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『しろくま先生の心の伝言板』№3プロローグchapter2「広がる世界」前編

あなたの「いいね」が、ぼくを元気にしてくれる。あなたの コメントが、新たな 喜びを与えてくれる。SNS は「広がる世界」。

SNS なんて無縁だと思っていたのに、Facebookに 投稿を始めると 多くの人と 繋がっていると実感しました。SNS の「広がる世界」に ぼくは 勇気づけられました。

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プロローグchapter2 「広がる世界」《前編》

「見出し画像(タイトルの上)」を見てください。

ある日の Facebookの ぼくの投稿です。次のようなことを書いています。

なんていうことでしょう。ぼくの Facebook の 投稿に「いいね」が、いっぱい つきました。1000を 超える勢いです。

ぼくの とっておきの 花の写真を 投稿したら、多くの皆さんに「いいね」をいただきました。

「SNS は 発信するだけの 一方通行ではないんだ」、「双方向のツールなんだ」 。 当たり前のことだけど 実感しました。

少し大げさに言うと「SNS が 全世界の人々に 繋がっているんだ」という 誰でも知っていることを 現実として受け止めました。

どこの どなたかは わかりませんが、ぼくの投稿した写真を 褒めてくれている人が 1000人もいるのです。

ぼくが 発信し続けた「小さな世界」が、「大きな世界」に繋がったのです。まさしく「広がる世界」です。


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Facebook の「いいね」の数が 多いことを自慢したいのではありません。

1人の 温かい眼差しが 心にエネルギー与えてくれます。小さな「いいね」も たくさん もらうと 自信に育っていきます。

どちらも ぼくにとっては 「一筋の光」です。ぼくの自己有用感が目を覚まします。

こんなに たくさんの人が 見てくれている。応援してくれている。

SNSに 勇気づけられました。

なかなか 投稿できなかった このブログ「しろくま先生の 心の伝言板 ーうつ からの出発ー」の投稿ボタンを「広がる世界」が 押させてくれたのです。


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今では「広がる世界」を実感している ぼくですが、最初から順調だったわけではありません。

うつ から抜け出すために、内に向きだった自分を 外に向けるために、ブログを始めようと考えました。

それが、「しろくま式 うつ 脱出法」。

しかし、いざブログを書こうと思うと、構えてしまって いっこうに進みません。文章を書くことが 好きだったはずの ぼくは そこにはいませんでした。

以前のように、思いや 考えを すらすら書くことができませんでした。それどころか、「書こうという意欲」は、「書かなければならないという強迫」に変わってしまい、頭を抱え込む日々が続きました。

きっと、うつ が ぼくのエネルギーを吸い取っていたに違いありません。

最終的に5か月もの間、暗い部屋に閉じこもり、じっとしていた ぼくは、文章を書くことも、パソコンを開くこともありませんでした。

ただ一度だけ‥‥

ただ 一度だけ どうしても パソコンを開いて文章を書かねばならないことがありました。

それは、暗い部屋に閉じこもって3ケ月が過ぎようとしていた、昨年の1月。卒業文集に寄稿するときのことでした。

前年度までは 卒業文集の編集・発行は、教頭だった ぼくの仕事でした。ぼくは「早く書いてくれ」と言う側でした。

ぼくの学校の卒業文集には、大切な存在意義があります。とても、重要な役割があります。

ぼくが 務める学校は、学齢の不登校生徒が通う「不登校特例校(昼間部)」〈全国に5校〉と、何らかの理由で、学校へ通うことができなかった16歳以上の人たちのための「夜間中学(夜間部)」〈全国に36校〉を併設する全国唯一の学校です。

不登校を経験しながらも、なんとか 学校に通えるようになり、笑顔で卒業していく中間部の生徒たち。

差別や貧困など、何らの困難を乗り越えて、文字を獲得し、中等教育を終えて、涙して卒業していく夜間部の生徒たち。

この卒業文集は そんな15歳から80歳代までの中学校を巣立つ 卒業生の 学びの足跡なのです。そして、まだ道半ば かもしれませんが、困難に立ち向かった証 でもあるのです。

そんな 彼らに 門出の言葉を贈りたくない教職員など1人もいません。

なのに、なのに、ぼくは すぐには 書くことができませんでした。

原稿の締め切りは どんどん近づきます。

ノートパソコンを無理やり開き、電源をONには するけれど、文章どころか、言葉も打つことは できません。

「早く書かなければいけない」と焦る気持ちが、「強迫」となって のしかかってきます。

うつ に エネルギーを吸い取られていた ぼくは、頭がもやもやし、言葉に詰まります。文章を書こうと、もがけば もがくほど、言葉と言葉が こんがらがってしまいます。

そして、その困りを 何とか乗り越えようという意欲すら わいてきません。

突然ですが‥‥

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話しが飛びましたが‥‥

卒業文集を書かなければならなかった頃は、仕事のことや、学校のことから逃れようとしていた時期でした。逃れようとしても、ついつい 考えてしまい。そのたびに落ち込んでいた頃でした。

