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将来は都会に出たい

学のなさが目立つ。読書もしない、勉強もしないで日々をただ漫然と、ルーティン化して進めていくだけの僕の人生では、noteに書くような考えさせられるネタが毎日のように降ってくるはずがない。

日記を書こうにも送っているのは毎日大学に行って帰るだけの単純なループ再生で、そこに違いを見出そうとしてもエンドレス・エイトにしかならない。飢えを凌ぐために誰もが知っている話題をまとめて記事にしても、それはただの「マスメディア」でしかなくて、これじゃないんだよな、という感情だけが募っている。

毎日投稿をするnoteライターの多くは、自分の読んだ小説や専門書を引用しているように見受けられる。僕はむしろその逆で、敢えて調べないで自分だけで考えることが独自の観点や思想につながると思っていた。裏を返せばこれは学ばない自分を正当化する言い訳でしかないことに気づいたのは、実はごく最近のことだったりする。

話題が尽きないのは日々学んで知識と思慮を深めている人で間違いない。学ぶことで自ら考える、そして話題になることが生まれる。その繰り返しが実は学びの原点なのかもしれない。大学でよく読む論文にたくさんの参考文献が付記されているのは、それらを読んで知的好奇心に駆られた人間がその論文の内容を研究したからに他ならない。
既出の文章から自分なりの観点で物事を説明して深めていくならば、実はnoteもこれとよく似ている。自分は理系の学生だからあまり読んだことはないが、文系の人が読む論文はそういったものが多いのかもしれない。


さて何を学ぶかだが、そもそも何を学びたいかを考えた方がいいかもしれない。楽しいこと、好奇心が続くことでないと、すぐに辞めてしまう。ことnoteに関して1年という長い期間を共に過ごしていく相棒には、自分が好きなことを選びたい。

もっぱら義務教育に打ち込んで進学校に入った僕にも、得手不得手は間違いなくあった。高校生の当時はどれが好きとか嫌いとかあまり考えずにやっていたが、大学に入って国語と数学の楽しさに気づいた。文系と理系のハイブリッドと言うと聞こえがいい。
一方で理科や社会はどうも身にならなかった。理系であまり重要視されない社会はこの際よしとして、問題は理科。自分が専門的に学ぶ分野であるにも関わらず、たいした興味もなければ知識もない。文字式ばかりでうんざりして生物選択にしてしまったが、数学の楽しさに気づいた今となっては物理にしておけばよかったと悔やまれる。

それにそもそも教科書とペンを使って学ぶ勉強自体があまり好きではないのかもしれない。大学を4年間単位も落とさず過ごし、来年度からは大学院生になる身がこんなことを言うのは誰かしらに失礼なのだろうが、敢えて言うなら僕に研究は向いていないような気がする。開発職に漠然と憧れはあったが、研究開発には就かない、あるいは就いても続かないだろうと容易に想像できる。


何を学んでいけばいいのか。何も学校で習うことだけが勉強ではない。恋について学んだ人もあれば、一足早く社会に出てその仕組みを学んだ人もある。そういう教科書に載らないことも学んでいいし、それで食べていけるのが現在の日本だ。
例えばエンタメや流行り物はどうか。勉強という枠組みから少し外れ、お堅い雰囲気もなくていい。「楽しい」が真っ先に浮かぶことにはやりがいを見出せる。そこで僕が目をつけたのが都会だ。
ようやくタイトル回収。

今は郊外で実家暮らし。都会で流行ったものが数年のブランクを経て地元で流行り、瞬く間に廃れていく。少し前はタピオカ専門店ができて、2年ほどですぐに潰れた。ここ最近のサウナブームを見ると、あと2,3年後には地元にもサウナ専門店がどんどんできて、すぐに潰れていくのかと思うと虚しい。

その「流行り」を、間近で感じられる都会に住んでみたい。初めて一人で東京の街を歩いたあの日は、渋谷の109にでかでかと広げられたアーニャに心奪われ、一人もの思いにふけった。あんなことが毎日のようにそこかしこで繰り広げられる都会は、どれほどキラキラした場所なのか、およそ見当もつかないけれど楽しそうだ。

◇  ◇  ◇

そろそろ就活が始まるので自分の思いを綴っておくことにした。
まだぐらついているからそのうち変わるかもしれない。
変わったらまた文章にする。

あとこれから暇なときに本を読める人間になる。


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