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やる気の出ることがない

ログイン1000日を迎えた。
もう、固執する必要もなくなった。
雀魂をやめる。


時間がないので、少し前からいろんなものをやめるようになった。以前にもこのことは記事に書いたが、最近だとラジオの本数もさらに減らしてみたし、ポイ活もほぼ辞めた。今期アニメもたぶん、しかのこ以外見ないと思う。まもなくリリースから丸1年を迎えるポケスリも、図鑑をコンプリートしたら迅速にやめる。

とはいえ、曲がりなりにも前からずっとやっていたこと。ルーティンがなくなって、産みの苦しみならぬ辞めの苦しみに苛まれることはないのか。

もしそれが起こりうるなら、辞めるなんて考えに至らない。開放感こそあれ、苦悩や悲壮感なんてついぞ思ったことがないので。

結局のところ今までのルーティンは、空いた時間を埋めるためのものでしかなかったのだろう。よく言えば「依存していない」のかもしれないが、悪く言えば「何事にも無関心」。僕の打牌を促していたのは、麻雀への興味でも好奇心でもなく、ただ虚無感だったのだとしたら、金のと玉のあいだをうろうろし続けているのにもなるほど合点がつく。


「何もやることなくなって、暇な時間が増えるのは苦しいのでは?」とお声が飛んできそうだが、ハッキリお答えするとそんなことはない。
この世界、やれることが多すぎる。

大学に入りパソコンを持って、ついでに自分が使える相当額のお金を手に入れて、世界は格段に広がった。YouTubeをみればすごい人がたくさんいるのに気づけた。無限のやれることの中から選び取った、有限の (しかしすごく多い) やりたいことが、常に心を支配している。

だから実際は、暇になるタイミングなんてあるはずがない。ただ何もしたくない、全てがめんどくさくなってしまう時間があるだけ。
そんな時にリソースを割かないでできることが、僕のルーティンになっていた。

1つの方向に向かって走るだけのレース。
単純な構造が、僕をゴールへと突き動かす。単純だからこそどんな時でも、脳死でできる。(批判を恐れてこの「脳死」とは病理学的なものではなく、なにも考えないで雑に物事を実行することに対するメタファーであることをことわっておく)

つまり問題は「やることがない」のではなくて、「やる気の出ることがない」ことにある。これを解決しないことには僕は小説を書けないし、アナウンサーにもなれなければ食品企業で商品企画もできないし、声優にもなれなければ作曲もできない。


先日、電車で家に帰る途中「トゥーンブラスト」をプレイしている人が見えた。(キャンディークラッシュみたいなゲームですよ、これで全員わかるでしょ)

覗きをしているつもりはなかったが気になってチラ見していると、残り手数には一切目もくれず、まるで動画広告の最後のお試しタイムをプレイしているかのように、雑にブロックを消していく。特殊アイテムもたくさん使う。

「なんでこの人はこのゲームをやってるんだ?」素直に思った。
一発でクリアできる快感が楽しいはずなのに、この人は何を思って適当にスマホをタップしているのか。
何度かコンティニューをした彼の画面を見て、その答えがわかった。

レベル6510、クリア。
異常なまでの執着が、彼を壊してしまったらしい。
どれくらい課金してるんだろう。そんなこと聞く間もなく彼は降りていく。
あれが幸せならこちらから何もいうことはないのだけれど。シュレディンガーの自分が見えた気がした。


自分の暇を潰す、余計なものを全部消した。
消せたのは、きっとある程度の成果を上げることができたからだと思う。

ランキングダンジョンでたくさん王冠が取れたから。
1000日ログインして称号を手に入れたから。
図鑑を埋めたから。

些細なことであってもいい。成功体験、達成感が欲しくてやっている。
ずっと終わることのないトゥーンブラストをやっていたら、今頃どうなっていたんだろうか。楽しくないと思いながらも課金を続ける寂しい人間になっていたのか、とか考えると、末恐ろしい。

(終)


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