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やりたいことがない人

昨今のインターネットは、成功したい人やインフルエンサーになりたい人で溢れている。
そんな人たちに憧れて「自分もああいうふうになりたい!」「バズりたい!」と思う人達もいるだろうし、「夢を持つ事やなりたいものがあるのが当たり前」という風潮にもなっているなと思う。

だが反対に、「なりたいものがない」「やりたいことがない」人というのも実はたくさんいると思う。
「趣味らしい趣味はないし…」とか「趣味はあるけど発表とか仕事にするような感じじゃないし…」みたいな感じの人たちだ。
何となく学生時代を過ごし、何となく就職し、そのまま年を取っていく…。
今の社会だといわゆる”負け組”と言われるのだろうか。

インターネットやSNSを見ると、夢に向かったり何かに挑戦している人ばかりでキラキラ眩しく見えて。
でも自分にはそんな気概はないし。「たいしてやりたくもない仕事に就いて、夢がない自分って虚無みたいな存在なんじゃないか」とか自己嫌悪になったり。

余談

余談なのだが、ここで自分語りをする。
私は趣味はとても多い。好奇心旺盛で色々な事に手を出しがちだ。だから先に述べた人とは無縁だなと思っていた。
しかし色々な趣味に手を出すという事は、逆に本当に極めるほど(仕事にするほど)やりたい事がないという事なのかもしれないと思うようになった。

たくさん趣味があるということは、その趣味がどれも中途半端になるという事だ。
どれもそれなりには出来る。手芸も、イラストも、文章も。
でもその道一本で極めてる人には遥かに及ばない。
いわゆる器用貧乏とか半端者というやつだ。若い頃はそれで悩んでいた。

自分のやっているDiscordの作業通話サーバーでは、あらゆる分野に挑戦している様々な人と話す。
特にイラスト界隈の人と話してる時に思うのだが、明らかに熱量が違う。
私はイラストを描くが、「このキャラクターや作品を描きたい!」みたいな強いパッションは実はあまり持っていない。
いわゆる”推し”キャラクターもそんなに存在しないし、いるとしてもガチで推してるかというとそうでもない。
ただ何となくお絵描き指南書を端から端まで模写してたら何となくそれなりに絵が描けるようになっていた、という感じである。今でも基本描くものは模写ばっかだし。
その模写の見本も「好きな作品、好きなキャラ!」という感じじゃなく、ただ「何となくこれ描くか〜」くらいのテンションで選んでいるのだ。


いつか「自分の世界観を描けるようになりたいな〜」と漠然と思ってはいるが、漠然とし過ぎている。
本当にそんなもの存在しているのか?とすら思う。
職業イラストレーターや漫画家などプロを目指しているわけでもないし。ネットで活動してたらワンチャンなれるのかな〜?とぼんやり思うくらいだ。「なろう!」という感じではないし、そのための努力もあまりしようとは思わない。
本気でやっている人たちとは熱量が違う。

今はイラストの例を挙げたが、どの趣味もそんな感じなのだ。
色々手を出せど、「これ一本極めたい!」というものはない。
もし何らかの理由で絵が描けなくなっても「あー、描けなくなっちゃったかー…。まあいいや他の事やろ…」くらいのテンションだろう。

結局やりたい事がないのと同じ

多趣味といってもそこまで極めるほどのものは何一つない。
どれも一口つまみ食いして残しているようなものだ。
これって結局やりたい事がないのと同じなんじゃないか。

はたから見た私は、色々な事に挑戦して「すごい人」とか眩しく見えるのかもしれないが、ただ半端者なだけである。

もしもの話〜クリエイティブな事を何一つしない私

もしも私から能動的な趣味を無くしたらどんな生活になるだろうか。
適当にゲームやって、YoutubeやNetflixの適当なオススメ動画漁って、Spotifyで適当に音楽漁って聴いて、たまに本読んで、昼寝して、野球などのスポーツ中継見て、深夜ラジオ聴いて…。
たまに散歩して、一人で飲みに行って、美容院行って、年に何度かライブに行く。

もちろん挙げたのを全部一気にやるわけじゃなくて、ゲームだけぶっ続けでやってあとは寝るだけみたいな日もあって。
あれ?能動的な趣味がなくても、立派な何者かにならなくてもめっちゃ充実してない?この生活楽しいんじゃない?

というか、過去の自分がほぼこの生活だった。
フリーター生活で週5日フルタイムで働いてはいたけど、帰ってからの時間や休日は上に挙げたような感じで。能動的な趣味なんて無かった。
ちょっとアニメの感想をブログに書くくらいだったか。
で、また仕事行って。

若い頃の私はなんか「このままは嫌だなぁ…変わりたいなぁ…何者かになりたいなぁ」と思ってはいた。
だがこれで満足出来るなら、この生活だって一つの幸せであり成功の形だと思う。
なんなら最近の私は、家で深夜ラジオ聴きながらバカ笑いしてる瞬間が一番幸せだったりする。

能動的な趣味について

いまや中途半端とはいえ能動的な趣味もたくさん持つ私だが、能動的な趣味というのは労力がいる。
今自分がこれだけ趣味を持てているのは、自分が子なし専業主婦…というか主婦業さえ時たまサボる半ニートのような存在だからだと思う。
よーするに時間があり余っているのだ。暇つぶしと言った方がいいかもしれない。
働いている頃はこんなにたくさんの趣味を持とうとすら思わなかった。
それこそ先程書いたように、ゲームだけだらだらやって自由時間が終了するなんて日もざらにあった。

