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中学三年生の挑戦-四国一周への道-

私は現在高校三年生。どこにでもいるような高校生男子だ。
そんな私にも実はこんな過去がある。中学生の時、私はあることがきっかけで自転車に熱中した。これは、そんな私の人生初の自転車旅までを追いかけたちょっと脚色の入った実話である。

第一章 コロナ禍まっしぐら!


2020年、ついこの間まで、外国のことであった新型コロナウイルスが、少しずつ日本へやってきたかと思うと、いつの間にか緊急事態宣言という、聞いたこともない宣言が出されるような事態になっていた。
新年度が始まった中学校も当然ながら登校できるわけもなく、オンライン学習となった。退屈なオンライン学習の傍ら、家庭菜園を始めてみたりと、中学生の私は中学生なりに退屈の埋め合わせをしようと日々色々と考えていた。
そんなある日、遂に緊急事態宣言も一時的に解除され、中学校は登校再開へと歩み始めたのだが、私は家族とともに足踏みをしていた。
なぜなら、私の父親の仕事の特性が、出張が多く、全国各地を飛び回っていたためだ。これはコロナ禍だから減るということもなく、当時の世の中的に言えば、かなりコロナ感染のリスクが高い環境にあった。
それに加えて、2時間かけての電車通学にも、感染のリスクだけでなく、自粛警察のリスクもあった。現状がよくわからない中で、登校を再開してよいものかと家族は頭を悩ませていた。
そんな家族に突拍子もない提案をするところから、このお話は本格的に始まる。

第二章 自転車で往復60㎞通学してみた!?

コロナ禍まっしぐらの2020年、私は家族に、こんな提案をした。

「コロナの感染リスクが心配なら、自転車通学がしてみたい」。

両親もさぞかし「はぁぁぁぁ?」と思ったことであろう。
けれども私の両親は学校とも交渉してくれて、結果的に自転車通学が許可される運びとなった。中学一年生の時に買ってもらった折り畳み自転車で始まった自転車通学。
ここからが本番!と言いたいところではあったが、およそ一週間で高熱により頓挫。当然であろう。今までまともにロングライドもしていない輩が、いきなり60キロを5日間も走ったのだから。
ちなみにこの無茶な性格は今でも変わっておらず、高校一年生の時にランニングのし過ぎで疲労性骨膜炎なるものでドクターストップをかけられ、1か月間走れなかったこともある(笑)
しかし、たった5日間のライドでも、自転車の魅力に気づくのには十分な時間だった。
例えば、流れゆく景色の変化の面白さ。私は漕ぐのが大して早いわけではないので、平均時速10~12kmぐらいでいつも移動していますが、この絶妙な景色の流れがいいなあと思うわけだ。
ちゃんと集中していても、気づいたら「もうここまで来てた」なんてこともしょっちゅう。
このポイントでまず自転車に惹かれた。
次に、自転車上から感じる空気。風を切りながら走るときも気持ちいですし、都会の排気ガス臭さも、あるいは森林からほんのり香る木々や小鳥のさえずり。
登下校中に心をリフレッシュ出来て、こんな体験を長期間出来たら楽しいだろうなあと思った。
最後に私はバスや鉄道が好きなので、走る途中で見かけるバスや電車、新幹線の姿を見てとにかく興奮していた。
こういった風景も、旅先ではまた違った感覚を味わえそうだなと思った。
そんなこんなで(説明雑だな)、結果的に私は旅をすることでもっと色々な感覚を感じてみたいと思うようになり、自転車旅の計画を始めることとなるのであった。

第三章 いざ、自転車旅計画開始!

さあてさて。行きたい思いはまとまったところで、次は行き先である。
日本一周?
いやいや、中学生という枠の中にいるのに、今から飛び出していたら中学卒業してしまう。
じゃあどこへ行こう?色々行き先を検索したり、いろんなブログを読んだりしてみた。
一番メジャーなところでいえば、ビワイチも出てきた。
しかし、何か違う気がする。もっとスケールがでかくないと楽しめない。
九州一周?ちょっと長いかな。
そんなことを考えながら、そういえば自分のルーツは四国にあったなということを思い出し、四国一周というワードを検索エンジンにかけてみた。
すると出てきた出てきた。
公式サイトに広がる青い海と、おいしそうな四国の食の数々、豊かな風景。
ここに行こう。直感がそう言っていた。
そこからはもうあっという間に簡単な計画書と、ち密な計算書を作り、親に話すまでに至った。
しかし、ほぼ何も持っていなかった僕には、初期費用含め、莫大な費用が掛かるプロジェクトで、且つ、中2でやるのは勿体ないし、全然長距離ライドに慣れていない状態で行くのは危険だなという話になり、1年間の準備期間を設けることにした。
とはいっても、本格的に動き出すのは実施の半年前。
2021年4月。私は中学3年生になった。
私の通った中学には、卒業プロジェクトなるカリキュラムがある。
卒業までの最後の一年間に、自分が本気で夢中になれるものを突き詰めて報告するというものだ。
実は元々、中2での実行を諦めた時から、このカリキュラムの中で実現させるイメージを膨らませていた。
こうして、卒業プロジェクトの開始とともに、四国一周プロジェクトは始まりを告げた。

