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自由な場所ほど独特な文化があり、馴染めるかどうかはそれぞれ

大学の課題をやるかバイトをするか、時々お酒を飲むか。そんな他愛もない日常を過ごしている。同級生が社会に出て世の喧騒にもまれている中、限りある時間をダボダボ垂れ流すように生きているのだからどうしようもないが、将来への不安以外に悩まされることがないのは素晴らしいことではないか。

まぁ4か月後には論文の提出に追われて瀕死状態であることは言うまでもなく、きっと教授からのダメ出しと容赦ない追求の嵐にあって虚ろな目をした僕には世界が灰色に見えているだろう。たとえ論文が提出できたとしても他の強者教授陣を相手にした口頭試問がある。曲者たちを前に安物の理論武装をした僕が出たところで袋叩きにあうに違いない。

またそれを乗り越えたとして、その後は社会に出ることになる。同級生たちの闘う姿を遠巻きに見てきたから、それがどれだけ大変でしんどいことなのかは想像に難くない。きっと血反吐をはきながら這いずり回って終電まで働いて、そのまま車掌に起こされるまで野垂れ死んでいることだろう。やけ酒でもした日にはshibuyametdownよろしく酔っ払って世に醜態をさらしている未来がよく見える。

そんなすぐ先にあるディストピアに入り込む前に何とか素敵な時間を過ごしたいものだとは思うものの、先に述べたように結局家でダラダラ寝転がって怠惰に過ごす毎日である。これではただ贅肉を肥やしていずれフォアグラにされるガチョウみたいだ。あまりよろしくない。そろそろ重い腰を上げて一つでも有益なことをしよう。

と、思い立ってみたはいいが、妙案の一つも浮かばなかったのでひとまず駅前のカフェに行くことした。

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午後三時の外気は思いのほか暑く、カフェに着くまでに汗をびっしゃりかいた。1番小さいアイスコーヒーを注文して席に座ったが、濡れたTシャツが背中にくっつくいて気持ち悪い。布地が触れないよう背筋をピンと伸ばしてみたものの、その姿勢がキツくて全然落ち着かない。

気分転換にスマホを取り出し、ツムツムを始めた。おそらくカフェにいた誰よりも姿勢よくゲームをしていたであろう。そのせいかあまり上手にプレイできず、ベストスコアも出せぬままハートが全部なくなってしまった。クソっと小さく呟いてスマホをしまい、アイスコーヒを一口すすった。

しばらくして、近くの席に部活終わりらしい高校生二人組がやってきた。しょっていたバックにはbasketballと印刷されていたからバスケ部員なのだろう。二人はボールケースを抱えながら席に着くと、練習の愚痴からNBAの事まで話に尽きることなくしゃべり続けていた。側から見ていて彼らの存在はエネルギッシュで若々しかった。23歳の僕に、高校生のフレッシュさは眩しすぎる気がした。

だが、彼らの話を聞いていると、次第にその光景が懐かしく見えてきた。中高とバスケ部に所属していた過去の自分と重なったのかもしれない。そういえば、部活帰りにマックに行って駄弁ってたなぁなんて昔の記憶が蘇ってくる。あの頃、友達と試合の動画を見ながらあーだこーだ言い合い、帰りの電車を過ごしていた。

そんな風に過去を思い返していたら、久々にバスケがしてぇなと三井寿みたいな気持ちがムクムク湧いてきた。

とりあえずYouTubeを開いてバスケの動画を見たが、困ったことに見れば見るほどやりたくなる。どうしましょう、安西先生…。バスケがしたいです。

仕方ないのでアイスコーヒーを飲み干し、すぐにカフェを出て家に戻った。近所の公園にバスケットコートがある。行ったこともないが、もうバスケしたい欲が抑えきれないから何も気にせず家を飛び出した。

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3年ぶりのバスケだった。コートには小学生と思われるミニバス男子が一人いたが、ゴールが二つあったので気にすることなく空いている方を使った。久々の青空バスケは気持ちがよい。公園にあるコートは土だったりするが、ここはタイルが敷いてあって非常にやりやすい。

ハーデンを真似してステップバックシュートを打ってみる。もちろん外して遠くまでボールが転がったが、それを拾いに行くのすら楽しい。3Pシュートは相変わらず入らなくて、リングにかすりもしなかったときはちょっと落ち込んだ。俺って駄目だな…なんてそれっぽく言って、いや中学生かよとか思った。

こんな場所を自由に使っていいんだろうかと思ってしまうほど気分がよかった。大抵こういう場所は地元の強い子供たちに占拠されているものである。なかなか新規の人が自由に使えるものではない。

でも今は小学生のちびっ子が1人いるだけで、コートは広々としていた。そのことに若干の安堵感を覚えていたのだが、そういえば昔、僕は夕方のバスケットコートが苦手だったことを思い出した。

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夕方のバスケットコートは怖いのである。権力を持つ小・中学生のたまり場になるからだ。 中学生の時、バスケ部に所属していた僕は、練習が休みの日に総合体育館へよく行っていた。コート一面が解放されていて自由にバスケができる環境はあまりなかったので、そこは第二の練習場所だった。

部活みたいに集合時間の30分前に来て練習の準備をする必要もないし、怖い先輩を気にせずボールを触れる。好きなようにプレーができるのは最高だった。

でもこうした良い場所にはたいてい何か大きな権力構造があるもので、自由度が高いほどそこに働く力が強かったりする。例えば市営のテニスコートでは老年者のお仲間たちがベンチを占拠しているし、大抵そこにはボスがいて、その人を中心に独特の文化が根付いている。

似たような感じで、総合体育館はミニバスとそのOBらしき少年たちがコートを牛耳っていた。バスケのポエムがプリントされたTシャツを着て、NBA選手張りにサポーターを左腕に付けた子たちがその空間を支配しているのである。

中学校からバスケを始めた僕は下手だったから、経験者が集団でいるだけで急に肩身が狭くなった。話しかけてくることもなく、でもボールをつきながらちらちらとこちらを見てくる。こいつはいったい誰なんだ?うまいのか?そんな値踏みをされるような視線がチクチクと刺さって嫌だった。  

そうした人たちと友達になれるコミュニケーション能力があればよかったのだが、僕のちっぽけなメンタルでは新たに人脈を開拓していく事は最も苦手なことだった。稀に話しかけてくれる子もいたが、彼らは大したパイプにはならず、中心にいる人たちとは常に距離があった。仕方なく体育館の隅でボールをつくという寂しい時間に耐えきれなくなった時が帰る時間になった。


そんな悲しい思い出を懐かしんでいたら、急に騒がしい声が聞こえてきた。あたりを見ると、それまで一人でバスケをしていたちびっ子の周りに仲間が集まっていた。いつの間にかバスケ集団が乗り込んできていたのである。人がいなかったのはたまたま出来た空白みたいなものだった。

なんだよ
やっぱりいるんじゃん、そう言いう子たち。

最初にいたちびっこよりも大きい子も何人かやってきて、しゃべりながら例のごとくチラチラこっちを観察してきた。あんまり見ないでくれぇと思いながらしばらくバスケをしていたが、時間が経つにつれて彼らの規模が大きくなり、自由にシュートが打てなくなるほどコートに人があふれた。

結局、僕はコートの隅で一人ボールをつくはめになった。この年齢で彼らと仲良くなるはずもなく、赤く染まった空を見ていたら中学の時と変わっていない自分に悲しくなってきたので早々にコートを立ち去って帰路についた。

しばらくバスケはしないだろう。


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