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「わたしなりの競技引退」


「競技引退」

このnoteで自分の中でしっかり区切りにするために書かさせて頂きました。

中学2年の時に塾の先生に乗せてもらって、欲しくなったことが私の自転車の始まり。
地元のママチャリ屋の店長加藤さんから、お年玉3万円全部払って譲ってもらったキャノンデールから始まったロードバイクという趣味。
あの頃はスマホでstravaの記録取ってたり、頂き物がほとんどで、純粋に自転車を楽しんでいた。
初めてのレースは今でも鮮明に覚えている平田クリテリウムC3で、森崎さんに大丈夫!いけるよ!って言われて出たら速攻足切り笑
で、私を千切って行った集団で勝ったのは森崎さんだった!笑
大人数ですごい速度で走るロードレースはすごく驚いたし、速攻ハマった。
運動神経も悪く、身体も細い私は平田C5-5 AACA1-4完走するまでに時間がかかったし、30km巡航でいっぱいいっぱいだった。
地元ショップのSenga cycleさんのショップ練習会に購入者でもチーム員でないにもかかわらず、参加させていただき、毎回千切られていた。TCCの人たちは年が一回り上の人が多くて、私のことを時には叱ってくれたり、息子くらいに可愛がってくれた。
高校でも続けていたが、高3の時にインターハイを走ってみたいと思い、ロードバイクを持っている担任に相談して、半ば無理やり顧問になってもらった。中途半端に頑張っていた私は結局東海大会どころか県総体で8位(6位までが東海)で、高体連を終えた。
TCCで出た高1のシマノスズカはDNF連発。高2で出た際は全て集団完走で泣きそうになって、高3では前の方で走れたりと、シマノスズカは私にとって思い出深い。だから、今年のシマノスズカでチームに恩返しをしたかった。
私が入学した愛知大学は元々学連登録されてなかったため、部活に所属して、どこかの実業団走でろうと考えていた。
その年に学連登録をしたらしく、せっかくの機会だと思い1年目から学連に出場することになった。ちなみに私が入学した時4年生に山田さんがいたようだったが、学内で一度も見ることができずに卒業されてしまった。悲しい。
初めて出た草津では5位入賞。次のレースこそは必ず昇格と思って、自転車部では初、といううよりも学内で初めてくらいの、ほぼ外部の方を含めた長期合宿を企画。私自身初めてで不備や迷惑をかけることがたくさんあったが、豊橋・浜松を中心に仲間たちと楽しく走ることができた。闇鍋は忘れれない。
その後のけいはんなでは顔面から転けてしまって、DNF。年内のレースは膝痛もあって、思うように走ることができなかった。結局すぐ上がると言われて、白馬数cm、神宮3位で、4年まで引きずってしまった。
私自身他の人よりも頑張ってないわけじゃないと思っていたけど、後から始めた人たちに比べてなかなか成長できなかった。その事実に傷つかないために、目を背けるために、気持ちがフロー(受動的)に入っていた。結局このフローが原因だったし、それを取り払うために、強みにするために2ヶ月間は死に物狂いだった。
2ヶ月間をめちゃくちゃ苦しんで、本気で挑んでダメだったんだから悔いはない。



私みたいな自転車競技の端くれ如きが
「引退」という言葉で整理をすることは恐れ多いが、大学生初期の頃から「競技としての自転車」を引退することを決めていた。

理由は3つある。
①仕事をメインに頑張っていきたいから。
②ズルズル続けて、社会人と自転車競技を両立することに精一杯になりたくないから。
③最大目標に対して尖るため。


在学中は引退をせず、白馬後は「神宮でグループ2を走る」ことを目標にした。
スズカ・平田クリテでの目を当てられないほどの不調から、ミッドシーズンブレイク(2週間休養)でリセットをして、前向きに考えていた。
しかし、昨今の悲しいインカレでの事故を受けて、神宮が開催不明と、実質今シーズンのレースが突然無くなった。
選手ファーストであれば、学生達にZOOMでの会議をし、今後の展望を話す機会を設けるべきだとは思うが、、、。

目標達成できなかったものの、2ヶ月間「馬鹿にされてもいい。汚くてもいい。失敗してもいい。出来ること全てやる。」という想いで楽しさとかけ離れて、本気で打ち込んだからこそ、悔いがないのは事実。
ざきやまさんから昔言われた「結果が出なくても、続けれるのすごいね。」という言葉の意味がやっとわかった。
あの時自分の思うフローがフロー(思考放棄)と気づかずに、自分の弱さと向き合っていなかったら、自転車を中途半端に跨り続けていたかもしれない。

「本気でやった事は結果以上の価値がある」ってどういう事なのだろうと考えていたけど、最近やっとわかった。

必死に燃えて燃えて燃え抜いた2ヶ月間は私にとってかけがえの無い時間で、それは私にしかない、誰にも干渉されないものだと思っている。

離れて感じたことだけれども、レースでのピリピリして最終局面に向けて、集中を高めて、命を削ってゴールラインに向けって行く
あの感じは忘れれない。
そこに行くためには時間も体力も必要だから、覚悟ができたらまたやるかもしれない。
宮田さんが言ってくれたように、乗りたい時になったら乗ればいいかな。
脅迫勘弁かと思ってたけど、意外と自転車って楽しかったりする。


挙げたらキリがないが、
チームに入れてくださったキミさん、チームの皆さん
愛大のみんな
私のためにわざわざ宿を取ったりと、いつもサポートしに来てくれた母
美山の帰りにコーチング頼んだら承諾してくれて、本気で向き合ってくれた初川
何かと小馬鹿にしながらも最後は誰よりも本気で応援してくれたらいくん
本気で私のために心配してくれたり、毎回差し入れをくれたそーたさん
身近で熱く応援してくれた水井
本気で叱責してくれた塩澤さん
Noteいつも見てるよと応援してくださった
しーまさんとざきやまさん
現地で応援してくれる学連のみんな
終わった後に長文で連絡くれた方々
応援メッセージをわざわざ私のために書いてくださる方々

こんなにたくさんの方々の支えがあったこと。
今も涙が出そうになるくらい本当に嬉しかったし、感謝しかない。
この感謝を一生忘れません。

今後の活躍を楽しみにしています!!!


2014年から始めた自転車競技
自分にとってかけがえのない思い出です。

次のステージに向けて全力で頑張ります!!

以下思い出に耽る写真

おわり

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