第四章 クラウドファンディングの船出

四国一周実現の第一歩は、はじめにクラウドファンディングの準備から始まる。そもそもクラウドファンディングを使おうと思った理由は、何とも不純だが(クラウドファンディングをやる時点で大体理由は決まっている)、お金が足りないからだ。
ただ、お金が足りないという理由を美化する意味で、「人との出会い」を目的にもしていた。
しかし、後々この理由の方が大きかったということに気づかされることになるのだが、それはまた後程触れるとしよう。
クラウドファンディングの準備は、ある程度大変だろうなとは思っていたけれど、思っていた以上に難しさもあった。
まず、私が利用したREADYFORというサイトにはシンプルとフルサポートという大きく分けて二つのプランがある。
フルサポートプランは、計画から達成まで、特定の担当者がずっと伴奏してくれる、割とうまくいきますよパターンだ。
但し、その分手数料はかかる。だが、確実に広告もしてもらえるから、自分を知らない人の目に留まるという確率も上がったりする。
ここで私はシンプルプランを選択した。とはいっても、シンプルプランでも勿論担当者はつくし、その担当者と公開までは相談しあう形になる。
また、金額の集め方にも種類がある。目標金額に届かなくても受け取るパターンとそうでないパターン。私の場合は、目標金額が集まらないとプロジェクトの実現が叶わないので、ALL or Nothing型と呼ばれる、目標金額に至ればもらえる方を選択した。
お次はリターンの決定と、ページの制作、そしてその裏で、1年前に作った稚拙な計画書の手直しも行いつつと、とにかく大忙し。
元々夏休みに行く予定で計画していたが、とてもそのようにはいかなくなり(スケジュールの面と世相の面)、とにかく実現できればいつでもいいという何とも自己中な目標だけ立てて、無心にページを作った。
ページなんて、誰も読まないだろうという思いがなかったといえばうそになる。
でも、一人でも読んでくれる人がいれば、いや、居なくてもやっぱり自分の気持ちは真剣に表現したいと思い、とにかく時間を費やして、いろんな大人の協力も得て、ページ作りに励んだ。
正直なところ、学校の先生や、繋がってくれた大人の存在がなければ、最終的に達成には至らなかったはずだ。
だから当時私とかかわってくれた大人には本当に感謝しかない。
ページの内容も固まってきたところで、やっぱり悩むのがリターンだ。
「手書きの手紙」というところまではすぐ固まった。
けれども副産物がなかなか思いつかない。やっと思いついたのが活動報告書。
一瞬お土産を送ろうかとも考えたがこれは食品衛生法や、販売許可などが必要で、一万円で講習会を受ければ資格が取れるようなことも調べた結果わかってきたが、それも何か違うなぁと。
結果的には以下のようなリターンになった。但し、リターンの内容は個々人との相談などで最終変更もあった。



・¥3,000  :活動報告書、感謝のお手紙
・¥5,000  :活動報告書、感謝のお手紙、Special Thanks、限定公開動画リン 
        クの共有
・¥8,000  :活動報告書、オリジナルグッズ、感謝のお手紙、Special       Thanks、オンライン座談会参加権利
・¥15,000:活動報告書、個別座談会実施権利、Special Thanks、オリジナル    
      グッズ、感謝のお手紙
・¥2,5000:参加人数無制限座談会の実施【団体向け】、活動報告書PDFの
      送付、Special Thanks

※SpecialThanksはすべて任意。参加者の希望に応じて、動画のエンドロール
 と活動報告書の最後にそれぞれのお名前を記入した。
※感謝の手紙には、記憶している限りのお一人おひとりとのやり取りを踏ま
 えての感謝や、思いを書かせていただいた。


