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80sのマドンナを聴いて(日記の一部)

[マドンナは]1982年、DJのマーク・ケイミンの仲介で、ワーナー・ブラザース・レコード傘下のサイアー・レコードと契約し、同年10月シングル「エヴリバディ」で歌手デビュー。「エヴリバディ」はビルボード・ダンス・チャートで3位のヒットとなった。
1983年、デビュー・アルバム『バーニング・アップ』を発売。全米で500万枚、全世界で1000万枚という成功を収めた。アルバムからは計5曲がシングルカットされ、マドンナにとって初の全英チャートトップ10ヒット曲「ホリデイ」や、初の全米チャートトップ10ヒット曲「ボーダーライン」などが発表された。

Wikipedia「マドンナの歌手活動の歴史」より

1st “Madonna” (邦題『バーニング・アップ』)

1983年の記念すべきデビューアルバム。一曲目の冒頭で煌びやかなシンセサイザーが、歌姫の誕生を高らかに告げる。全編ディスコ・ミュージックだと考えてよいだろう。70年代のディスコが暖色系で暗く汗くさいイメージなら、80sのそれは寒色系でミラーボールが冷たく光り、皆すまし顔。クール・ビューティーの一言。
(2024.2.29)


1984年、2ndスタジオ・アルバム『ライク・ア・ヴァージン』を発売。全世界で2100万枚、全11ヶ国でチャート首位を獲得し、一躍大ブレイクを果たした。アルバムからの第一弾シングル「ライク・ア・ヴァージン」はマドンナにとって初の全米1位曲となり、6週連続1位のメガヒットを記録する。続く第二弾シングル「マテリアル・ガール」も全米2位を記録し、物質至上主義・拝金主義的な女性という意味の楽曲名はマドンナ自身の愛称となった。

Wikipedia「マドンナの歌手活動の歴史」より

2nd “Like A Virgin” (『ライク・ア・ヴァージン』)

1984年2ndアルバム。歴史的名盤。
そんなにスゴいのか?スゴい。当時最先端のディスコ・サウンドを反映させた前作に比べ、今作では50~60年代ポップスのイディオムをあちこちに聴くことができる。それは回顧趣味に走っているわけではなく、ポップスという音楽の質を求めるために、過去の遺産をふんだんに使おうとしているのだ。その結果、時代を超えた普遍的なポップスとして高らかに鳴り響いている。
(2024.3.1)


1986年4月、新作アルバムからの先行シングルで、夫のショーン・ペン主演映画『ロンリー・ブラッド』の主題歌でもあった「リヴ・トゥ・テル」を発表。6月には第二弾シングル「パパ・ドント・プリーチ」を発表し、当時アメリカ社会で問題になっていた10代の妊娠について書かれたこの曲は、社会政治団体を巻き込んだ論争となる。同月30日には「パパ・ドント・プリーチ」のミュージック・ビデオと共に、3rdスタジオ・アルバム『トゥルー・ブルー』を発売。全世界28ヵ国で1位を記録する大ベストセラーとなり、この記録は『ギネス世界記録』にも認定された

Wikipedia「マドンナの歌手活動の歴史」より

3rd “True Blue” (『トゥルー・ブルー』)

1986年3rdアルバム。記録的大ヒット、マドンナは一躍スターダムに。
音楽としては前作の拡張ではあるが、60年代ポップスあり、ラテンありと、より多彩になった印象を受ける。それは作曲・プロダクション面のみに限らず、例えば四曲目のバラード“Live to Tell”では、マドンナ自身のボーカリストとしての成熟を、明かに聴くことができる。
(2024.3.5)


[1987年]6月、初のワールドツアー「フーズ・ザット・ガール・ツアー」の日本公演のため2度目の来日を果たし、計4公演(大阪・東京)で12万2000人を動員した。7月、自身の主演映画のサウンドトラック『フーズ・ザット・ガール』を発売し、全米1位に輝いたタイトル曲と「コモーション」がそれぞれ大ヒットを記録する。
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[1989年]3月、4thスタジオ・アルバム『ライク・ア・プレイヤー』を発売。タイトル曲「ライク・ア・プレイヤー」のミュージック・ビデオで十字架を燃やすなどの大胆な演出を用い、世界的な宗教上の議論を巻き起こした。9月14日、ショーン・ペンと離婚する。

Wikipedia「マドンナの歌手活動の歴史」より

4th “Like A Prayer” (『ライク・ア・プレイヤー』)

1989年4thアルバム。私的告解とスター的教導を、ポップ・ミュージックの普遍性を信じて歌い上げる。その姿に心を動かされる。

少女に語りかけるようにして深く内省していく“Promise to Try”は、まさに現代の、決意に満ちた女性シンガーの渾身の一曲を作る上での、思想的にもサウンド的にも雛形となっているのではないか。

子供をあやすような“Dear Jessie”の幻想的なサウンドから、一転して実父のネグレクトに対する非難、諦念、そして自らの解放感についての告白を歌う“Oh Father”という、子を見つめる自分が、内面へ沈潜し、逆に自己の子としてのルーツを見つめ直すような流れには、神々しささえ覚える。

成功へのプレッシャーと、生活(過去及び当時の私生活)の辛苦が重くのしかかった彼女ゆえに為し得た、ポップスという音楽が到達した、人々に力を与え続ける傑作。
(2024.4.9)


1990年3月、シングル「ヴォーグ」を発表。ミュージック・ビデオで披露されたヴォーギングが流行して600万枚以上を記録する大ヒットとなる。4月には通算3度目のツアー「ブロンド・アンビション・ツアー」を敢行、来日公演を皮切りに4ヶ月間、全57公演を行った。5月、出演映画『ディック・トレイシー』を基に作られたサウンドトラック『アイム・ブレスレス』を発売。11月には初のベスト・アルバム『ウルトラ・マドンナ〜グレイテスト・ヒッツ』を発売し、全世界でソロ・アーティストのベスト・アルバムとしては史上最高売上となる3000万枚を記録する。

Wikipedia「マドンナの歌手活動の歴史」より

OST “I'm Breathless: Music From and Inspired by the Film Dick Tracy” (『アイム・ブレスレス』)

1990年主演映画のサントラ。1930年代のアメリカが舞台なので、同時代の雰囲気を表した曲が多く(あのスティーヴン・ソンドハイムも楽曲をひとつ提供している)、おおむねジャズ・ボーカル作品としてマドンナの歌声を楽しめる。スウィンギーでハッピー。

しかし、ヴァージョン違いのPart 1とPart 2が二曲続く“Now I'm Following You”において、オールド・ダンスのサウンドだったパート1が終わると、シームレスにパート2に繋がり、そこではさっきのスウィングが現代風(90年当時)のダンス・ポップのサウンドにアップデートされる。
これだけでも鳥肌モノなのだが、さらにそこから、シングル曲でハウス・ナンバー“Vogue”へと繋がるのにはシビれる。いわゆるハウス・ミュージックはマドンナのアルバムに初登場?新しい時代の扉が開いた感じがしてめちゃカッコいい。
(2024.4.11)

読み返して、サントラ一枚目の『フーズ・ザット・ガール』(1987)を聴いていないことに気付いた。聴かねば。

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