何かの曲を吹いたわけでもなかったと思う。ただ短い彼独自のワンフレーズをピロピロと吹いたのだった。そのことで勝手にこちらの心が動かされた。練習でも発表でも作曲でもなく、ただ楽器を学校からの帰り道に歩きながら鳴らしていたいという純粋な音。

古書店でレイモンド・カーヴァーの詩集を見つけた


 夕方、出先から帰る途中に地元の古書店へ寄り道した。ジャンル毎に区分けされた馴染みのある小さな棚をくるりと見渡した後、詩集のところへ目線を落とした。すると、幾つも並んだ書籍の列に一冊だけ逆さまにされ、書名を見ることのできない本が目に入った。直感が「抜いて表紙を見ろ」と叫んでいた。子供の頃「このマンホールの蓋を踏まなきゃダメだ」という閃きに従って一人踏み歩いた記憶のある私は、すぐにその本を引き抜いた。薄茶色に変色したその本はレイモンド・カーヴァーの洋書詩集『IN A MARINE LIGHT』だった。


『IN A MARINE LIGHT』


 カーヴァーは好きな作家の一人だったので思わず小さな声が「yes!」と出た。右手はデストラーデにならった引きのガッツポーズ。左手で書籍を裏返し値段をみた。
 年末で渋滞気味の道のりをラジオに合わせて歌いながら家へ帰った。夕食を済ませて本を開くと、最初の詩が『Happines』という詩で、それは新聞を配りながら楽しそうに歩く二人の少年を窓辺から眺めた一編だった。その詩の終盤にはこう書かれていた。



”such beauty that for a minute
death and ambition, even love,
dose't enter into this."
 
『IN A MARINE LIGHT』RAYMOND CARVER 著 PICADOR

 洋書なので細部まではっきりとは思い出せなかったけれど、この詩には聞き覚えがあった。以前同じ古書店で購入したカーヴァーの日本語詩集で読んだものだったからだ。今朝の少年が吹いたピアニカ、古書店で手にしたカーヴァー、そして最初のHappinesという一句。この簡単に風化して忘れてしまう心地よい一日の流れを、少しでも残したくてパソコンを開き文字を打った。また少年とカーヴァーに再会した時に思い返せるように。

fine   上町休憩室船越出張所 N

追伸
 以前同じ古書店で出会ったカーヴァー詩集についてのお話は以下の記事『雨の日の読書』パート1と、もう一つの記事で読めます。カーヴァーからパリの墓地ペール・ラシェーズ、クートラスへと話が繋がりました↓


詩集と出会った日のこと↓



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