このリターンに至るまでに、本当に時間がかかった。紆余曲折があったし、まあこの文章を見せられただけだと、「充実した内容」に映る部分もあるが、実際はそうでなかったり最後はかなり難しかった。
クラウドファンディングにおいて、リターンの完成度をどこまで自分自身に求めるかというのはなかなか大きな課題でもあると思う。
勿論、基本的に見返りの大きさを求めて支援する人はクラウドファンディングの支援者には多くないけれど、やっぱり支援してもらうのだから、それなりのリターンを用意したいという思いもある。
ただ、リターンにお金を使いすぎるのも、これまた本末転倒と言える。
なので、リターンは絶妙な匙加減が大切になってくるのだ。
さて、何とかリターンも纏まったところで、運営側とのコンタクトもほどほどにいい感じとなり、後は公開日を決め、公開期間を決め、ひたすらPRするのみとなった。
公開期間は、1か月。そして公開開始日は夏休み初日。
私の中学最後の夏休みは、クラウドファンディングをPRし続け、且つ成功するか失敗するかの瀬戸際でハラハラと過ごすことになったのである。
これはこれでなかなかできない人生経験で面白かった。
普通に生きていたらクラウドファンディングをしようなんてなかなか思いませんからね。
そして何よりも、こんな自己中な、言ってしまえば「金がないから投資してくれぇ」というプロジェクトを公開するという奴も相当少ないかもしれない。
そうそう、ここで余談だが、ちょっと面白いエピソードがある。
クラウドファンディングサイトをあさっていたある日、こんなプロジェクトがお勧めに出てきた。
「i padを買うお金を下さい」というようなタイトルだったと記憶している。
要は、大学の授業に必要なi padを親に買ってもらっているのだが、過去に数回壊し、さすがに親ももう買わんと言っている状況でお金がなくてクラウドファンディングをしているというものだった。
冷静に考えれば目標達成するとは考えにくいプロジェクト内容だ。
そう思うと同時に、一方で私のプロジェクトはそれっぽい大義名分があるだけで、大してそういうプロジェクトとやろうとしていることは変わらないのかもしれないなぁとも思った。
と、余談が長くなってしまった。
戻るとしよう。
事前に顔見知りの人に自分でチラシを渡したり、誰も見ていないユーチューブに動画を上げたり、フォロワー入るけどまともに繋がれている人は少ないTwitterに事前告知したりして…
2021年7月20日午前10時。クラウドファンディング、スタート。

第五章 クラウドファンディング=出会いの場

その日、私は学校で学期末の大掃除に参加していた。
学校の職員にも「今日、公開か~」と言われながら、その時を迎える。
その時私は、学校の階段をリビング用せっけんで磨いていた。
当時の私は毎学期必ずと言っていいほど会談の掃除をしていたので、その時もそうだった。
どういうわけか階段という空間が好きだった。
まるでプロジェクトに向けてまた一歩を踏み出している自分の前に広がる次のステップを全部表しているかのような階段。
そんな象徴的な場所が、中学生の私にとっては惹かれる場所だったのかもしれないとも思う。
(多分当時は大して考えてない(笑))
掃除を終えて、家へ帰ると、初めての支援者からのメッセージと、支援が届いていた。
そんなに多額ではないし、まだまだ達成までは程遠いけれど、たった一人からの支援でもうれしくて、そこから一人ひとりに読む気も失せるような長文の感謝のメッセージを送る日々を繰り返した。
最初は思うように滑り出さなかったけれど、徐々に様々な知り合いの人脈で広がっていったり、発信力が低い私自身のSNSにも目を留めてくださる方がいて、ごく少数ではあるが、そういった方からのご支援も得ることができた。
実際、クラウドファンディングは見知らぬ人を獲得するよりも、知人に広げた方が圧倒的に達成されやすいと言われる。
だから、私は成功したのだろう。私を直接的に知っている方も、親や知人を通して間接的に知っている方もいた。
そうした様々な方の存在があってこその成功だったと思う。
私はクラウドファンディングを通して、こんなにも私の
「やりたい」
という気持ちに真摯に、真剣に向き合ってくださる方がいることを始めて肌で感じることができた。
あの時の感動というのか、感情というのかは、今でも全くもって忘れない。
とにかくうれしかった。
自分の思いが少しでも届いたんだと。
ただただ心から応援してくれる方も、本気でアドバイスを下さる方も、私のことを思っているからこそ厳しい意見を下さる存在もいた。
そういう方々の存在が、どれだけ私の救いになったか。
どれだけ「がんばろう」という原動力につながったか。
今の時代、SNSはものすごく幼稚なコミュニティになり果てている。
けれども、僕はクラウドファンディングに未来を感じた。
これはある意味、新しいSNSとのかかわり方の一つなのかもしれないなと思ったわけだ。
SNSは私のイメージとして、言葉のゴミ箱感がある。
けれど、クラウドファンディングは自分で言葉を生み出して、自分がやりたいことや自分自身を表現して、投資してもらうというシステム。
お金だけのつながりで終わらせることもできるし、お金だけじゃないつながりを見出すこともできる。
使い手次第だし、かかわり方次第。
大いに変わる。だからこそ面白さと未来を感じるのだ。
実際に、当時は新型コロナウイルス禍だったこともあり、実施に条件を設けるかとか、世間体をどう守るかとか今思えば保身的なことも考えていた。
それも、とある支援者の方からのメッセージなどで、考えるきっかけを頂いたり、中にはそんな制限何て設けなくてもいいという方もいらっしゃったけれど、やっぱりやらせていただく以上、はっきりさせておくべき条件はあるなと思い、公開後もページの追加改善等を行った。
そんなことを繰り返すうちに、気づけばあっという間に1か月の時は過ぎ去った。
2021年8月17日、遂に目標金額達成。
その後も想いをもってご支援くださる方が何名かおられて、最終的な達成率は終了日の8月20日時点で116%。
金額にして合計で383,000円、人数にして69名のご支援を頂くことができた。
金額は当然だが手数料が引かれる為、最終私の手元に入ったのは299,444円。
それでも当初想定した金額より少し多め。達成できない想定はいくらでもしたけれど、達成はおろか、目標を超えた支援はうれしい想定外だった。
達成した日は、朝起きてスマホで自分のページを確認することから一日が始まり、達成を知った時の率直な感想は

