【短編】消耗する男【2900字】

カラカラカラカラカラカラカラカラ……。
ロールが勢いよく回転する音が聞こえる。
不二夫がトイレにこもると、その締めくくりには、決まってこんな音が続く。
カラカラカラカラカラカラカラカラ……。

春子はこの音を聞くたびに、イライラを募らせていた。

1度のトイレで一体何センチのトイレットペーパーを使うつもりなのだ。
不二夫がトイレから出ると、いつも空のロール芯が転がっている気がする。
もう少し、資源や家計のことを考える頭はないのか。いや、ようするにお前は馬鹿なのか。

春子は、心の中で悪態をつかなければ気が済まなかった。

さらに、春子の抱えるイライラの種はこれだけではない。

歯みがき粉である。
結婚当初は、ひとつの歯みがき粉を兼用していた。
しかし、春子がチューブのお尻の方から丁寧に絞り出すのに対して、不二夫はというと、握力にまかせて握りつぶすように絞り出す。
春子は、それがたまらなく嫌だった。
何しろ、春子がどんなに丁寧にチューブをしごいて大切に使っても、次に使うときには必ず不二夫の手によって握りつぶされているのだから。
春子が丁寧に出す、不二夫が握りつぶす、また春子が…。この繰り返しだった。
そんな状態だったので、結婚後まもなく、歯みがき粉はそれぞれで専有することになった。

だが、春子のイライラの芽はまだ摘み取られてはいない。
不二夫の握りつぶすような出し方だと、最後の方がどうしても使い切れずに残ってしまう。
そのように、まだ少し残っている歯みがき粉がゴミ箱に捨てられているのを発見したとき、春子のイライラはついに花を咲かせてしまった。

もういい。不二夫が使い切れなかった分は、私が絞り出して使おうじゃないか。
そして、不二夫には新しいものを買い与える。
これでいいんでしょ。

春子は半ば自棄になって、そう決めた。
以来、春子が真新しい歯みがき粉をおろすことはなくなり、不二夫が使い切れずに捨てた歯みがき粉が列をなす日々を送ることになった。

と、このように不二夫は、とにかく消耗品を消耗する男だった。
トイレットペーパーや歯みがき粉はほんの一例に過ぎない。
消耗品を消耗する。それは当たり前だ。消耗品なのだから、仕方がない。
春子もそう考えたことがあった。
しかし、そういった考えで許容できるほどの具合ではなかったのだ。この不二夫に関しては。

トイレットペーパーや歯みがき粉は、そんなに高いものではない。
家計へのダメージでいえば、そこまで目くじらを立てることではないのかもしれない。春子はその点も充分解っていた。
しかし、一番に我慢できないのは、恐らく何も考えていないであろう不二夫の態度だった。
環境への配慮は?モノを大切に扱うという精神は?こうするとこうなるだろうという論理的思考力は?一体どうなっているの?と問い質したくて仕方がない。

不二夫の消耗する消耗品のことで頭を悩ませる日々を送る春子は、ある日夢を見た。

春子は花畑の中に佇んでいる。風に揺れる花々がきれいだ。天気もいい。
夢の中で夢見心地な気分を味わっていると、空から何かが大量に降ってきた。そのひとつを手に取ってみると、それはトイレットペーパーの芯ではないか。
さらに何かが、ひとかたまりになって降ってくる。
次に降ってきたのは、握りつぶされた歯みがき粉だった。

ぎゃー!
春子は思わず、手に握ったモノを放り出し、叫ぶ。

そのとき、頭上から声がした。
――これは、お前の夫、不二夫がこれまでの人生で消耗したものじゃ。
足元を見てみるがよい。

不思議な声に言われ、春子は自分の足元を見た。
するとそこに、先ほどまでのきれいな花畑はなくなっていて、替わりにトイレットペーパーの芯やら、握りつぶされた歯みがき粉やら、使い捨てシェーバーやら、敏感肌用シャンプーの詰め替えパウチやら、半分に折られたつまようじやらで埋め尽くされ、ゴミ集積場のような様相を呈していた。

ぎゃー!
春子はたまらず、また叫んだ。
こ、これは、確かに不二夫が消耗したモノではないか。

狼狽する春子に、不思議な声は言った。
――春子、お前はこの不二夫の消耗品の消耗具合にまいっておるな?

は、はい!そうです!

春子が空に向かい、声をあげる。

――よし、わしが何とかしてやろう。
お前の夫、不二夫がもうこれ以上消耗品を消耗し過ぎないように取り計らってやろうぞ。

ほ、本当ですか!それは、助かります!
ありがとうございます。ありがとうございます。

春子はぺこぺこと頭を下げながらお礼を言った。

ありがとうございます。ありがとうございます。


そこで、夢から覚めた。
春子は自分の周囲が、不二夫の消耗した消耗品で埋め尽くされていないのを確認して、何という夢だろう、と思った。
私は、夢に見るほどまでに、不二夫の消耗品の消耗具合に悩まされていたのか…。

朝のコーヒーを淹れながら、少し息抜きが必要かな、と考えていた。
いつもの朝と違うことに気が付いたのはちょうどそのときだった。

あの音がしないのだ。
不二夫がこもっているはずのトイレから、あのカラカラと高速で回転するトイレットペーパーの音が。

どうしたのだろう?
そこでふと今朝の夢を思い出した。

――よし、わしが何とかしてやろう。
お前の夫、不二夫がもうこれ以上消耗品を消耗し過ぎないように取り計らってやろうぞ。

あの不思議な声はそう言った。
まさか、ね…。
春子は、コーヒーを注ぎながら、あれはただの変な夢だ、と思った。
不二夫は、というとすでにトイレから出て、歯をみがいている。

「あれ、朝ごはんは?」

「あぁ、今日はいいや。コーヒーだけもらうよ」

「そう?珍しいね」

そう言って、春子が洗濯の準備のために、洗面所に立つ不二夫の背後を通り過ぎようとした、そのとき。
春子は思わずぎょっとしてしまう。
不二夫の歯みがき粉が握りつぶされていないのだ。それは、春子と同じ、お尻の方から丁寧に絞り出されていた。

な、何があったというのだ…。
春子はまた、あの不思議な声を思い出していた。

――よし、わしが何とかしてやろう。

あれは、夢だ。
これはきっと、たまたまに違いない。
そう、たまたまであったとしても、不二夫が消耗品に対して気を配るようになったのなら、こんなに喜ばしいことはないではないか。

春子はそう思い直し、上機嫌で洗濯機を回した。


「ごめん、今日もいいや」

「え?今日も?」

不二夫は1週間連続で、朝食を摂らなかった。
少し前から夕食もあまり食べない。
すぐ「疲れた」と言って横になってしまう。
それなのにあまり眠れていないのか、顔色がすぐれない。

「大丈夫?具合悪いの?」

心配になって訊くも、不二夫は弱々しく笑うだけだった。
ただ、1週間前から不二夫は、消耗品をあまり消耗しなくなった。それだけは確かだった。


――――――



不二夫が、消耗品を消耗しなくなって、1ヵ月がたつ。
春子は、ウキウキとして真新しい歯みがき粉をおろした。
トイレットペーパーのカラカラ音にイライラすることもない。

不二夫はもう“消耗品を消耗しない”。
“消耗”し切って、もう動かなくなった不二夫を見下ろしながら、春子が言った。

「無くなっちゃった」

歯みがき粉を丁寧に絞りながらつぶやく。

「また、新しいの、おろせばいっか」



END



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