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村上春樹『ネジマキ鳥クロニクル 第三部』 感想・考察

 第三部を読み終わってから、もう一週間以上経つ。忘れないうちに感想を書こうと思う。

 第三部も読んでいると「可能性」という言葉がたまに使われていて、その度に多世界解釈ファンなのだな、と思っていた。何のことだ、と私の妄想を知りたい方は、第一部と第二部の記事もあるので、よろしくお願いします。

※一応ネタバレにはご注意を、と断りを入れて

 完結編の第三部は群像劇のように、色々な視点から少しずつ話が進んで繋がっていくようになっていて、謎解きミステリー風でもある。最後無事に謎が解けましたという風になるが、よく考えると何も分かっていない、「謎」が解けて「不思議」になったような、真剣に謎を解こうと考えていたら多分、狐につままれたような読後感だったろうと思う。おそらくそういう小説ではない。

 色々なことが繋がっていき、それは有機的な繋がりに見えて、時空を越えた飛躍がある。バタフライエフェクトなんてものではない。

 例えば間宮中尉とボリスの関係は、主人公と綿谷ノボルの関係を思わせる。ノモンハンでのナツメグの父親は、顔に主人公と同じように痣があって、野球のバットが同じように象徴的に現れる。三部の序盤には子供のボク(これは主人公なのか誰なのかよく分からない)が、夜中に誰かが庭に穴を掘るのを見ている。これもノモンハンでナツメグの父親が見た光景との繋がりを感じる。ナツメグの父親は、穴に死体が埋められるのを見たわけだが、ボクがその穴を掘り起こすと心臓があった。そこも何となく繋がりを感じるし、単体の臓器はナツメグの夫の殺され方に通じるものがある。そしてボクがベットに帰ってくるともう一人のボクがいて、これは夢のようであり(私はパラレルワールドだと思っているが)、主人公が井戸からすり抜けて別世界に行くような感覚に近いと思う。考え出せばこのような繋がりは連想ゲームのようにまだまだ見つかると思う。

 いろんなことが物理を超越して繋がっており、読者は頭を使ってそれを何とか分かろうとするが、この複雑な絡まりを完全に論理立てて構造化することはとてもできそうにない(少なくとも私には)。そして読者は思い思いのメタファーとして物語を受け取るのではないだろうか、想像力が試されているように思う。例えば戦争の惨さであったり、社会のストレスであったり、世界の不連続性であったり。

 ところで、村上春樹に特有の比喩表現も、この物語の構造的な繋がりと、同じくらいの飛躍をもって、我々の想像力を掻き立てるのではないだろうか。私は特に身近な食べ物を使った比喩などが面白いなと思ったので、最後に見つけた分を紹介して、終わろうと思う。

新聞紙を煮詰めたような味のコーヒー
焼き魚がまるで死体みたいに見える病院の食堂
体は、長いあいだ冷蔵庫の奥に忘れられていた胡瓜みたいに冷えてちぢこまり鈍くなっていた
まるでセロリの筋をいっぱい集めてそのままどんぶりに入れた料理を見るような目つき


思ったより見つけられなかった……

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