心療内科の主治医からも、仕事のことや学校のことは考えずに ゆっくりと過ごすようにと 言われていました。

書くことから逃げ、迫る締め切りに追い詰められて、しんどくなっていたのを思い出します。

見かねた娘が「お父さんのゴーストライターを引き受けよか」と言ってくれるぐらいでした。

娘に励まされながらも、ゴーストライターの力は 借りずに、締め切りの前日に どうにか こうにか 書き上げたることができました。

その原稿です。

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たった これだけの文章なのに、1か月近くもの間、書けなくて悶々としていたのです。

これは 当時の ぼくの心を 絞り出した文章です。もちろん生徒の卒業を祝うメッセージです。そして、同時に 自分に向けたメッセージでもありました。

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特にこの部分は、卒業生の姿と ぼくの状況をオーバーラップさせています。

これを書いた頃、次年度(つまり今年度)は、教頭職を辞し、休職するということを決めなければならなかった頃だったのです。

ぼくにとっては、とても厳しい、ぎりぎりの判断でした。

ちっぽけだけど プライドもあります。人目も気になります。意地もあります。未練もあります‥‥

せっかく たどり着いた管理職の道なのに 途中でリタイアして 教諭に戻る。しかも、定年退職まであと1年。あと、たったの1年なのに‥‥

続けられるものなら、続けたい。管理職として退職したい。今思えば ❝ケチな根性❞ です。

そんなことを 考えれば 考えるほど、心の悲鳴は大きくなります。

病休に入らざるを得ない頃は、持病のメニエールの発作が、幾日も続き、いつまでたっても治りません。ついには、左耳の聴力が著しく低下してしまいました。耳鼻科の主治医に「このままだと 聞こえなくなるかもしれない」と診断され、心配でなりませんでした。

入院したほうがいいと 言われても、それを拒み、通院治療を続けました。休んだほうがいいと言われても、仕事を優先してしまいました。

しかし、もう 仕事どころではなくなってしまったのです。あるとき、張りつめていた糸が、プツンと切れてしまったのです。

暗い部屋の中で、この先どうなるのか不安な気持ちを抱えながら、この状況をどうにか乗り越えなければならないと もがいていました。

そんな ぼくは、自分の姿を、不登校を経験したり、十分に義務教育を受けられなかったりしながらも、それぞれに必要な歳月をかけて、それぞれの困難を乗り越えて、自分自身を取り戻していった卒業生の姿に 重ね合わせていたのです。

さて、なんとか自力で、卒業生へのメッセージを 書き終えた ぼくでしたが、ノートパソコンの蓋と 自分の心を閉ざして、再び、長いトンネルの暗闇に入ってしまうのでした。


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うつ とは 厄介な病です。

もともと、ぼくは 思い立ったことを すぐに行動に移すタイプです。やってみようと思ったら、考える前に動き出してしまう。「善は急げ」を絵にかいたような、そんな部類の人間でした。

今では、毎日「小さい世界」を Facebookに投稿していますが、初めから そう うまくいったわけではありません。

メンタルヘルス回復のためにも 発信することはいいことだと思いながらも、しばらく発信を躊躇していたのです。

Facebookですら、一歩が踏み出せなかった ぼくに、ブログなんて できるはずがありません。

「ゆったり、ゆっくり」を実践していたのではではありません。後ろ向きのぼくだったのです。

今から思えば、Facebookに毎日投稿することくらい そんなに難しいことではありません。

言葉は乱暴ですが、何でもいいから投稿すれば、次につながり、次第に投稿内容も定着するのに、うつ が ぼくの行動力を 吸い取ってしまうのです。

投稿しようと思っていても、初めての挑戦。そんなはずはないのに、何から手を付けたらいいのか分かりません、そして、何を投稿するのか。柄にもなく考えてばかりの日々が続きました。