「肩に見えない何かが乗った気がする」

という感覚だった。
これはおそらく、私なりにお金を頂いたことに対する責任を感じたからだと思う。改めて責任をもってプロジェクトを実現させたいと、そう決意を新たにした。
クラウドファンディング終了から10日後、新学期が幕を開ける。
本来ならば9月1日から四国一周を始めたかった私だが、まだ十分な準備が整っていなかったり、世相的な面も影響して、夏休み⇒9月の変更をさらに10月の実施に延期させることになった。
ただ、実はクラウドファンディングの裏でも準備はしていて、親と交渉し低価格帯のスポーツバイクの購入(クロスバイク)、テントの購入(今回の旅では出番が少なかった)、その他キャンプ道具の購入を行っていた。
行程や宿泊先の調整も進めつつ、10月の実行日は着実に迫ってきた。

第六章 Goproが届かない!!!

10月初旬、私はあることに焦りを覚え始めていた。
クラウドファンディングのリターンの一つにある、動画を撮影するために割安で購入したGoProがなかなか届かなかったのである。
通常配送だと3~4日で届くとのことだったが、待てど暮らせど届く気配すらない。
まだかまだかと胡坐をかいていると当初予定していた開始日の10月4日も余裕で過ぎてしまった。
そんなある日、私の携帯の着信音が鳴った。
出ればなんと関西空港の税関でGoPro側のミスで住所が誤まって記載されており、その確認に時間を要していて、私の住所があっているかどうかの確認の電話だった。
つまり、中国で包装された私の荷物の宛名を向こうで作成した際にミスが生じて、空港でしばらく荷物が立ち往生してしまったというわけだ。
何とも迷惑なお話…、まあうまくいかないのがスケジュールの面白さであり醍醐味でもあるのだが。
とにかく原因がわかってよかった。
届くのは1、2日後くらいと見たので、開始日を10月9日として、スケジュールを再調整の上、学校側にも半月ほど学校を休む旨を了承してもらった。

第七章 いざ、出発~12日間の旅開始~

四国一周1日目【10月9日(土)】


移動距離:50km
獲得標高:378m
走行区間:京都府某所→大阪南港フェリーターミナル


自宅で15時ごろから出発の最終準備を始めた。
事前にパッキングしておいた、フロントバッグ、サドルバッグ、フレームバッグ、トップチューブバッグをそれぞれ自転車に取り付け、自転車のボトルホルダーの調整等も行いつつ、出発をしようと考えていたのだが、バッグを取り付けるのに思ったよりも時間がかかり、その他にも、自転車の微調整等を行っていたらいつの間にか17時前になってしまった。

