とにかくぎりぎりを生きている その②

5分前まで保育園で息子にまとわりつかれていたのに、今はいつも通り職場の少し澱んだ空気を吸っている。この差、どこでもドア出勤とでもいうべきか。
それができるのは本当に助かるのだけれど(だからこそギリギリになるともいえる)、唯一デメリットを挙げるとすると、「小さい子を持つ家庭の母モード」から「働く人モード」へのスイッチの切り替えが遅れがちになってしまうことだ。

復職してすぐは、育休時代の時間にそこまで追われない、というか毎日授乳や朝寝、昼寝、その日の機嫌の具合によってどんなスケジュールになるかなんて未知、という何ともゆったりかつフレキシブルな時間感覚に慣れてしまって、効率重視、コスパ重要、というオフィスワーカーの時間感覚をなかなか取り戻せなかった。何というか、「家庭の母モード」の脳細胞を「働く人モード」の脳細胞にごっそり丸ごと入れ替えることができなくて、仕事中もときに「家庭の母モード」が顔を出し、働く人として使える脳のキャパが如実に減ったように感じたのだ。その結果、自分のミスで明らかに仕事が増え、期限がせまる。。。
この「脳細胞レベルの切り替え」がカギになると気付いてからは、なるべく仕事中はとにかく仕事のことに集中するように努めているけれど、もともと時短勤務なのも相まって、なかなか余裕をもって仕事を行うことができない。こちらもとにかくぎりぎり、を繰り返している。

15:30までに指定の場所に入れなければならない封筒がいつも間に合わず、15:35くらいに「まだ間に合いますか?」と息を切らして担当者に手渡ししているし、「今年度中に取り組もう」と夏頃から言われていたことに取り組み、完結したのは年度末かなりギリギリだったし、取り組むのが遅れたものに限ってイレギュラーが見つかり、いつも通りにいかなかった、というのは昨年度だけでもいくつあったあだろうか。
でも、それらを何とか死に物狂いで片づけた結果、3月に一気にざざざーっと終わっていく感覚があった。それを見た同僚の御姉さまが、「スライディング●●(私の苗字)」とあだ名をつけてくれて、今後も使おうかなと思っている。きっと駆け抜けるほうが早いようなヘッスラしかできないけれど。

結局、「まだ大丈夫」という思いがあることによるものなのだろう。そしてギリギリ間に合った、に味を占めて、より余裕のあるうちに進めようと思いきれないのだろう。どんな環境にしても、どれくらいお金をかけたとしても、私はなんだかんだぎりぎりを生きてしまいそうな気がする。

できることなら働く母として、どっちもやりきって、どっちの自分も好きでいたい。ぎりぎりバタバタしている自分がなんだかんだ好きなのかな、と思う部分も、ないではない。それは駄目だ、余裕を持たないと、と思い続けてきたけれど、結局どんな状況になってもギリギリを生きることになるなら、「やっほい締切○分前にクリア!」みたいな、むしろ自分がゲームの中にいる設定が良いかも、とも思い始めた。

いつかは、子どもが小さい頃は忙しくてバタバタしてたねぇ。とゆっくり振り返る日が来るのだろうか。その時に笑って話せるように、今を大切に、全力で生きたいな、と思う。


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