以前なら、初めての挑戦も へっちゃら。「どうしよう」と思う前に行動していたでしょう。Facebookがどんなものかも分らなくても、投稿していたに違いありません。

しかし、引っ込み思案の ぼくが そこには いたのです。

相田みつをさんに「考えてばかりいると  日が暮れちゃうよ」と言われそうです。


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どんなときにも、救世主は 現れるものです。

SNSの「広がる世界」に、ぼくを 連れて行ってくれた人がいるのです。

ぼくが どのうにして、1000人に「いいね」がもらえるようになったのか、思い出すために Facebookの投稿歴を たどってみました。

ぼくが Facebookに 最初に登場したのが、5月11日の この投稿でした。

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実は、これは ぼくの投稿したのではではありません。

救世主が 自分の投稿に「タグ付け」してくれたのです。

「タグ付け」してくれたことによって、ぼくの Facebookにも その投稿が登場したのです。

プロフィールを投稿していただけで、一度も投稿に踏み切っていない ぼくのページに、突然 現れた記事に驚きました。

「タグ付け」という言葉も、意味も 知らなかった ぼくには、いったい何が起こったのか、皆目見当もつきませんでした。お恥ずかしい話です。

当然、救世主には 事前に「タグ付け」してもいいか 尋ねられていて、どうも、ぼくは了解していたようなのです。

余談になりますが、「知らないこと」って 怖いことですね。さらに、「知らないことを知らない」ということは、もっと怖いことです。

この「タグづけ」は、信頼の上に成り立っていたことだから、何の心配もいりませんでしたが、「無知の知」の大切さを実感しました。

「すれ違っていく出会い」 と 「近づいていく出会い」

人は 毎日たくさんの人と出会います。

暗い部屋に閉じこもっていた時期は別として、ぼくも 毎日 誰かと出会っています。

ぼくは 「出会いには 大きく分けて二通りある」と考えています。

それは、「すれ違っていく出会い」と、「近づいていく出会い」=「引き合う出会い」です。

多くの出会いの ほとんどは 「すれ違っていく出会い」。しかし、まれに、ほんとうに まれに「惹かれあって、近づき合う出会い」があります。

それを「運命的な出会い」と呼ぶ人もいるでしょう。

ぼくも これまで、人生を左右するような「惹かれあって 近づき合う出会い」が 幾度かありました。

ぼくの もっとも 新しい「惹かれあって 近づき合う出会い」が、救世主との出会いです。

救世主との出会い

出会いは 一本の電話から始まりました。とっても丁寧で 親切な対応でした。最初から好印象でした。

何度か電話で話し、メールでやり取りするようになりました。

実務的で社交辞令的なメールにも、温かさを感じていました。メールを重ねるたびに、お互いに 自分のことも 少しずつ知らせるようなりました。

そのうちに 彼女がFacebookに投稿しているということを知ることになり、ぼくも その投稿をフォローしました。

チャットも知らなかった ぼくは、彼女のFacebookの投稿の感想をFacebookや チャットではなく Gmailで送信してました。自分も始めようと思っていた SNSですが、なにも理解していなかったのです。

彼女に何か知らせたいことがあるときは、いつもGmailです。実務的なことは もちろん、きれいな花の写真を撮って、見てもらおうと思うときも Gmailに添付して送信していました。

ある日、彼女には 大変お世話になったので、感謝の気持ちを込めて、写真の『桜』の小さな額を贈りました。

作品ともいえないような あんな作品なのに とっても喜んでくれて、そのお礼にと、Facebookに投稿し、それを「タグ付け」してくれたのです。

このような きっかけで、まだ会ったこともない 彼女とのドラマが始まります。「現実は小説より奇なり」というにふさわしいドラマです。
そのドラマは「プロローグchapter3 『一心一花』で紹介します。ここでは、ぼくを「広がる世界」へ連れて行った救世主として紹介します。


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遅々たる歩ですが、ようやく、しろくま先生は 歩き始めました。

5月11日に Facebook デビューしたのに(デビューさせてもらったのに)、次の投稿(ぼくの初投稿)は、なんと 6月18日。1か月以上もたってしまいました。今から思うと、いったい 何をしていたのでしょうか。

でも、救世主のおかげて、やっと歩き始めることができたのです。

ぼくの初投稿の2日後の 5月13日に 2回目の投稿。また 1日空けて 3回目の投稿‥‥ 一歩、歩いては、立ち止まり、また 一歩進んでは、立ち止まる。ほんとに遅々たる歩みです。それでも「歩き始めた」実感はありました。

次第に 立ち止まることが減り、しばらくすると、毎日投稿できるようになっていました。

投稿内容が定まってきたのです。

今までGmailで送信していた、その日 見つけた「ええもん」を、救世主に「見せたい」、「見てほしい」と思ったものを 投稿することにしたのです。

それを 続けているうちに、「小さな世界」の存在に気づいたのです。

今までは 通り過ぎるだけだった道なのに、「ええもん」を見つけよう、あの人に「見てもらおう」と 思っていると、どんどん どんどん「小さな世界」の輝きに気づくようになってきました。

義務的に出かけていたウォーキングが楽しくなっていきました。いつの間にか「小さな世界」を覗きに行くために出かけるようになり、毎日、投稿したくなりました。

「小さな世界」が「大きな世界」に繋がっていく、「広がる世界」が、ぼくの瞳を開き、心まで開いてくれました。

毎日、「小さな世界」に癒されて、心は解放されていきました。徐々にメンタルヘルスも回復に向かっていると思います。体力的にも だんだん元気になってきました。

ぼくたちは 人の間で生きています。人と繋がって生きています。

人に教えられ、人に支えられ、時に、人に教えて、人を支えながら生きています。楽しいことも、うれしいことも、悲しいことも、腹立たしいことも分け合いながら生きています。

人と交わりながら生きているのです。

傷つけることも しばしばです。傷つくことも しばしばです。だけど 助けてくれるのも、やはり 人なのです。

人と繋がってると思えるだけで、元気になれることもあるのです。

ぼくは「広がる世界」を知ったおかげで、歩き始めることができました。

1人では行くことができなかった「広がる世界」に、救世主に連れて行ってもらったおかげで、今のぼくがあるのです。

少し長くなってしまいました。(後編に続く)

じゃぁ、今日はこの辺で。