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理系◯◯というコンテンツの中身のなさに辟易する

まず、この記事は理系批判ではない。そもそも、僕は大学院で分子生物学を専攻していたので、生粋の理系出身だ。しかし、昨今あふれる理系◯◯といったコンテンツによって理系の面白さが誤解されていそうな気がしている。

理系は、哲学に含まれる学問形態である。もともと哲学が自然の理を解明することであり、数学、物理、化学、生物、医学などは哲学に含まれる。そのため、これらの専攻の大学院で博士論文が認められると、Ph.Dと呼ばれる称号が与えられる。(Doctor of Philosophy=哲学博士の略。)実際に哲学者として知られるアリストテレスは、万学の祖とも呼ばれ、理系を体系的に分類した人であることも知られている。

理系とは自然から法則を見つける学問たちのこととも言える。もっと噛み砕けば、未知のことを明らかにすることである。未知のことを明らかにするからこそ、それを基礎にテクノロジーが発展する。がんが出来る仕組みが明らかになるから治療手段が考えられるし、浮力や気体の流れに物理法則を見出せたから、船を海に浮かべたり、飛行機を空に飛ばせる。理系学問は社会を豊かにするものだ。

介護する人が少なくなってきていると、エンジニアの人たちがロボットを設計したり、作業負荷を減らせるような機械を製作する。介護するという発想ではなく、患者が自立できるように強化義手、義足といった本人をサイボーグ化するアプローチ法や、病気そのものを治す薬の開発に注目しても良い。その解決方法には一切の制限はなく、当本人のアイデア次第である。

このアイデアというものに理系学問の楽しさの本質があると思われる。しかし、メディアで演出される理系◯◯といったものは、大学入試で出るような問題を解くことだったり、難しい化学現象の名前を答えるといったことをコンテンツとしている。私から言わしてみれば、理系でもなんでもなくただの頭の体操であり、知能レベルを競っているだけである。

もちろんエンタメとして楽しむ分には大いに結構である。ただ子供たちに理系の面白さがきちんと伝わっているのか疑問だし、いわゆる文系と呼ばれる人たちは理系関連のエンタメにアレルギーを感じてしまっているのではないだろうかと心配している。

理系とか文系とかの名称に限らず、学問とは未知を探求するものであって欲しいと願っている。哲学を理解することであって欲しい。みな、子供のようなキラキラした目で自然を観察することを忘れないで欲しいと思う。





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