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【短編】キノコを持つ男(2000字)

両手に抱えるほど大きくなったキノコを医者に見せた。

「ほら、こんなに大きくなっちゃったんです」

ヌメヌメとして照り輝くそれは、なめこに似ているが、形はヒラタケのように不規則に広がっている。それでいて頂点の方はマッシュルームのようにぷくりと盛り上がって、それが少し可愛らしかった。
見たところぬめりがかなり強そうだが、触る手に不思議とその感覚はない。大きさほどの重みも感じられなかった。

「あぁ、ずいぶん大きいみたいですね」

「そうなんです。2週間前はポケットに入っていたのに」

僕の主治医は精神科医らしからぬ茶色い長髪をかきあげて、ふうむ、と息を漏らした。精神科医らしいというのがどういうことなのか、僕もよく解ってはいないけれど。

「なるほど。これはどういう時に大きくなるの」

どういう時に…。僕は逡巡して、ううむ、と唸った。

「…そうですね。自分は駄目だなって思った時、とかですかね」

「なるほど。例えば?」

主治医はもう一度髪をかきあげ、上目遣いに訊ねた。そんなに邪魔な髪なら切ってしまえばいいのに。

「ええと、お客様がいらした時にサッとドアを開けられなかった時とか。…あとは、会話の中で気の利いた返しが出来なかった時とか。あ、この間は電車に乗るのにSuicaを忘れてしまって…帰って来た時には結構大きくなっていました。…それから…」

「あぁ、大体解ったから、それくらいでいいよ」

「…それで、これ、何なんですかね?」

いや、キノコなんだけれど。僕はそうと解っていながら尋ねた。主治医には解っているはずだ。
主治医はさすがにもう髪はかきあげなかったが、ドクターチェアに深く座り直してこう言った。

「キノコでしょうね」

「え?」

「キノコ、なんですよね?」

いやいや、それはこちらが訊いているのだ。
僕が訊いているのはそういうことじゃない。

「あなたがキノコと言うのなら、それはキノコですよ」

目の前の主治医は、顔色ひとつ変えずに繰り返した。

「…はぁ」

僕はそう言うより他にない。

「で、それどうします?」

今度は髪をかきあげた。

「どうするって…、どうしたらいいんでしょう?」

それを考えるのがお前の務めだろう、と憤りを覚え始めたとき、主治医はキッパリとこう言った。

「では、食べてしまいましょう」

「え?」

「食べましょう」

「え?これを?これ、食べられるんですか?」

主治医の突然の言葉に僕はパニックになった。
確かにこれはキノコだ。キノコではあるけれども、食べようなどと、思ったことはなかった。
そもそも食べて大丈夫なのか。不安と疑念が頭を駆け巡る。

「食べられますよ。今、そのまま、いきましょう」

主治医の顔色は相変わらずだ。抑揚のない声は感情を見せない。

「…え、今…ですか?このまま?」

「えぇ、大丈夫です」

今度は自信に満ち溢れた様子で力強く言う。
その妙な説得力に後押しされ、僕は思いきってひと口かじった。

「どうですか?」

むしゃむしゃと咀嚼する僕に主治医が訊ねる。
ごくん、とキレイに飲み込んでから僕は口を開いた。

「…あまり、おいしくはないです」

「でも、食べられるでしょう?」

「はい」

不思議だ。キノコは食べられた。
確かにおいしくはないが、なぜか後を引く味で、僕は次々とかじっては飲み込んだ。

「全部食べられましたか?」

「はい、食べました」

何か重大なことをひとつ成し遂げたといった心境で半ば興奮気味に答える。

「まだ、そのキノコが何だったのか、気になっていますか?」

そう問われて気が付いた。
不思議なことに、あれだけ気になっていたキノコのことが全く気にならなくなっていた。それどころか、そんなキノコのことなどすっかり忘れてしまいそうになっている。

「いえ、全く気になっていません」

僕は、元気よく答えた。
何だか、頭のもやがすっかり晴れたように気分が爽快だ。

「はい、では今日はこれでいいですよー」

次に主治医はそう言った。
事務的で軽さを伴った言い方だった。

「え?…これで、いいんですか?」

こくりと頷き、診察は終わりだ、と告げている。
僕は首を捻りながらも診察室を後にした。
まぁ、いいか。
とにもかくにも、気分爽快だ。
そうだ。これで、いいのだ。


――――――


「先生、今の患者さんにどんな処置をしたんですか」

「どうしたの?何かあった?」

クリニックの会計係が慌てて診察室に電話を掛けてきた。
キノコの患者が帰った直後である。

「それが…会計に1万円札を置いてものすごい速さで帰ってしまわれたんです。“僕はもう何も気にしないから”とかおっしゃって…」

「なるほど」


医師は受話器を置くと、髪をかきあげながら言った。

「キノコ、半分残しておけばよかったのかな」


END


いろんなことが気になってしまう人がいる。何を隠そう、このわたしもそんなひとりである。そんな“気にしたくないのに気になってしまうこと”を、このキノコみたいに食べて無くしてしまえたらいいのにな、と思って書きました。食べ過ぎには注意、ですけどね。


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