文様よもやま話①さくら
花、満開です。
4月5日、京都地方気象台はソメイヨシノが満開になったと発表しました。
(↑の写真は枝垂れ桜です。)
このタイミングで
工房の中にある型紙などを振り返りつつ、「さくら」にまつわる蘊蓄などを
アレコレ書いていきます。
画像の文様は、線画で描かれた(糸目の)桜です。
鋸歯のない若葉も顔を覗かせているので
品種としてはヤマザクラになるでしょうか・・?
すみません、わかりません・・。
日本の桜の7~8割はソメイヨシノらしいのですが
桜の品種自体は300以上にも及ぶそうで、見分けることは非常に困難です・・。
「桜は、大好きだけれど
本当はよくわかってないし、深く突っ込まれても困る・・。」
私と同じような想いの人も、案外多いのではないでしょうか。
・・という訳で少し勉強しました。
稲の豊凶を占い、祈る神の座(くら)
まず「さくら」という言葉ですが、
次の2つが語源として有力視されているそうです。
①「さ」+「くら」
②「さく」+「ら」
①「さ(稲の精霊)」+「くら(神の座)」
⇨冬を終え、稲の神様が降りてくる場所の意。
(「酒」も「さつき」も「早乙女」も「早苗」も
この「さ(稲の精霊)+」のパターン、という説です・・。
(肴は、酒+な(副食、おかずの意)の応用型。))
②「咲く」+「(接尾辞)ら」
⇨咲く(もの)ら。とてもシンプルで、いかにも花の代名詞、という印象。
どちらにしても、民俗学では
(古代の)桜は稲の豊凶を占う呪い、祈りの対象として位置付けられています。
今では校庭に咲いているような身近な花ですが
本来、畏怖すべき山中、人界の外にある存在だったようです。
山中で冬の終わりを知らせるように咲く山桜(ヤマザクラの品種に限らない)は
きっと人々を勇気付けてくれたんでしょうね。
梅がまだ中国から入ってきていない時代のことです。
(ところで・・
「昔は、花といえば「桜」ではなく「梅」だった」などとも言われますが
少し言葉足らずなようで誤解を招いているように思われます。
この言い回しをする際の「昔」は『万葉集』の編纂期を指しており、
遣唐使の派遣時期とも重なるこの時代に於いて、
「花といえば梅だった」という話のようです。)
※梅は、遣唐使によって日本に持ち込まれますが、
(まず漢方薬「烏梅(うばい)」として。)
梅にまつわる中国の故事などもこの時期に多く伝来していたのでしょうか?
当時の漢詩の流行が梅推しのムーブメントに拍車を掛けますが
遣唐使の廃止、国風文化の発展という流れの中で状況は変わっていったのでは
無いかと推察されています。
詠われ、愛でられる対象へ。お花見の始まり。
さて。
人界の外にある存在であった桜が
本格的に世俗的空間に取り入れられてくるのは
平安の世に入ってからのようです。
『古今集』には、平安京の街路樹の桜を詠んだ歌がありますし
『枕草子』には、室内の瓶に飾られた桜を批評?する箇所があります。
また、装束の世界では、「桜襲」というかさね目(=コーディネート)も
登場してきます。
(その組み合わせ方は、意見が分かれるところだそうです。
近畿地方の野生種の桜だから、おそらくヤマザクラ・・。
ということは「赤」い葉っぱに「白」い花弁。
基本はその線なのでしょうか・・?)
やんごとなき貴族生活、ハイエンドなシティライフの中では
あくまで鑑賞物として審美的な目が向けられていたようです。
花見の文化もこの頃から始まると言われることが多いです。
まだ、今のようなスタイルではないですが。
花見の起源は、
この時代に嵯峨天皇が神泉苑で行った「花宴の節(せち)」
とされます。(この頃の花見は桜に限定されていませんが、
はじめて桜が取り上げられたのが「花宴の節」だそうで、
これによって起源とされる事が多いです。)
ちなみに、飲めや歌えやの宴会スタイルの祖は秀吉。醍醐の花見。
庶民の花見はもう少し後の時代からではないか、と思われますが、
暴れん坊らしい・・と評判の将軍・吉宗は、町衆の福利厚生を目的として
桜の植樹事業、花見の推奨を行なっています。
お花見は、長い歴史を経て
今のような国民的行事にまで上り詰めたようです。
クローン桜の始まりは鎌倉時代?
また、テクノロジー面に目を向けると
原生種に手を加え、栽培品種を開発する技術も
歴史の中で徐々に醸成していったのかもしれません。
交雑品の中から園芸価値の高いものの選定&栽培が
行われていた記録が残っており、なんと鎌倉時代には
もう「クローン」桜が登場しています。
接木するシーンが藤原定家の日記にあるそうで・・。
(接木自体は、古代から存在していた技術なのではないかと
言われているそうです。)
クローンというと、ソメイヨシノばかりが話題に上がりますが
ソメイヨシノ誕生(もしくは発見)の少なくとも650年程前には既に
クローン桜の歴史は始まっていた事になります・・。
バリエーションの豊富さが寵愛の証
ここまでを振り返ってみると
生活圏内に引き寄せ、愛で、選抜&育成するなど
桜に積極的に関わり、情熱を注ぐ日本人の姿が浮かび上がりますが
それでも、どうして
ここまで特別扱いするようになったのか・・わからないことは多いです。
その経緯には色々な意見、妄想があるのでしょうが、
私は回避します・・・。
(文様の話をしなければいけないことを、しばらくの間忘れていました・・)
「さくら」紋、そのバリエーションは豊富です。
「花吹雪」(舞い散る桜の花弁。花弁の密度、大きさで
ウチでも何パターンも使い分けているド定番。)
「花筏」(流水紋に浮かぶ花(桜以外のパターンもある)。
筏は、描かれる場合があったり、なかったり様々。)、
「桜川」(水が流れる様子自体を夥しい数の桜の葉で描こうとすると
こちらの呼び方になる印象)。
咲き誇る桜だけでなく、
今まさに舞って散りゆく桜、散った後の花弁、
どの瞬間も慈しむような視線で
描写され文様化されています。
そのほかにも
「枝垂れ桜」、「八重桜」といった品種、
「桜山」といった名所(吉野をさす)、
「桜楓」といった組み合わせ(フルシーズン化する庶民の知恵)、
「桜小紋」といった技法、
それぞれ区別され、個別のメッセージ性を帯びています。
が、大まかな「さくら」紋全般の意味合いとしては
繁栄、前途を祝す=門出の祝いなどがよく紹介されています。
門出の祝いは、比較的新しいイメージでしょうか?
卒業、進級など、ステップアップの気分と合わさった桜の原風景は、
戦後、劇的に増えたソメイヨシノによるものです。
けれど、
そういった場面で、私たちが抱くフワフワとした高揚感は
古代の人が山中の桜に抱いた感情とあまり変わりないようにも思えます。
草木が芽吹く春、
膨らむばかりの淡い期待/祈りが
もう実現しちゃう気がする楽天的全能感。
満開の桜の魔力。
今年もありがとうございます、桜さん。
瑞々しくきらびやか。「これからの金彩」を模索しています。 ▼instagram https://www.instagram.com/takenaka_kinsai/