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【短編】#(2,300字)

一度見失ったら二度と出会えない。
そんなSNSの大海原の中でわたしたちは再会した。
それも、お互いに新しいアカウントで。
さらには、違うアカウント名で。

これは奇跡と言ってもいいんじゃないだろうか。
大海に放ったワカシとセイゴの稚魚がそれぞれブリとスズキになって再び出会うような。
いや、例えが悪いな。

では、これではどうか。
同じタンポポから飛び立った綿毛がそれぞれ旅をし、降り立った場所は隣同士だったような。
うーん、例えはもういいか。

とにかく、わたしとあなたは再び出会った。

アカウントも名前も違うのに分かったのだ。
なぜか?
あ、ちなみにアイコンもヘッダーも違う。

#(ハッシュタグ)だ。

ハッシュタグとはとても便利なもので、SNSへの投稿を任意の言葉でカテゴライズしたりリンクさせたりすることが出来る。

わたしはこの記号#を使い、ひとり遊びをしていた。
自分しか使わない言葉を使って、自分だけの空間を作り、そこにガラクタを放り込むという遊びだ。

好んで使っていたハッシュタグは
#地球最後の日、最高の走馬灯

こんな言葉を使っている人間は二人といないだろう。そう思っていた。だからこそのひとり遊びだった。
が、いたのだ。もう一人。

ある日、何となく#地球最後の日、最高の走馬灯をタップしてまとめられた自分の投稿を見ていた。そして、見つけた。

わたしのものではない誰かの投稿が混ざっているのを。

その投稿は写真にたった一言が添えられただけのものだった。

その一言は、
#地球最後の日、最高の走馬灯

さらに遡ると、ちらほらと写真だけの投稿が見られた。いずれも添えられたのは#地球最後の日、最高の走馬灯の一言だけ。

わたしは人差し指の素早い反復運動をもって最初期の投稿へと遡る。
いくつもの投稿がスロットマシンのリールのように勢い良く滑り、次々と現れては見えなくなった。
そして、とうとうその流れは止まった。

#地球最後の日、最高の走馬灯を使ったはじめての投稿だ。

その一番乗りにわたしは驚愕した。
なんと、あなたの投稿が私より1日前で最古のものだったのだ。
ということは、あなたとわたしとは偶然同じハッシュタグを使って投稿をしていたことになる。

一体誰なんだろう。
アカウントを確認してみる。
名前は「」。
カギカッコと読むのだろうか。
プロフィールも「」と書いてあるだけ。
投稿は、#地球最後の日、最高の走馬灯が付けられた写真のものだけだった。
改めてその投稿をひとつひとつ眺める。

接写された桜の一輪と奥にぼんやりと写る桜吹雪。
真っ青な空に立ち上がる入道雲と蝉の抜け殻。
バケツに落ちた紅葉の葉一枚と水面に映る紅。
一面の雪景色と落ちた手袋に輝く雪の結晶。

そんな写真に#地球最後の日、最高の走馬灯と添えられている。
その一言が写真に説得力と深みを与えているように感じた。

かたや自分の投稿はというと、同僚から聞いたくだらない笑い話やスタンプシールでもらった景品の話などだ。死ぬ間際、少しでも笑えたりほっこりできたりしたらいいなぁ、なんてことを考えてつけたハッシュタグだったのだ。なんだか恥ずかしくなってきた。

それから、度々「」さんの投稿をチェックするようになった。
フォロー?そんなことはしない。
いいね?それもできない。

なにせ、同じハッシュタグを使って投稿をしているが、その内容は雲泥の差である。
そもそも同じハッシュタグを使っているということ自体がきまり悪いではないか。二人きりで。

とにかくわたしは、「」さんのことを気にしつつも頑なに接触を避けてきた。
そして、「」さんの方も知っているのかいないのか、接触してくることもなかった。

そうしているうち、仕事が繁忙期に入りSNSから遠ざかってしまった。そして、気付けば1年余り放置していたのだ。
花見の季節が間近になっていて、外を歩けば少し肌寒いが少しずつ近づいてくる春の気配に心が浮き立ってくる。
ふと、あの桜の写真を思い出した。

1年ぶりに#地球最後の日、最高の走馬灯をタップする。
しかし、あの写真は見つけられなかった。
あの写真だけではない。#地球最後の日、最高の走馬灯が付けられた投稿はわたしのものだけになっており、「」さんの写真はひとつ残らず消えていた。
「」を検索にかける。だめだ。見つからない。

春先の嵐のような強風が、わたしの真ん中を通り抜け、穴を開けたような気がした。
ひとりだけになった#地球最後の日、最高の走馬灯の部屋が妙に寂しくて、わたしは迷うことなくアカウントを削除した。

そしてまた1年半が経過する。

季節は巡ってすっかり秋になった。
秋桜が咲き乱れ、トンボが飛び交っている。
乾いた秋の葉を踏まずして公園を歩くことができない。
ひらひらと目の前をかすめる紅葉の葉を見て、あの写真を思い出した。
#地球最後の日、最高の走馬灯の一言と共に投稿された秋の風景。

わたしはベンチに座り、スマホを操作し始めた。
衝動にかられ作ったアカウント。

そこらの落ち葉をせっせとかき集める。
はじめての投稿は、「ただいま」の文字を落ち葉でかたどった写真だ。
そして一言を添えた。
#地球最後の日、最高の走馬灯

翌日、昔の癖で#地球最後の日、最高の走馬灯をタップしていた。
最新の投稿を見て驚く。
きれいな秋の雲が浮かぶ夕焼け空に伸びる影絵の文字。

「おかえり」。

「」さんだと思った。確信した。
しかし、名前が違っていた。

(  )。かっこ?
本当にあの「」さんだろうか?
確かめる術はひとつしかない。

わたしはその投稿に、いいねを押した。
と、同時に通知がきた。



(  )さんがあなたの投稿にいいねしました。


鍵が外れたらしいそのドアをもう一度ノックする。


(  )さんをフォローしました。



END






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