書こう
書くことは自由だ。何をしたっていい。身分上の都合で僕は、絶賛エントリーシートをよく書くが、それにだって何を書いたってかまわない。自分がやってきたこと、思うこと、考えてもいないウソのこと。ときには間違っていることだって不思議な偶然を辿って企業からの好感につながるかもしれない。
友人に「書きたいことがない」と言われた。反射でそんなことないだろ、と返してしまったが、これは僕が毎日記事を書いているからでは決してない。広く一般の人、あなたにも言えることだと提唱したい。
ここからは書くと話すの二律に分けて話をしたい。媒体が異なるだけの違いに見えて、実は大きなギャップがある。そこを捉えることで、私たちが日頃からいくつも書くことを持っているに違いないことが、少しずつ見えてくるものと信じたい。
まず対をなす「話す」からいこう。話す際には大抵の場合、対話する相手が必要になる。ラジオや独り言をする人は一定数いるが、これも視聴者や自分自身の対話と見れば例外ではないだろう。話すことはほとんどが双方向であって、しかも一つの流れに沿って進むから、いきなり突拍子もない舵を切ることは難しい。自民党総裁が変わったことを話題に上げたのち、少しのインターバルをおいて大谷翔平選手の活躍を話し始められるのは報道番組くらいだ。そういう意味であれは極めて尖ったコンテンツであるといってもおかしくはないのかもしれない。
したがって話したいことがあっても、それが流れに沿っていなければ話すことはできない。話したいことを話すのって、意外と難しいということになる。ではなぜ僕たちが「話したいことがたくさんあるのに、話せないなぁ」と思ったりしないかというと、それは大きく2つの理由によるものだと考えている。1つは話したいことが受け手の性格や受け手と共有する事象によって無限に湧き出てくるからだ。恋人と話をする際、話題に困ることはまずないだろう。お互いに過ごした時間を思って話題が生まれることもあれば、お互いの知りたいところ、あるいはここが気に食わないというのも話したいことになる。2つ目は形式上の問題で、端的にいえば話すことには緊張感が必要ないからだ。だいたいこれを話そう、と決めていれば、そこへはどんな順番を辿って、どれくらいの時間をかけても基本的にはかまわない。気心知れた相手には言葉がなくても伝わることがあるし、同じ経歴を辿ってきたもの同士では暗黙の了解があることも多い。
これと「書く」は真逆の道を行く。まず会話と違って流れがないので、いつでもどこでも書きたいことを書くことはできる。僕はきのう、お菓子をスーパーでかき集めた話をしたが、今日はうってかわって小説家の落書きみたいなことをしてしまっている。こんなに脈絡がなくても、書くことは許される。
話すこととの共通点といえば、書いたものを見せる相手がいるところだ。どちらも表現の方法には変わりないから、受け手の存在は必要不可欠になることはもちろんなのだろうが、特に書くことに関しては自分をその客体に据えることが多い。優れた文章を書いていながらそれを世に出さないまま死んでいく人の存在は、彼または彼女が自身と本気の対話を、文字を使って繰り返してきたことに由来する。
そして書くことの最大の障壁は、そこに緊張感が伴うことだ。ペンであれスマホであれ、そこにはある一定のリソースを割くことになる。書くことが電子化されてしばらく経つが、それでも書いていたら充電が減るのは、身一つでできる対話との大きな違いと言っていい。ここで古代の、土壁に尖った木を使って文字を書いていた話を引き合いに出されると弱いので、ここの議論は少し曖昧に留めておくが、その代わりとして緊張感をもたらすもう一つの要因を挙げるとするなら、一つのまとまりとして完成させるために構成を考える必要があることだろう。
話し言葉を話し言葉のまま文字に起こすと、すごく気持ちが悪いのはよくわかるはずだ。よく雑誌などでインタビューの様子が文字起こしされていることがあるが、あれも実はある程度の編集を通して読みやすいものになってから世に出されている。それでもたまに、小説や新聞を読んでいるのとは違うモヤモヤを感じる原因は、僕たちに備わった特性かあるいは編集者の技術不足だろう。
手札をどんな順番で出してもいい、極めてルールがフレキシブルなゲームである対話に対して、書くことには一定のリズムと工程と、その他手札の出し方に関する様々な定石が必要になる。これこそが、書くという行為の一番の妨げになっているのではないかと私は推測している。つまり書きたいと思うことがたくさんあっても、それを筋道立てて説明することには脳のリソースを割きたくないのだ。だから勢い余って、「書きたいことなんてないよ」と口走ってしまう。
こんな寂しいことがあろうか。
だから、書きたいと思うことはぜひ書いてほしい。時間をかけても、誰に見せなくてもいいから、少しの緊張感を持って、なるべくわかりやすく、いつの自分が見てもわかるように書くこと。それだけであなたの書く力は格段に上がっていくし、もっと世界を広く見て、誰かと話題にできないことであっても自由に展開していける。無限の可能性を持つ書の世界を、楽しんでみないだろうか。
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書こう。
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