4月に聴いたアルバム:クラシック編(日記)
セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル/ブラームス:交響曲第2-4番
第4だけ聴いた。1985年ライヴ。
この演奏におけるブラームスの美しい旋律は、歌というより大河のように悠々としている。第1楽章の三連符には激しさよりも情念が感じられ、奔流に呑まれていく。
第2楽章は不変の時を告げる鐘の響く聖堂で丁重に祈りを捧げるよう。そういや確かにブルックナー的な曲だ。この楽章の凄みを初めて思い知った。こういう演奏の後だからこそ、快活な第3楽章も生きるというもの。とはいえチェリビダッケはやり過ぎず、ふんわりと纏める。
第4楽章、管の和音が続くところは植物の発芽を想わせる。しかし再現部は充分な推進力で(チェリも叫ぶ!)、綿々たる気魄のもと、コーダまで歩を進めていく。
ブラームスを聴きたいな、と思って聴いたが、この難解で無数の解答が存在する曲の、とても充実した演奏を聴けて良かった。
(2024.4.8)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管/ブラームス:交響曲第1番他
1956年録音。チェリビダッケからの流れでそのまま第1も聴いてしまった。
思えば第1はこれまで、VPOやBPOによる壮麗サウンド路線のもの(カラヤンに代表される演奏)ばかり聴いていたかもしれない。
この時代のEMIとフィルハーモニア管なので、(ステレオではあるが)録音も悪く、木管もイマイチ(音程が合っていなかったり、ミスがあったりする)。
しかしそれを補って余りある、よく整理されたクリアなアンサンブルと、それに支えられた、重々しくない自然な進行感。これぞ私の好むブラームス!
この曲ともっとお近づきになれそう。
(2024.4.8)
クルト・ザンデルリンク指揮シュターツカペレ・ドレスデン/ブラームス:交響曲全集他
1971~72年録音。第2,3は聴いていたのだが改めて全集を。適度な力感と素朴なサウンドによる、質実剛健で気持ちのいい演奏。流石定評のある名盤だ。
…かと思いきや第4の3,4楽章めっちゃ熱演だった…ここに質実剛健という言葉は似合わない。やはりSKDはいいオケだ。東独オケのブラームスをちゃんと聴いてこなかった自分を恥じた。
あと《ハイドンの主題による変奏曲》に苦手意識があり、避けてきたのだが、改めて聴いてその瑞々しさと明るさに開眼した。それもザンデルリンクのおかげかな。
(2024.4.9)
チョン・キョンファ(vn)、ピーター・フランクル(p)/ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ全集
1995年録音。銀色の糸できめ細やかな刺繍を施すように、彫琢された美音を、情緒に溺れずに驚異の集中力で弾いていく。
聴きながら、彼女の音からコーガンとかハイフェッツを想起した。キョンファが13歳で入学したジュリアード音楽院で師事したガラミアンはアウアー(ハイフェッツの先生でもある)の孫弟子で、彼女が欧州に行ってた頃に習ったのはシゲティ。なるほど彼女はハンガリー~ロシア周辺の東欧圏の美学を継承しているわけだ。
時々息が詰まりそうになるが、こういう歌に逃げないブラームスも素晴らしい。その意味で、特に第3番がこのやり方にマッチしている。
(2024.4.10)
デュオ・クロムランク/ブラームス:ハンガリー舞曲集、16のワルツ
1981年録音。ブラームス自身が書いた4手連弾の原曲を改めてちゃんと聴いてみる。
どれもシンプルな構成ゆえ、彼のピアノ書法やリズムの妙が際立ち、愉しい。特に低音が厚く悠々と動いているのが、この作曲家らしいなと思う。16番がお気に入り。
それとワルツ集、こんなに良い曲だったのね…
(2024.4.10)
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団/ブラームス:交響曲全集
1981年録音。第1番のみ聴いた。昔、好奇心で買った以降ちゃんと聴いてなかった。
金管が「赤い」のを除けばとても正統的。特に弦楽器には熱意を感じる。優れたブラームスだ。
しかしどんな想いで弾いてたのだろう。日本人が演るのよりは身近に感じてたのかな?
