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『感傷よりも青い月』1

病院の壁が白い理由をふと考える。乾燥したベッドは清潔でさらさらとしていて、世界は静かで、閉じた窓から見える月は満ちていた。水面に咲く睡蓮のように月は不思議と明るく、霧に通すように、光には濃淡がある。長方形の窓枠が額縁だとすれば、この景色こそが絵画だった。

だから病院の壁は白いのだと、少女は思った。部屋の照明は落ちていたけれども、外には夜の光があった。

彼女はすべてを喪っていた。果てのない喪失感は、未だに喪ったもの以上を蝕み続けている。悲しくもなければ、寂しくもない。況してや、苦しいなどとも思わない。喪失とはつまりは消えていくことなのだ。それに比べれば、感傷はもっと前向きな状態だ。失ったものに想いを馳せるのは、まだ、本当に失ってはいないからだ。

この耳で聞いた、彼らの叫びは絶望に満ちたものだった。彼女はそれを憶えていた。印象としては確かに残っていて、夢に微睡んでいるように、音は鳴ってもいないのに、思い出された。記憶が音を出すことはできない。記憶が匂いを嗅ぐことはできない。記憶が映像を見ることはできない。脳は記憶して編纂することしかできない。

まるで夢のように、見知ったものから抜き出すことしかできない。故に過ぎたことは記憶でしかなく、彼女を脅かすことはできない。最後に上げた自らの絶叫を越えるものはもうない。最大の恐怖は全身からの咆哮であり、眼前で息絶えた者たちに対する、憐憫の情を許してはくれなかった。

すべてが終わって、この身体は清潔な衣服に包まれた。その時には涙を流すことさえできなくなっていた。せめて彼らの死を悼んでやりたかったが、磨り減った感傷にはなにも引っ掛からなかった。なにもかもが遅すぎたのだ。

自分を慰めるための温かい思い出さえ、美化する感性も失われれば、冷たい箱の中にある。未来は地に墜ちた。淀みのない展望は、普遍的な白だ。過去に目を遣れば、ああそうだ。

記憶がわたしに触れることはできない。

窓枠からの景色は寸分も違わずに見えた。時間を封印した絵のように、二次元世界に閉じ込められたのは月の方だったか。

昔、御伽噺の絵本を読んでいる時に納得のいかなかったことがある。あれはかぐや姫だっただろうか。かぐや姫が月を見ている挿絵で、絵の中の月はとても大きかった。その月をとても綺麗だと思った。けれど、自分の部屋の窓から、まじまじと仰ぐ月は、拍子抜けするほどに遠くて小さなものだった。迎えに来る誰かも、あんなに離れていてはどうしたって時間が掛かってしまう。気分は小さなかぐや姫で、不満気な表情は、御伽噺への羨望の表れだ。あの時も窓から、空を見ていた。広くはないが、自分だけの部屋だった。その場所に戻ることはしかし、もうない。

病室のすぐ外には桜の樹が見えて、夜闇に揺れる枝は、昏い緑の葉を付けている。夏にも涼しげで、夜だというのに月の下に影を纏う。

ずっと、そこから覗いている人物にも気付いていた。樹の影に潜む者は、月光を恐れるように佇んでいる。私が窓のカーテンを開いた時から、闇の一部のように融け込んで、飽きもせずに病室を見上げている。気付かれていないつもりだろうか。闇の中にさえ、眼は大きく見開かれ、瞳は真紅に光っている。

恐怖は既に失われている。あらゆる感情は過去に仕舞われて、忘れた頃に恐怖に触れることがある。しかし、すべての恐怖は過去のものとなった。身体の反応は反射でしかない。

そう思えば、とても穏やかだ。狂気に呑まれた者にこそ、月の光は優しい。

真紅の瞳に気付かない振りをして、今宵も更けていくのだろう。きっと影もそれを望んでいる。だから、隠れているのだ。

しかし、少女は呆れてしまう。本当に隠れているつもりだろうか?

真紅の瞳から流れ出た涙は、月影にて淡く光る。


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