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悲しい思い出

次男の交通違反が続いた頃からまたうまくいかない。
仕事のお弁当の有無を聞いてもちゃんと返事しない、
起きる時間を聞いてもはっきり聞こえない、
夕食の有無を聞いても黙っている、
おはよう、おかえり、おやすみを言ってもすべて無視。

肉体労働でしんどいのかもしれないが目に余る勝手さだった。返事がないなら作らない、起こさない、を宣言し貫けばよかった。

あの頃の私には毅然とした態度が足りなかった。
こうなった責任は親にあるという罪悪感がずっと心に引っかかりいつも判断が鈍った。
次男の分の食事も一応作り「腹減った」と言われれば用意した。

誰かへの謝罪や世間体でしんどい時とはまた違った辛さがあった。
次男に無視されることがこたえた。
私は今まで人からそういう扱いをされたことがなかった。
私がその場にいないかの様な振る舞いをされること、
私が話すことが何の影響にもならずその場に落ちて消えていく様な感じだった。
無視されることがこんなに辛いとは知らなかった。

その辛さを知った後、私自身も次男の気持ちを無視するようなことをし続けてきたのかと思った。
次男が小さな頃から何か訴えてきてもちゃんと聞いてあげられなかったんじゃないかと思った。

そんな日々が当たり前になってしまった。
次男から普通に話しかけてくる日もあれば完全無視されたりと意味もわからなかった。

小言をいう私に怒りに任せて火のついたタバコを投げてきたこともあった。
当たりはしないがそんなことをされる私自身も可哀想だったし、衝動的に私にそんなことをする次男の行動も結局は次男自身を傷つける経験にしかならない。

ある時はまた次男が車を運転しているんじゃないかと疑惑を持った。
家の近くに次男の友だちの車がよく路駐されていた。
友だちも来てないのに車があることが不自然だった。次男に聞いても無視する。
私の胸はドキドキしてぎゅっとなったがもしも仮に運転をしていたら見過ごすことは出来ない。
嫌われても冤罪でも絶対に無視できないことだった。

「友だちに今から電話して聞くよ」と言うとブチギれた。
「電話したら殺すからな」と言われた。

その時、私の中で心が決まった気がした。
もう殺されてもいいと思った。
ダメな親で失敗してばっかりで心も通わなかったけどこの子が私を殺したいなら、それで私が死ぬならそうなんだと思った。

次男は物に当たって私を威嚇した。
でも今回の私は引き下がらなかった。
次男は私の二の腕をグーで叩いてきた。
同じところを何回も叩いたが私も絶対折れなかった。

次男の友だちに電話したが出ず折り返しもなかった。
その子のお母さんに連絡した。
詳細を話し次男は無免許だからもし車を貸してくれていたのなら貸さない様に言って欲しいと伝えた。

…私の二の腕はぶどうみたいな色になった。
あざや痛みよりも、やっぱりされたことの方が心には残ったが、引き下がらなかった私は今までの私とは違った。


#家族 #親 #非行 #怒り #暴力

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