【小説】Bar logosにて 3
男は、BARカウンターに無造作に置かれたマッチを手にした。
コースターと同じ、こなれた一筆書きのロゴが入っている。
男がマッチを擦ると、鼻にツンとする火薬の匂いが僕の中に懐かしさと共に侵入した。
刹那、紅く燃え上がった炎は男の手の中で絶命した。
後にはまた、何だか懐かしさを感じる焦げた匂いだけが未練がましく存在している。
「マッチを擦れば発火するように、お互いの接触に必要条件が揃えば事象が起こるのです。マッチの頭に塗られた硫黄のようなものを私は持っているのでしょう」
男は閉じた手を開いてみせた。
焦げた匂いがまた一段強く鼻をつく。
鼻腔を通ったその臭気が僕の内側の何処かの何かを刺激し、過去のある時点の記憶の検索を開始する。ふいに、得体の知れない強烈な切なさが襲ってくる。その切なさと懐かしさが鼻腔で拡がり、涙腺を刺激する。が、今は此処にとどまっていなくてはならない。僕は大げさに頭を振り、特定の記憶に辿り着く前に回路を遮断した。
「受容体、と言った方が解りやすいかもしれません」
「……受容体……」
「これは、仮定に過ぎないのですが、私にはこの世界に実はありふれて存在する人間のエネルギーの姿を捕らえるための受容体があるのです。“クオリア”や“エーテル”のような、あるとされながら目には見えないものを感じる力です」
目には見えないもの。
『Bar logos』の鉄扉が、ギィと音を立てながら開き、不穏さを纏った黒い霧がゆっくりと侵入してくる。
ゆらゆらと揺らめくソレは、不定形に蠢きながらゆっくりと近付いてくる。
時にソレは、人型をしているようだ。
死んだ人間。
“内側の現実”。
エネルギーというポジティブな響きのものよりも念、怨念のようなイメージが頭に浮かぶ。
確かに、あまり見たくはないものだ。
僕はまた大げさに頭を振り、そのイメージを散らした。
「そう、あまり見たいと思うものではありません。ただ、私がサングラスをかけているのには、“見たくない”以上の事情があるのです」
「“見たくない”以上の事情…」
何だろうか。
考えてみるが、分からない。少しだが、怖い気もする。
知りたくもあり、知りたくない。ただ、僕は知ることになる。
それだけが確実に理解できた。
僕は、素直に男の言葉を待った。
「時として、アレは襲ってくるのです。そして、私は戦ってしまった。戦うべきではなかった、少なくとも直接的には」
苦虫を嚙み潰したような、というのはこういう表情のことを言うのだろう。
サングラスに隠された男の表情にも、苦悶が見て取れた。
辛い過去に想いをはせる者の顔だ。
襲ってくる?
戦う?
僕の持つイメージの黒い霧が幽霊のようなものだとしたら…。
仮に僕がそんなものに襲われたとしたら、どうなる?
戦うのか?どうやって?直接的に、とは。直接的ではない方法もあるのか?
そこで、時間が巻き戻る。
――霊媒師や霊能者。シャーマン、悪魔祓い。
そうだ、ソレを見ているのはそんな者たちと同じ能力のせいなのかもしれないと、先ほど男は言っていた。
そうであれば、経や呪いを唱えたり、札や聖水を使ったりというのが“戦い”になるのだろうか?
それは、間接的な?
