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疲れたら休むのはずる休み?

人間ですから、疲れることは誰にでもありますね。

この「疲れる」という言葉の難しさは、その程度がとても広いことではないでしょうか。

私の普段の仕事は眼科医ですから、当然「疲れ目」の患者さんが来られます。

皆さん「目が疲れる」とおっしゃいますが、その程度は様々で、

パソコンを1日中使ったら目が重くなった、なんてのも「疲れる」っていうし、一方瞼を開けてることがつらいなどの影響でテレビを5分も見ていられない人も「疲れる」と表現します。


さて、この疲れというのは、「休め」という体のサインだと思いますが、そのサインの言うことを聞いて休むことは良いことでしょうか?

それとも良くないことなのでしょうか。


先日、久しぶりに英語でも勉強しようかと思ってTEDアプリを開いたところ、

「”心の健康休暇”が生徒に必要な理由」というタイトルが目に飛び込んできました。

早速飛びついて聴いてみると、

スピーカーの方は6歳くらいからメンタルの不安定さに困っており、

お母様が「学校でうまくやっているのなら、1学期に3日、メンタルを整えるために休んでよい」と決めてくれた。

3日を使い切ることもあれば、不要のこともあったけれど、休んで良いという安心感で乗り切ることができる。実際彼女は高校生になるころにはメンタルの問題を克服。

この心の健康休暇を認める州の法律を作るに至った(実際作った!)。

小さいころ親が教えてくれたように、「たまには、休まなきゃ」なのである。


こうした考え方は日本発じゃないからこそ出てくるんだろうなあと感心しながら、英語で何度も聴いていたところ、

小学校2年生の娘が「何聴いてるの?」というので、概要を説明してみました。

すると、「疲れたから休むのはずる休みでしょ」

と言うのです。

私はそんなことを教えたことはありませんので、だれか別のどこからか仕入れたのだと思うのですが、

「誰に聞いたの?」と聞くと、分からない、とのこと。

先生なのかお友達なのか、メディアの影響なのかはわかりません。

しかし、

親がそう考えてなくても、今の日本の社会では小学校2年生の時点で

「しんどいから休むのはズル」とインプットされるということです。

インプットした側は、きっと「世の中の常識」だと思って疑わずに言ったのでしょう。

しかし、「ずるい」という言葉は、相手を責める意味合いを持ちます。

疲れたということで休むのは、責められるべきこと、という意味になります。

それでは、何なら休むことが正当化されるのかと考えると、小学生ならば熱があるとかおなかが痛いとか、そういう理由が分かりやすいですね。

ということは、

ストレスが身体化されるまでは休むことが許されないから「耐えて待て」という意味なのでしょうか。

ストレスが身体化されるというのは、体にとっては異変です。一大事です。それまで待て、さもなくばあなたは責められる対象だ、ということを平気で言う人は、

相手のストレスを身体化させるほど追いつめている自覚を持った方がいいです。それは、責任の取り切れないほどの問題だと思うのです。


疲れのサインを感じ取って、適切に休む判断をするのは自分しかできません。

ちょっと疲れただけで寝ればなおるのか、それとも朝から疲れているのか。その程度はあなたにしか分からないのです。

疲れた、というのは広い範囲があり、

高度な疲れは言い訳ではありません。

でも、十分に疲れているのに、「この程度なら頑張れる」と思ってそれを否定してしまうことが危険なのですから、

怠けることよりも、疲れすぎて糸が切れるリスクのほうが大きくないですか?



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