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安心感と独占欲の渦

京都駅は夜を迎えるとお盛んで、ホームから階段をあがった先の通路の脇で、彼女がうつむき加減でよりかかってくるのを、彼氏が手を回して抱きしめているカップルを見かけることがあります。平均的な大学生なら「青春だねぃ」「羨ましいねぃ」と思うのかもしれませんが、(あらためて申し上げると恥ずかしいですが) 外れ値をとっている自分としては少し怖いことに思われました。


彼に自らの身を預かる彼女は、満たされているように見えます。本当のところは知りませんが、少なくとも僕の目には。身体だけではなくて己の運命さえも信頼出来る相手に任せ、共同体の一部として自分を定義しようとする彼女は、おそらく自分一人で生きていくのが孤独に感じたり、不安だったりするのでしょう。

それに相対する彼は、身を預けられること≒愛情を受けて満たされると共に、自らの所有物に近い概念としての対峙するものへの独占欲を強くかきたてられることになります。そうして湧き出る、もっとこうしていたい、もっと自分のものにしたい、そんな感情が彼女との思い出を益々強固なものにしていくわけです。

もちろん彼と彼女が上と逆の立場になることもあるでしょう。性別の組み合わせもさまざまあります。それでもなお言えるのは、片方が不安を抱き、それを他方が包み込むという形式をとる以上は、この勾配を持つ関係は半ば避けられないということです。


で、冒頭で申し上げた「少し怖い」について、これはあくまで僕の予想になってしまいますが、このような形で得た安心感、あるいは優越感というものは、失った途端に大きな不安・劣等感をもたらしうるように感じてならないからです。

まだ付き合ったことのない人の「付き合いたい」と、既に経験のある人のそれは言葉は同じでも意味が違います。前者は単なる憧れや周りと比較した不安感から生じるものですが、後者には喪失感と渇きを伴うぶん、より本能的で、依存性のあるものに聞こえるのです。

「若いうちから恋をしておきなさい」と世間の大人たちは言うのかもしれません。僕もそれを否定する気はありません。でも、一度安心感と独占欲の渦に飲まれてしまったら、そこから抜け出すことはおそらく不可能であることは理解しておくべきだと思います。満たされなさに自分の精神を乱されるくらいならはじめからなくってもいいんじゃないの?というのが、僕の勝手な暴論であり、今のスタイルです。


とはいえずっとそんなこと言ってもいられないのであえて解決策を考えるなら、真の意味で対等の関係をパートナーと築くことでしょう。ただ力関係を完全にイーブンにするのはおそらく不可能で、唯一の可能な例は別居、会わないといった状態になるはずです。

あるいは渇きを作らないという点でいえば、同じ人と添い遂げ続けることでしょうか。かなり割合が低いので難しそうですが、理想の形かもしれませんね。

しっかり考えながら進みたいと思います。
みなさんもよい恋愛を。

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