「“見えてしまう”ことの弊害は、かつての私にとってはあまりに大きすぎた。戦う術を知らなかった、かつての私です。戦う術も祓う術も知らない私は、ただただ周囲から奇異の目で見られるようになりました」
今度は男の表情が哀しみに翳った。
ただ、耳に届く男の声だけは、苦しみも哀しみも楽曲に与えられた深みとなって決してその魅力を失うことがない。
むしろ、それまで淡々と響いていた演奏に感情が伴って、より一層胸深くに心地よく染み入っていく。
共鳴。共振。心が震えるとはこういうことなのだろう。
そんな心理状態が関係してか、僕はもう何を聞いても驚かないような気になっていた。
「まもなく、私は入院を余儀なくされることになります。診断名は『統合失調症』でした。“普通”の者には見えない何かに抗う人間を、この“現実”では“狂人”として別の壁で囲うことになっているのです」
“内側の現実”。
それは、男にとっては“現実”であっても、見えない・聞こえない者にとっては“非現実”――幻覚・幻聴だ。
我々の世界は狭い。言語を知らなければ世界を拡張することはできないし、思考しなければ別の“現実”を垣間見ることもない。知覚しなければ、それは存在しないのと同じ。
ただひとつの“現実”の中に生きるのは、あまりに“非現実的”だ。
僕の中の“現実”――“普通”の定義が揺らぎはじめるのを感じた。
無数の円環が幾重にも重なり、重なる点と点が線となり面となり立体となって立ち上がる。せり上がってくる層に足元が揺らぐ。
僕はその複雑に重なり合う層の中で、ただ一点に立ち、ただ一点を見つめていただけに過ぎないことを思い知った。
狭い円環に収まろうとした。集約されればされたで、また“外側”との違いを呪った。
ただひとつの“現実”の中で、今までどれだけ不毛な日々を過ごしてきただろうか。
「そう。“普通”とは、この無限に拡がる世界の層のひとつに立ち、ある一点を見つめた先に見えるものに過ぎないのですよ。ですが、ただひとつの“現実”、その一層の存在しか認められていない世界では、私は“普通”ではない、と判断されてしまった。“狂人”です。さらに、人間とは不思議なもので『お前は“普通”ではない』と言われてしまえば、そのように思いはじめるものなのです。自分に見え、聞こえているものが幻であって、狂っているのはこの“現実”ではなく私の方だ、と。
この通り。」
そこで、男は目深にかぶっていたツイードのハットを斜めに浮かせ、右後方を振り返るようにしてカウンターチェアをひねらせた。
男の右側に座る僕の目に、はじめてその左半身が映る。
深いグレーのハットから覗く男の左耳が。
――なかった。
左耳が、ない。
正確には、耳の外側がなかった。
サングラスのつるも左側だけがなく、こめかみのあたりにパッドで固定されている。つるを引っ掛ける耳がないのだ。
ただ、外側を切り取られ露わになった穴が不気味に深く暗い口を開けている。小さくはあるが、深い闇。それだけがそこにあった。
「ゴッホとお揃いです」
男はまた、ハットを目深にかぶり直す。
一瞬の目睹だった。しかし、ゴッホとお揃いと言うには失った部分が多いように思われたし、男は冗談のつもりか知らないが、あまり笑えない。
それだけの衝撃があった。
何に対してかと言えばそれは、外側のない耳という肉体的インパクトではなく、自ら耳を切り取るまでに追い詰められた男の精神状態を推量した時に胸を貫くものだった。
「確かに。ゴッホが切り取ったのは耳たぶの一部だったとの話ですから、お揃いとは言えないかもしれません。事情もかなり違っていますし」
男はさも可笑しそうに笑っているが、僕はまだ笑えない。
目の前の男は、何だってこんなに可笑しそうに笑っているのだろうか?
ふと、最初に抱いた男の印象が蘇る。
“一風変わった厄介な男”。
僕の推察とは裏腹に、現在の男は自分のこの姿を面白い特徴だと認識しているらしい。確かに相当に追い詰められ、想像するも痛ましい過去であったには違いない。しかし、今、それは男には過ぎ去った嵐でしかない。
それでも、男が深い穴だけになった耳のことを、こんなにもあっけらかんと笑うのには、理解が追いつかなかった。
男と、僕の時間的、感覚的、そして感情的な相違。
何だか少しズレた部分が、素朴な魅力にもなっているような気がしてきた。
これは、男の能力や醸し出す雰囲気とはまた別のさらに奥の純粋なる本質部分のように思える。不完全さ。有機的なもの。真っ直ぐではない手描きの直線に抱くような安心感。
「推察の通り、私の精神状態はそれはひどいものでした。その後すぐ拘束されなければ右の耳とこの両目も無事ではなかったでしょう」
