80sのマドンナを聴いて(日記の一部)
1st “Madonna” (邦題『バーニング・アップ』)
1983年の記念すべきデビューアルバム。一曲目の冒頭で煌びやかなシンセサイザーが、歌姫の誕生を高らかに告げる。全編ディスコ・ミュージックだと考えてよいだろう。70年代のディスコが暖色系で暗く汗くさいイメージなら、80sのそれは寒色系でミラーボールが冷たく光り、皆すまし顔。クール・ビューティーの一言。
(2024.2.29)
2nd “Like A Virgin” (『ライク・ア・ヴァージン』)
1984年2ndアルバム。歴史的名盤。
そんなにスゴいのか?スゴい。当時最先端のディスコ・サウンドを反映させた前作に比べ、今作では50~60年代ポップスのイディオムをあちこちに聴くことができる。それは回顧趣味に走っているわけではなく、ポップスという音楽の質を求めるために、過去の遺産をふんだんに使おうとしているのだ。その結果、時代を超えた普遍的なポップスとして高らかに鳴り響いている。
(2024.3.1)
3rd “True Blue” (『トゥルー・ブルー』)
1986年3rdアルバム。記録的大ヒット、マドンナは一躍スターダムに。
音楽としては前作の拡張ではあるが、60年代ポップスあり、ラテンありと、より多彩になった印象を受ける。それは作曲・プロダクション面のみに限らず、例えば四曲目のバラード“Live to Tell”では、マドンナ自身のボーカリストとしての成熟を、明かに聴くことができる。
(2024.3.5)
4th “Like A Prayer” (『ライク・ア・プレイヤー』)
1989年4thアルバム。私的告解とスター的教導を、ポップ・ミュージックの普遍性を信じて歌い上げる。その姿に心を動かされる。
少女に語りかけるようにして深く内省していく“Promise to Try”は、まさに現代の、決意に満ちた女性シンガーの渾身の一曲を作る上での、思想的にもサウンド的にも雛形となっているのではないか。
子供をあやすような“Dear Jessie”の幻想的なサウンドから、一転して実父のネグレクトに対する非難、諦念、そして自らの解放感についての告白を歌う“Oh Father”という、子を見つめる自分が、内面へ沈潜し、逆に自己の子としてのルーツを見つめ直すような流れには、神々しささえ覚える。
成功へのプレッシャーと、生活(過去及び当時の私生活)の辛苦が重くのしかかった彼女ゆえに為し得た、ポップスという音楽が到達した、人々に力を与え続ける傑作。
(2024.4.9)
OST “I'm Breathless: Music From and Inspired by the Film Dick Tracy” (『アイム・ブレスレス』)
1990年主演映画のサントラ。1930年代のアメリカが舞台なので、同時代の雰囲気を表した曲が多く(あのスティーヴン・ソンドハイムも楽曲をひとつ提供している)、おおむねジャズ・ボーカル作品としてマドンナの歌声を楽しめる。スウィンギーでハッピー。
しかし、ヴァージョン違いのPart 1とPart 2が二曲続く“Now I'm Following You”において、オールド・ダンスのサウンドだったパート1が終わると、シームレスにパート2に繋がり、そこではさっきのスウィングが現代風(90年当時)のダンス・ポップのサウンドにアップデートされる。
これだけでも鳥肌モノなのだが、さらにそこから、シングル曲でハウス・ナンバー“Vogue”へと繋がるのにはシビれる。いわゆるハウス・ミュージックはマドンナのアルバムに初登場?新しい時代の扉が開いた感じがしてめちゃカッコいい。
(2024.4.11)
読み返して、サントラ一枚目の『フーズ・ザット・ガール』(1987)を聴いていないことに気付いた。聴かねば。
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