(2024.4.13)
クリスティアン・テツラフ独奏、トーマス・ダウスゴー指揮デンマーク国立交響楽団/ブラームス&ヨアヒム:ヴァイオリン協奏曲集
2006~07年録音。曇り空のようなデンマーク国立響による導入のもと、透徹したヴァイオリンが響き渡る。
テツラフの音は青い焔のように耳を惹きつけて離さない。上品でありながら、内に秘めた熱い、とて熱いロマンティシズムを感じる。ダウスゴーの指揮もメリハリがあり、テツラフにぴたりとつけていて素晴らしい。特に第3楽章、この一貫して楽天的な曲を、一切だれずに、最後まで緊張感をもって演奏しきっているのには、見事という他ない。
併録のヨアヒムの2番『ハンガリー風』(1857)も物凄い。第3楽章はロンド形式で、主部は独奏者が民族的な舞曲を休みなく弾きまくる無窮動。長大で大変な技術を要するこの難曲を、テツラフは集中力を切らさずに弾ききっている。すごすぎる。
ヨアヒムの第3楽章が、同じくハンガリー風の(正確にはロマの音楽だが)ブラームスの協奏曲(1878)に影響を与えたのは明らかだし、チャイコフスキーの協奏曲(1878)などにもかなり似ている。
元を辿ればメンデルスゾーンの協奏曲(1844)に行く着く、ロマン派におけるヴァイオリン協奏曲の終楽章の、一つの系譜が見えてくる。
(2024.4.15)
エフゲニー・キーシン&ジェイムス・レヴァイン/シューベルト:4手のためのピアノ作品集
2006年、カーネギー・ホールにおけるライヴ録音。
《大二重奏曲(グラン・デュオ)》D.812を初めて聴いた。第1楽章第1主題の、句点を打とうとしながらも、次々に楽想が涌き出てきて、天高く飛翔していく感じ、やっぱりこの作曲家はすごい…
第3楽章のスケルツォなど《ハンマークラヴィーア》に負けずとも劣らないし、第4楽章の《グレイト》にも通じる、ひたすら前のめりで楽天的で、それが逆に悲壮を感じさせる音楽など、素晴らしい。長きにわたり交響曲のスケッチだと思われていたのも納得の充実度だ。
もちろん他の大曲も聴き応えがあるし、最後に二つ続けて演奏される(比較的)小規模な行進曲も愉しい。これらの曲の生演奏の議会があれば是非接してみたい。
(2024.4.18)
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団/ブラームス:交響曲第1番他
2019年ライヴ録音。
誰が演っても良くなる曲を振らせたら、右に出る者はいない指揮者であると、ブロムシュテットについては個人的に思っている。それは恐らく彼の人間性に由来するのではないかとさえ思う。
じっさい本当に文句のない名演奏だし、特に第1楽章の、フレーズひとつひとつの間の取り方、第2楽章のソロヴァイオリンのバランス(録音もあると思うけど)などは、そうか、こんな音楽だったのかと、いちいち目から鱗が落ちる。
ただ第4楽章の主部は、かなり遅めのテンポで進むため、ついていくには根気が必要かもしれない。しかしそこには確固たる意志があるのだろうし、私たちにそれをとやかく言う資格は無いのだろう(と思ってしまう私はもう信者かしら?笑)
また最新録音ながら、モノラル録音のようにオケ全体がひとつになって聴こえるミックスも好みだ。
(2024.4.22)
ルドルフ・ゼルキン(p)、ハイメ・ラレード(vn)、フィリップ・ネーゲル(va)、レスリー・パルナス(vc)、ジュリアス・レヴィーン(cb)/シューベルト:ピアノ五重奏曲『ます』
1967年録音。第一楽章から、ラレードのソリスティックで派手なヴァイオリンに驚く。彼を始めヴィオラ以外はアメリカ人。だからなのか、端正なゼルキンに比べみんな派手で元気がいい。
これはミスマッチか…と思ったのも束の間、彼らに引っ張られてか、ゼルキンはいつになくノリノリで、音がぴちぴちと若々しい。自身が主催したマールボロ音楽祭での仲間、ということもあるのだろう。
どの楽章も闊達に進むが、しかし勿論ゼルキンは冷静さを失わない。心技体という言葉も頭に浮かぶ。特に第4楽章、それぞれの弦楽器のメロディーの後ろで、簡にして要を得た伴奏を繰り広げるゼルキンはやはり見事。
ハッピーであると同時に、とても優れた、満足度の高い名演奏。
(2024.4.23)
リサ・バティアシュヴィリ独奏、クリスティアン・ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデン/ブラームス:ヴァイオリン協奏曲;クララ・シューマン:三つのロマンス
2012年録音。やや風変わりな前奏に続き、切れ味鋭く、同時に伸びやかで、しつこくないヴァイオリン。
そう、しつこくない。全体的に情感を込めすぎずアッサリ進んでいく。それはヴァイオリニストのみでなく、指揮者の好みも反映されているような…(オケのみの部分も、結構さらさら流れていく)
その点、特に第3楽章は、快い速歩で進み、曲の性格とマッチしている。気付いたら終わってる。スッキリとしたブラームスもまた、たまには良いものですね。
カップリングのクララ・シューマンは可憐な小品。ピアノとの二重奏で、ピアノはアリス=紗良・オット。
(2024.4.25)
ヤッシャ・ハイフェッツ他/二重協奏曲集
1956~61年録音。バッハとモーツァルトは良くも悪くもハイフェッツ的な演奏。
ブラームスの二重協奏曲を改めて聴いて、ハイフェッツ及びウィリアム・プリムローズ(vc)の鋭角的な演奏が、RCAのキレの良い録音も相まって、とてもモダンな、新古典主義を予期する音楽に感じられた。
第1楽章は三連符と二分音符が同時に鳴るぼやかされたリズムと、メトリックなリズムの箇所が混在し、さながらシューマンとバロックの融合のように聴こえた。冒頭の跳躍が激しい主題は表現主義とも通ずるものがあるように思う。第3楽章は、それこそシューマンのチェロ協奏曲の第3楽章の影響を聴き取れるがソロの絡みなどはバロックの合奏協奏曲を思わせる。
交響曲第3番辺りから覗かせていた、ブラームスのバロックへの傾斜(紡ぎ出し的な作曲)が、さらに前面に出た曲なのだなと、改めて認識した。
(2024.5.1)