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steady life

日常に変化がないことは素晴らしく切ない。

僕は毎日、「僕ならこんなこともできるかもしれない」と思いながら生きてきた。それでいて何も成し遂げることは叶っていない。なぜなら僕には何をする気もないからだ、そしてこれからもそれは変わらないのだとしたら、ひどく怖い。


先日の研究室旅行で先輩に、「人生一度きりやで」と諌められた。

そうだよそうなんだよ、わかってるんだけど。
「わかっている」のと「だからやる」のとでは、大きく意味が違う。
その壁を越えられないまま生きてきた。し、これからもたぶん、何か大きなものが変わらない限り、越えられることはないんだろう。

「研究室で気になる子とか、おらんの?」と先輩。
「んーまあいないですかね」と自分。
沈黙になるのは怖いので、「じゃあ一旦〇〇さんってことで話進めましょうか」と苦肉の策に出た。

「まずは何をしたらいいと思う?」
「そうですね、とりあえず話す回数を増やしましょうか」
「じゃそしたら次は、2人きりで食事やな。これは絶対外せない」
「うわ、いま一気に実現可能性がぐんと下がりました」

どうやら3回は食事とか行かないといけないらしい。
そうか、そうなのか。知らなかった。難しいな。
先輩は「経験の差は別に問題ではない!」と断言してくれたが、そうか?僕にはよくわからないよ。

結局「やったことがない」というだけで将来の道を諦めて、ひとりで蹲っているだけなのが今の自分だろう。それは恋愛然り、他のやりたいこと然り。やりたいことさえできていないのに、やる気も起きていない恋愛なんてできるわけないでしょうが。ほら。答え出ちゃったんじゃない?

先輩がくれた渾身のいい言葉も、翌日の帰りに駅のお土産売り場で有名人を見かけたとき、僕がここぞとばかりに「昨日の夜、『人生は一度きり』って言ってくれたじゃないですか!」と囃し立てたことできれいさっぱり落ちてしまった。
「夜に何話してたんですか2人で」と困惑するB4たち。
あの時のは余計でしたね。スミマセン

***

今の自分を表すには "steady" という単語がよく似合うと思う。同じような意味を持つ言葉として "stable" もあるが、語感で不採用になった、stable大好き派閥には申し訳ない。

そんな話はいいとして、似合うと踏んだのにはこの語のもつ意味の広さにある。

まず1つ目「安定した / 着実な」。
辞書によっては別の意味として載っているがここでは1つにまとめる。こうやって毎日毎日記事を上げているように、ひたすら地道に同じことを安定して続けられる性格が僕にはある。それをすごいと褒めてくれる先輩のような人も多いが、たいていそこには「褒めてあげないと」という優しさや「ここで褒めておいて、あとで弱みにつけ込んでやるのよ」といった魂胆が隠れていることが多い。知らんけど。

次に今回の主題である「変わらない」。
毎日記事を上げていても、書く内容や文章の良さ、味、おもしろさは大して変わっていない (これに関してはムラもあるし誰かに聞いたわけでもないのでよくわからないけど)。新しいことには挑戦しないし、無理だと思ったらすぐに諦める。

相反するようにも見える2つを一緒くたにして持っている身として、この語は大事にしないといけないと思った。今回の記事のタイトルにも少し忍ばせて、ちょっとばかりオシャレを気取ってみる。結局ビュー数もスキ数もいつもと変わらない、steadyな記事になると知っていながら、記事を出す前だけはお気楽に適当なことを言っていられるのが、悲しくも自分だ。


steady life、嗚呼、いいのだろうかこんなこと。

変わるべきときは来るのか。変わるのか。
知らないままでただ、生きていく。

あなたの力で、僕が何かをなすかもしれません