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なぜ笑ってしまうのか?

先日、バナナムーンGOLDを聴いていたら、「日村勇紀を笑わせろ!2023ウィンター」がやっていた。

大まかな流れはこうだ。
日村さんが牛乳を口に含み、設楽さんの読むネタメールを聴いて吹き出してしまったら、日村さんには臭いものを嗅がされる罰ゲーム、メール投稿者にはプレゼント獲得の権利が与えられる。笑わせたい投稿者と、笑いを堪える日村さんのバトルになるわけだが、実際そこまでシビアなわけではない。

ほとんどのメールに対して、日村さんが吹き出してしまうからだ。大して笑うところではない部分 (例えばラジオネームなど) でも、なぜか吹き出してしまう。設楽さんに「ちゃんと耐えてよ」と言われても、やっぱり出してしまう。それがどうしようもなく滑稽で、結末はわかっているのに聴いてしまう。

なぜ笑ってしまうのか。視聴者のためにと無理に笑っているのかとも思ったが、おそらくもっと別の力が働いているような気がする。

「笑ってはいけない」という制約だ。
いつもと違い、牛乳を口に含んでいる状態。しかも笑ってしまったら罰ゲーム (しょっちゅう喰らっているから麻痺しているかもしれないが)。その状況が生み出す独特の緊張感が、水がいっぱいに入ったコップを揺らすようにして牛乳を吹き出させているのだろう。実際、少しでも口が緩んだら簡単に牛乳はこぼれてしまうはずだ。

「笑ってはいけない」というと深夜のガキの使いを思い出すが、仕掛け人として登場したあの名女優、天海祐希さんでさえ、その場の異様な空気に飲まれて演技中にもかかわらず何度か笑いかけてこちらに背を向けていた。僕が最近、卒論発表の練習を聞いていたときにふとした誤字が気になって必死で笑いを堪えていたのも、おそらくその類だ。やはり何か魔力があるといって差し支えない。


では緊張感のあまりかからない場ではどうか。
結論から言ってしまうと、人はこういう時、すごく笑いにくい。もちろん、笑い上戸である場合を除くが。

それでも、お笑い番組なんかを見ていると皆あたりまえに笑うし、日常会話でだって笑いを取れる人はバンバン取る。
こういうとき、僕たちが笑ってしまうのはなぜかというとおそらく、「予想外」を面白いと思うからだろう。

「でっかくなっちゃった!」で笑ってしまうのは、本質を問えば「でっかくなっちゃう」と思っていなかったからだ。漫才やコントでのボケも「まさかそんなはずは」で笑いをとるものが多い。そしてさらにツッコミが、見ている側の人間の心情を適切に描写することで、腑に落ちて面白さに相乗効果がかかる。言語化するとつまらないけど、だいたいお笑いってこういう原理なんじゃないだろうか。

しかしこれが分かったところで一筋縄ではいかないのがお笑いの難しいところ。

最近の話を例に挙げてみる。
滋賀出身の僕は、話題作りもかねて「翔んで埼玉」の新作映画を見に行ってきた。地元の映画館は9割がた人で埋まっていて、滋賀の自虐ネタが流れるたびに、館内のそこかしこで笑いが起こる。が、僕はほとんどくすりともならなかった。

「滋賀愛がない」「笑わない自分に酔っている」そう言われても仕方ないけれど、あくまで個人的には、既にそのネタで僕が笑い終わっていたからではないかと推測する。
地元ネタなんて高校の学祭や友人との会話で何度も耳にしていたので、新鮮味がなかったのだろう。ラジオで「芸人は昔のネタをやってもウケないから辛い」と、たしかオードリーの若林さんが言っていたのも、いわゆる「システム」で勝ち上がったコンビが一度決勝に出てしまうとそれ以降勝ち上がりにくくなるのも、同じ理屈だろう。


で、なんでこんな論説文みたいなことをダラダラと喋っていたかというと、来る12/24のM-1グランプリに向けて、少しでも笑いのモチベーションを高めておきたいと思ったからだ。
「お笑いを見る」とすでに意識していること、多少ジャッジする側の目線で見てしまうこと、などから声に出して笑うことは少ないけれど、それでも突発的なネタには思わず爆笑してしまったりする。心底すごいと思う。
当日は、全ての芸人が万全を尽くしてネタをやり切ることを期待したい。


今年も敗者復活戦から優勝決定まで、余さず全部リアタイします。ここ最近は友人の家にお邪魔していっしょに見るのが通例になっています。より爆笑しやすくなるように、今年は牛乳でも口に含んで見てやろうかな。

おわり。


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