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自分を飾るのではなく、自分を手放す

僕は「インプロ」と呼ばれる即興の演劇をパフォーマンスしたり教えたりしている。だから人前で話をすること自体は苦手ではない。むしろ得意と言ってもいいかもしれない。

しかし、自己紹介をすることはいまだに苦手だと感じる。

それは自分を上手に説明できないからではない。むしろ自分を上手に説明すればするほど、自分を理解してもらうことから離れてしまう気がするからだ。

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僕はインプロのワークショップをしているが、最近は意図的に自己紹介の時間を取らないようにしている。そのかわり、失敗して楽しめるようなゲームから始めることが多い。その内容はわりとなんでもよくて、例えば「後出しジャンケンで負ける」というようなものでもいい。(やってみると分かるが、どうしても勝とうとしてしまう。人間の習慣は恐ろしい。)

そういうワークショップをしていたら、参加者から次のようなフィードバックをもらったことがある。

「最初に自己紹介が無かったのがよかったです。自己紹介をすると、縛られちゃうじゃないですか。例えば自分の仕事を言うと、ここでも仕事モードになってしまう。」

「あと、失敗するようなゲームを最初にやってくれたのがよかったです。失敗している様子を見れば、その人がどういう人なのか分かるので。

当時の僕はここまで考えて自己紹介を省いていたわけではなかった。なんとなく「自己紹介の時間って、けっこう苦しいよね」という感覚に従っていただけだった。だからこのフィードバックにはとても考えさせられた。そして以前参加したワークショップのことを思い出した。

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そのワークショップとは、仮面を使ったインプロのワークショップのことである。講師はスティーブ・ジャランドという、この世界ではトップクラスの人である。

このワークショップの中ではコンタクト・インプロヴィゼーションを行った。コンタクト・インプロヴィゼーションとは、パートナーと身体を触れ合わせながら動く即興のダンスのことである。

ただしこのワークショップではコンタクト・インプロヴィゼーションを仮面を被ったパフォーマンスとして行った。また、「踊っていて失敗したらお客さんを見る」というルールが追加されていた。これは自分が失敗したことをお客さんに正直に見せるためである。

僕はコンタクトの経験が少しあったから、踊ることに問題はなかった。それに対して他の参加者はコンタクトの経験が無い人ばかりだったから、みなうまく踊ることができなかった。

ところが、仮面のパフォーマンス(コメディー)として面白くなるのは圧倒的に他の参加者たちだった。彼ら彼女らはコンタクトの経験がないから、すぐに失敗してしまう。しかしそれを正直に見せることができれば、お客さんは喜んでくれる。

何かを上手にできている時よりも、何かを上手にできない時のほうが、その人の本当の姿が現れる。それを見せることは恐いことかもしれないけれど、お客さんが見たいのはそういう姿なのだった。

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「表現」というものは、「表現するもの」ではなく、「表現されてしまうもの」なのだと思う。そして自己表現とは自分を飾ることではなく、自分を手放すことなのだと思う。

仮面のワークショップでは僕のコンタクト・インプロヴィゼーションは面白いものにはならなかった。なぜならほとんど失敗しなかったからだ。そしてそれは「まぁきれいに動けてはいるけれど……」というものに過ぎなかった。パフォーマンスの後、僕はスティーブから「あなたはもっとチャレンジしていい」というコメントをもらった。

僕はこれまでインプロは「失敗してもいいもの」だと思っていた。しかしインプロは「失敗したほうがいいもの」なのだと分かった。失敗しないということはチャレンジしていないということである。しかしインプロの面白さはチャレンジすることにある。チャレンジして、奇跡が起きたり失敗したりする。だからこそ見る価値があるものになる。

失敗を恐れずチャレンジしている姿に、人はその人を見る。そういうことが面白くて、僕はインプロをやっている。

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