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私について①/きっかけ

SNSというものが大の苦手。
しかしながら、せっかく移住、新規就農というコンテンツとして価値のありそうなことをやっているのだから頑張ろう。という思いでnoteを始める。

私について
32歳/男/茨城出身/ミュージシャン

18で上京。
音楽活動をしたりリハーサルスタジオの雇われ店長をしたりを経てフリーランスのレコーディングエンジニアになったりした20代

2020年くらい、農業を始めようと思いつく。
キッカケはいくつかあって、当時の仕事が上手くいっていなかったこと(特にコロナ以降)、西東京方面の大きなホームセンターで当時まだ珍しかったフィンガーライムの苗を見つけるたこと。
基本的にこれだけ。

フィンガーライムの実は海外でとても高値で取引されている、と知ってこれ育てて売れば簡単に儲かるじゃん。という至極シンプルな理論。
それまでの農業経験といえば家で鉢植えのレモンや柚子、あとはトマトやナスなんかを育てた程度。

高かった苗木を2鉢くらい買って1年くらい育てながら計画を立てる。調べるうちに新規就農のハードルが想像していたよりも高いことを知った。
(正直、人手不足の業界だし始めるの自体は簡単だと思ってた。)

2021年1月、完璧に思えた営農プランを立てて当時住んでいた埼玉県某市の農業委員会に新規就農の相談に行く。
フィンガーライムという珍しさから注目を集め、農業委員の方々が家まで見にくるまでになり、何度か面談をするもやはり経験の少なさを指摘されNGに。
役場の担当者からは(もう今期の願書提出が過ぎていたため)来年度から農業大学へ行くことを勧められた。営農プランはサッと見で終わった。

ここで一度諦めかける。はっきり言って農業大学へ行くのは非現実的だった。

そんな中、フィンガーライムを見に来た農業委員の農家さんに後継者を探している果樹農家がある。継ぐかどうかは別にして、研修がてらそこで働いてみたらどうか。と持ちかけられる。
これが確か4月ぐらい。

その農家さんとの面談やら諸々を経て、向こうとしても継ぐに値する人間かの見極めも必要だし、ということでまずは研修兼アルバイトとして週3くらいから働き始める。パート代としてお給料もいただけた。
梨、ブドウをメインにほとんどを併設した直売所で販売し、地域では唯一観光農園として収穫体験も行っている農家さんだった。

園主さんは非常に高齢で、主な作業は娘さん2人が中心となり時期によってはパートさんも雇いながら行っていた。
ここで農業の大変さ(作業、収入含め)、後継ぎ問題、雇用の問題などいろんなことを実感した。

この話を持ちかけられた時はあまり興味のなかった梨ブドウということもあり、遠回りだ。早く独立させて欲しい。という気持ちもあったが今では働いてよかったと本当に思っている。
やはりネットや本で得られる知識と現場での経験は全く違う。
その他にも経営状況などもオープンに見せてくれたので結果的に非常良いシュミレーションにもなった。

販売シーズンも終わって12月頃?
研修先の農家さんからも跡を継いでくれないかと正式にオファーをいただく。
1月中くらいには返答します。というプランで持ち帰って熟考。
ちなみにこの時点では農園を継ぐ気持ちの方が強かった。

新規就農には農地法という法律が立ちはだかるので市町村や県の担当者にも今後どういった流れになるのか確認して継ぐかどうかを決める予定だった。
しかし、イレギュラーなケースということはあったものの、市の担当者の言ってることが二転三転したり、面談する日程を数週間〜1ヶ月近く待たされたりで決断までは半年を要することになってしまった。
(この辺りの新規就農に立ちはだかる大小さまざまな壁については別の記事でいつか書こうと思う。)

つづく

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