男はなお、笑みを浮かべながら語るが、素朴さの休符を挟んだ後も重い響きの話が続く。
「外耳を切り取ったところで何の意味もないのですがね。さらに言えば、外耳道を塞ごうとも、鼓膜を破ろうとも意味はなかったでしょう。“声”は、耳という感覚器を通して、というよりももっと直接的に私の“内側”に入ってくるようですから。これは、私の知覚でもあり、また別の人間にも共通した知覚であることを確認していますから、少しは説得力がありますよ」
「……別の人間?」
「えぇ、人生のエピソードには全て何らかの意味があるのかもしれませんね。私のそうした闇深い時期と入院にも意味があったのです。外耳を切り取ったことには意味はありませんでしたが」
男はまた、ふふっと笑った。
やはり耳に関する自虐がツボなのだろう。
「入院生活も落ち着いてきた頃、ふとしたきっかけから、ある男と話をするようになったのです。私と同じく閉鎖病棟から一般病棟へ移ってきた入院患者でした。同じだったのはそれだけではなく、彼もまた左耳の自傷で入院していたのです。彼は切り取ったのではなく、鼓膜を破ったのですが。それで、鼓膜を破ることにも意味はないと判断できたわけです。さらに同じなのは、耳を自傷した理由です」
それはもう明白だった。
その男も“声”を聞くことができたのだ。
「そう。彼もまた、耳を塞いでも聞こえてくる“声”に精神を参らせていたひとりだったのです。その男と話していて、“声”は直接的にこちらの“内側”に入ってくるのだという共通認識を得ました。さらに、彼に紹介してもらったまた別の入院患者に“内側”を感じ取る能力を持っている者が数名おりました。“声”だったり、“姿”だったり、“感触”だったりと感じ取るものは様々でしたが」
僕は、聞きながらわずかながらもやもやとしたものを感じはじめた。
それは次第に大きくなっていく。
ゆらゆらと揺らぎながら、ゆっくりと拡大していく。
それが何か、まだ分からなかった。
この感覚は男にもきっとそのまま知覚されている。そんなことも同時に感じながら、僕は特に焦るでも抗うでもなく、ただ話に耳を傾け続けた。
「ここからは、私の持論なので、片方の耳で聞くくらいの気持ちでいて下さって構わないのですが」
男はとっておきのジョークを繰り出す。
ついには僕も笑ってしまう。
「どうやら、精神科病棟に入院している者の大半が、“内側”を感じ取る能力を持った者なのではないかと、思っているんです」
男の言葉に先ほどまでの笑顔が張り付いたまま止まってしまう。
僕の中のもやもやが大きく揺らぐ。
男はさらに続けた。
「精神を病む者が幻覚・幻聴・幻想を持つのではなく、その逆です。我々にとって“現実”である知覚を幻覚・幻聴・幻想と見なされてしまうことによって精神を病むのではないかと、そう思っているんです」
そうか。それだ。
僕のもやもやの正体はそれだった。
男の話を聞いていて思ったのだ。もしかして、世に言う“狂人”とはこのたったひとつの“現実”において“普通”ではないだけなのではないか、と。
拡張された世界で周囲を見渡すことができたなら、その目に映る景色も変わるだろう。
ソレはある。が、僕らは見ないだけだ。
世界の全てだと信じているたったひとつの“現実”に立ち、一方向しか見ていない僕ら。それが全てではないことに、気付くことさえなく、それを“普通”と呼んでいる。
この男のような存在を“普通”の外に出し、“狂人”の壁で囲うことで、自分たちの“普通”を守っている。
“狂人”とされる彼らの幻覚・幻聴・幻想が幻だと言い切れるだろうか?
彼らの見ているものこそが“現実”だとしたら…?
現にこれまでこの男と話してきて体感した知覚の共有は本物だったではないか。それとも、今僕が感じているものも全てが幻覚・幻聴・幻想なのだろうか。
「そんなわけで、私の暗澹たる入院生活にも意味があったのです。ずっと探してきた、この能力の謎について深く知るきっかけとなりました。同じように考える同士を得て」
病院で出会った彼らも、この男と同じように自らが負わされている状況について悩み、その意味を知りたいと願ったことだろう。
小心者の僕など、少し腹が痛いというだけでもその原因を推測したり、症状をネットで検索したりなどして、どうにかその状況について知ろうとしてしまう。痛み自体が和らがないまでも、知ることで少し安心するのだ。
意味を知ること。
因果関係を追求すること。
それが、存在の存続に役立ってきた。
こと、人間に関しては意味付けをしないで生きてはいられないくらいだ。
それが進化を促し、同時に“苦”を生み出してきた。
生きている意味?
