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植木等『植木等的音楽』を聴いて(後輩Bとの対話)

私「これ、植木等ソロ活動期の最後のアルバムで、プロデューサーが大瀧詠一なのね。しかしまあ、本当にオススメ!

https://youtu.be/XCnzFP0i0AA

「ナイアガラ・ムーン」「FUN×4」と、大滝詠一の楽曲の植木等によるカバーも入っているのだけれど、それらがなんというか、めちゃくちゃ歌唱力が高い訳ではないのだけれど、往年のフランク・シナトラのような、えもいわれぬ老練の味を出していて、とっても豊かだなぁって思う。

あと、21世紀音頭では三波春夫と、針切りじいさんのロケンロールではまる子(TARAKO)とデュエットしたりと、ゲストも面白い。」

B「おぉ、なんか普通に豪華ですね。

今聴いてます。何だか増してシナトラ感があるというか、オーバーな表現がなくとも自分の歌に置き換えてみせるところがいいですね。」

私「そう、まさにそう
無理してない感じね…

植木等のボーカリストとしての魅力が遺憾なく発揮されていて、素晴らしい。」

(2021.7.5)

私にとってのこのアルバムの白眉は、唱歌をシンプルな伴奏で素直に、しかし自然な感情を込めて歌う、6「旅愁」→7「しかられて」という流れである。

「旅愁」では植木のお仲間(クレイジーキャッツ)の谷啓によるトロンボーンがフューチャリングされていて、古き良きアメリカのような、そしてそのままそれが植木等が踊り歌った古き良き日本を連想させるような、素敵でありながらまさしく「郷愁」を思わせるような音楽に仕上がっている。

一方の「しかられて」では、ピアノ伴奏というほぼ裸一貫で、しかもシンプルなメロディーである大正時代の童謡を、切々と歌っている。なんの飾り付けもないトラックなのに、なんの捻りも工夫もあるわけでない、しかし、だからこそ「歌う」という植木等の行為に頭が下がる心持ちがする。
他の曲で大瀧詠一のアレンジとか植木等のハッピーな歌い方が目立っている分、「しかられて」の実直さが、最高に引き立っているのである。

大瀧詠一が植木等を好きで尊敬していたのは、例えばGo!Go!Niagaraのクレイジーキャッツの回を聴いたりすればわかるのだが、そんな大瀧の愛と敬意と、それに真摯に応える植木等の遊び。「スーダラ節」での、肩肘張らずに力を抜いて、ひとびとを笑わせる歌声が、時代的に超越性をもっているということを証明したアルバム。


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