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いつか、幼児園としあわせくらぶをコラボした火曜日を作りたい

 うちがいくつか行っている福祉的な事業のひとつが閉じこもり予防のためのデイサービス。通所型サービスAと呼ばれるものですけど、わたしたちは「しあわせくらぶ」と名乗っています。利用者の最高齢は96歳。毎週、火曜日に長門市所有の「いきがいの館」に集まります。これ、何年続いているのかな。当法人ができて15年。よく調べていませんが、創業まもなく取り組んだので10年以上は続いています。数年にひとりの利用者が卒業し土に還ります。数年にひとりの利用者を地域包括支援センターの声掛けにより迎えます。最近の出席者は4人です。

 「いきがいの館」の前は木屋川が流れ、向こう側の丘の上に3名が通う「俵山幼児園」が見えます。朝の迎車を終えて一服しながら、年の差がありすぎる学校を見比べて微笑んでしまいます。「しあわせくらぶ」の仲間たちは、俵山に嫁いできてから此の方、とっても長い間暮らしてきましたが、頻繁に顔を合わせる関係を持たない人たちです。そこが幼児園の子どもたちと違うところ。小さい時から遊んできた仲間ではありません。大人になって社会的に繋がった関係です。レクリエーションのゲームや脳トレをやっていると、「園児か」とつっこみたくなるような「じら」が現れます。山口方言の「じら」以上に最適な言葉が見当たらので使わせていただきます。三つ子のような「じら」から幼い頃そうだったんだろうな、とか、日ごろは見せんけど本来はこういう性分だったのだとか。三つ子の魂が百に還る姿を開けっぴろげにしてくれます。

 産まれた直後の赤ん坊は息を吐きだしておぎゃーと泣き、育つほど魂は紅く染まり、膨張して、超新星爆発のような緊張を迎え、その息が吸い込まれ二度と吐き出すことが無い瞬間を死だと教えられました。もしも死後の世界があって、上から目線じゃないのに生き残った仲間を頭から眺めなくてはならなくなった日に、遣り残したことは何もないと断言できる人はいるのでしょうか。生きている間は気がつかないものです。俵山だから出来そうなことのひとつが世代を超えた交流。6歳と96歳がいっしょに遊んだら、どうなるっていつも考えます。ひ孫以下の子を相手に「じら」きるところを見てみたい。子どもたちが生きている間に出来ることを増やしてあげたい、気づいてもらいたいと思うのです。やり切ったよと間際につぶやく生き方ができるといいな。

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