そんなものどうでもいい、と投げやりになる時もある。しかし、その疑問を完全には捨てきれない。
意味を求め、価値を創ろうとする。
価値。
意味や価値。
そんな言葉を思い浮かべるといつも、決まって表情を歪めてしまう。
なぜだろう?
それはきっと、僕には僕自身の存在の意味や価値があるのかと問われた時に、その答えを持ち合わせていないからだろう。
胸を張って、こういった意味や価値を携えているのだ、と。だから存在するに値するのだ、と言えない。
寧ろ、いつだって迷っていると言ってもいいくらいだ。
僕は、この世に生きていていいんですか?と。
誰とはなしに、そう問いかけている。何か自分より大きな存在の、その得体の知れない何者かの許可を求めている。
情けないことに。
しかし、そんな態度で過ごす日々とは裏腹に、意味や価値など糞食らえだと叫びたい衝動に駆られる瞬間もある。
歪めた表情の裏側には、こんな想いも含まれているはずだ。
意味や価値など、振り切って、ただただ感情のままに生きていられたら…。
「そう、ありのままの我々でいられたならどれだけの苦痛が沈静化されることでしょう。わたしも、そう思います。そう考え、実際に我々が行なったのは“創作”でした」
「“創作”…?」
「えぇ、自らの内に共有してしまう何者かの“内側”を、何らかの形で表現するのです。ある者は筆をとり、絵画を。別の者は詩を書きました」
「“創作”、そのことに何の意味が…?」
口にしてすぐ、はっとした。
“意味”。そんな言葉を使ってしまったことに嫌悪する。
僕はやっぱり“意味”に縛られているのだ、と絶望的な気持ちになる。
“意味”からは逃れられないのだろうか…。
「思考錯誤の結果です。入ってきてしまう“内側の現実”をどうにか“外側”に出すことで我々は自らの苦を癒すことができました。結果として、それ以外に方法はなかったのです」
入ってきてしまう“内側の現実”をどうにか“外側”に出すことで自らの苦を癒す?
そんな男の言葉に、自らの“内側”を掻き立てられるものがあった。
さっき嗅いだマッチから立ち上る臭気を思い出す。
懐かしさと切なさ。それが同時に胸を締め付ける感覚。
あれは、何だろう。
さらに男の話を聞いて、ふと思うことがあった。
そういえば、精神疾患を抱える者に創作を行なう人物が多い、ということだ。
耳を切り取ったゴッホもそうであったし、ピカソもではなかったか。
画家だけではない、作家にも精神を病んでいたと言われている偉人は多い。
トルストイ、ヘミングウェイ、SF小説のフィリップ・K・ディックやラヴクラフト、そして太宰治や宮沢賢治も。
彼らは、常人とは見る世界が文字通り違ったからこそ、偉大なる作品を生み遺すことができたのだろう。
「そう、お気付きのように統合失調症や双極性障害などの精神疾患を持つ者に創造性に優れた者が多いというのは、研究されていることでもあります。それだけ、高い確率で精神疾患と創造性が結び付くということです。どの研究においてもまだ仮定の域を出るものはありませんが、とりわけ私は創造性に深く関わるのは“抑鬱”なのではないかと思っているんです」
「…“抑鬱”…」
その言葉に、呼び起こされる記憶があった。
また先ほどの感覚が起こる。懐かしさの中にとてつもない切なさが渦巻く。
思い出すマッチの臭気。鼻腔を満たし、涙腺を刺激する。そして、ある記憶へと僕をまっすぐに誘う。
しかし、僕は思い出すことを拒絶し、ありったけの抵抗をする。
深く閉め込まれた記憶が頭をもたげてくると同時、胸が締め付けられて呼吸がうまくできなくなる。
記憶の頭を押さえ付け、これ以上広がらないように抗う。
実際、これまで蓋をしてきた過去だった。
だからこそ、今夜これだけその記憶を刺激する断片があっても、思い出すことを無意識に拒んでいたのだ。
男との対話の中で初めて覗き見られたくない記憶。
それでも、完全に忘れ去ることなど、できるわけがない。
今夜、この記憶に立ち還ることは運命なのかもしれない。
そう、思った。
僕はもう、抗う力を失い、記憶の中に佇んでいる。
夏海。
その名を心の中で叫ぶだけで、僕の身体の細胞の一つひとつは、十七歳のあの頃に還っていく。抗うことなど、できなかった。
〈つづく〉
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?