能動的な趣味というのは、自分に余裕が無きゃ出来ないものだ。
練習が必要だったり、知識を入れなければならない場合がある。
場合によっては知識を得るために金がかかる。学校に行ったりとかね。
まあ最近はインターネットが知識の宝庫になっているので、そのへんのハードルは下がっているが(だからこそインターネットに何かを創る眩しい人たちが増えたとも言える)。

だから軽率に「能動的な、生産的な趣味を持ちましょう!」なんて、私は言いたくない。


受動的な趣味も辛い時はある

これまた余談なのだが、受動的な趣味だって辛い時がある。
自分がやっているわけではないので時たま自分の思い通りにならない時がある事だ。
スポーツ観戦は贔屓チームが負けた時は悔しいし、好きなゲームの続編が自分の期待してたのと真逆の方向性だったりする事もあるし、好きなバンドがある日突然解散したり。

これは自分ではどうにもならない事だ。
私は以前好きだったゲームが新作で予想外の方向性にいってしまった事があり、激しく憤った事がある。そのゲームは大好きだったが、その問題が発生してからは何年も離れていた。今風に言うと、公式との解釈違いってやつだ。
この時に”受動的な趣味への信頼感”が薄れたように思う。自分じゃどうにもならないのだと。それで「受動的な趣味は一本に絞らないようにしよう」とか「能動的な趣味も持とう」と思い始めたような気もする。

よく野球なんかで負けた日に、SNSで選手や監督に罵詈雑言を吐いてキレ散らかしている人がいるが、あーゆー人は野球観戦しか楽しみがないんだろうなと思う。
受動的な趣味を一つ極めすぎると過激派になりやすい気がする。

今の私

最近の私の日課。
毎日note記事を書く、ソシャゲログイン、詰将棋、フィットボクシング、リングフィットアドベンチャー、絵(復習)、絵(新規)、料理、ウクレレ、外郎売の練習、片付け。

日課がたくさんある。
ぶっちゃけだるいなーしんどいなーと思う時ばかりである。
でもだるいのを加味しても、自分が本当にやりたいなと思っている事だけをやっている。無理のない程度に。だから続いている。

日課だけで一日が終わる時もあるけど、別にそれでもいっかなと思っている。だって自分のやりたい事をやりたいようにやってるだけだし。
義務感とかじゃなくて「これやってみるかー」って思ってやり始めて、しっくりきたから続けている。それだけだ。
リアル人生ゲームのデイリーミッション。

だから今も全然何者にもなれてないけど、なんだかんだ充実してるなと思う。

やりたいことの見つけ方

”やりたいこと”というと、巷では仕事に繋がる事とか生きがいみたいなのばかり唱えられているし、そういったものを連想しがちだ。

だから「ちゃんとやりたいこと見つけなきゃ!」と錯覚してしまうけど、別にそんなご立派なものじゃなくていい。
見つけるべきはやりたいことというよりは自分が楽しいと思う事
ラジオ聴くとか、ゲームやるとか、音楽聴くとか、散歩するとか…。些細な事でいい。

なんなら知り合いに「動画一緒に作って投稿しない?」って言われて、「そんなやりたいわけじゃないけど嫌じゃないからまあやってみてもいいかな」って流されて一緒にやってみたっていい。
そっから何か道が開ける可能性だってあるし、やってみて「案外ハマらなかったな」ってなる可能性もある。
ハマらなかったならまた別の何かを探せばいい。

私は最近ラジオを聴くのにハマっていて、色々な番組を聴いている。
「この番組めちゃくちゃ面白いなー好きだなー」と思う時や、「この番組は…うーんちょっと合わないかなー」と思う時がある。
そうやって好きな番組、よく聴く番組が定まっていく。
「この番組聴く為なら1週間頑張れる」みたいな番組とも出会う事が出来た。
他人から見たら些細な事かもしれないが、私にとっては大事だ。
そのラジオ聴いてる瞬間が最近の一番幸せな時間だもの。

結局やりたい事、好きな事を見つけるってのは、そういうトライ&エラーの繰り返しなんだと思う。
繰り返しているうちに、だんだん自分が本当は何が好きなのか、どんな人間なのかが分かってくるわけだ。

面白いと思うなら自分の物にしていって、しっくり来なかったら別の物を探す。そうやって小さな幸せを少しずつ手中に収めていく。
大層な夢なんて持たなくても、有名にならなくても、誰かに認められなくても、幸せなんて案外そのへんに転がってるもんですよ。

そもそも勝ち組負け組で分類したり、他人の幸せに優劣つける奴の方が人生終わってるなぁと思う。
「お前、幸せじゃないだろ?だから他人の人生を見下して優越感を得るしかないんだろ?」って。


ま、肩の力抜いて気楽にいきましょうや。


追記

こんな文章を書いている間に、ニンダイで2022年のスプラトゥーン3発売が発表されていた。
TPS超苦手なので正直買ってやるかまでは分からないが、世界観が好きなので新作そのものは嬉しい。これもまた楽しみの一つである。
これの為なら毎日頑張れる!って思えるものがあるのは大事だよね。


やりたい事について掘り下げた記事を書いた。
この記事の続編みたいなものだろうか。


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