「これは危ない」

と、急いで出発したのだが、大阪南港に向かうまでもナビに慣れていなかったことから、道を間違えてしまい、更には荷物の重さに慣れるのにも時間がかかり、最初は坂すらもなかなか登れずと、かなりグダグダなスタートとなってしまった。
そして21時前に大阪南港に無事到着。
フェリーターミナルで受付を済ませ、自転車とともに船に乗り込んだ。
船の雰囲気やクルーの方の雰囲気もとても良く、気持ちよく乗船することができた。
自分の部屋に自転車とともに入った後、船の中にある自販機でアクエリアスを購入。
一息つきつつ、母が作ってくれた手作りクッキーを口に運び、両親にも、無事船に乗れたという報告を電話で行った。
さすがに50㎞とは言え、出発までのハラハラドキドキや、港に着くまでの本当につけるのかという不安もあったことから、船に乗れてとてもホッとしたし、疲れも感じた。
その後すぐに、船の展望浴室で、入浴を済ませ、そのまま船の食堂でご飯を食べつつ、出港時間となった。
窓の外に流れている、大阪南港周辺の景色から徐々に離れていく出港の時間は、心がとてもアツくなった。
このときはじめて、自分は四国に行くのだということを肌で感じた。
明日も朝が早い。
船には7時までしか滞在できないので、早く寝るとしよう。

四国一周2日目【10月10日(日)】


移動距離:101km
走行区間:東予港フェリーターミナル→香川県坂出市
獲得標高:783m


四国一周自転車旅2日目。
今朝は午前3時に目が覚めた。
緊張もあったのか、ベッドは汗でかなり濡れていて、しかも真夜中に目覚めるという、自分の興奮を体現しているかのような状態。
結局、ここからしっかり眠ることはできず、船の朝食開始午前5時半まで、自分の部屋でコーヒーを飲んだりしながら過ごした。
そして5時20分頃、夕食でも利用したレストランに、あらかじめ購入しておいた朝食券を持参の上で訪れた。

朝食を受付で受け取り、そのまま夕食の際にも使ったカウンター席へ。
すると、もう愛媛県の沿岸だったので、窓からは愛媛の夜明けの街並みが。
愛媛の風景を眺めながら食べる朝食は、これから始まる旅への期待とワクワクが膨らむ、旅にとって良いスパイスとなった気がする。
朝食を食べ始めてから約10分後、船員の方から間もなく東予港に到着する旨が伝えられ、船の入港準備が本格的に始まった。
朝食は大体30分ほどゆっくり食べていたので、ちょうど接岸の様子を最後まで窓から眺めることができた。

港の周りにたくさんある車や、トレーラーの荷台、そして愛媛県各方面への連絡バス。
それらを見て、「ついに四国に着いた!」という喜びを深く感じた。
四国一周が実現するまでの過程でも、様々な出来事や、出会いがあったからこその喜びだったようにも思えた。
その後、朝食が済んで自分の部屋へと戻り、部屋を片付けて、諸々の準備を終わらせたのち、6時40分頃に下船。
ついに、四国の大地に降り立ったのだ。
さて、これから「四国一周にいざ行かん!」とテンションを上げた結果、港を出るところでいきなり道を間違えた。
これにはナビですぐ気づき、そのまま元のルートに戻れたので良かったが、前日同様はたから見ると、少し心配な走り出しでもあった。

その後、愛媛県西条市から徐々に新居浜市へ。
新居浜市に入ると、新居浜港沿いの沿岸部を走行するようになり、そこからオレンジフェリーの神戸・新居浜航路の船が見えて、とてもテンションが上がった。

西条市→四国中央市のあたりまでは、県道13号線沿いを走行したのだが、この国道13号線の新居浜市と四国中央市の市境にある丘の上からの景色がとても美しく、心を奪われた。
程よい標高から眺める、瀬戸内海の海岸の景色。
空は晴れていて、海のはるか遠くまで、澄んでいる。
そしてバッグには、林から聞こえる鳥のさえずり。
この場所にたどり着くまで、1km弱、登り坂が続いていて、正直、途中くじけそうになった。
しかし、丘の上のあの景色に出会って、圧倒され、「四国凄すぎる」と、旅を続けたいという気持ちが、今まで以上に強くなった。
その丘の景色の余韻を噛みしめながら、今度は坂を下り、四国中央市へ。
工業地帯というだけあって、独特な匂いが漂っており、不思議な気分になった。
四国中央市を抜けると、香川県に入った。
最初は香川県観音寺市。
この観音寺市にある道の駅とよはまで、四国に降り立って初めての昼食をとった。
そして、この道の駅では香川県だったので、うどんをお昼ご飯に頂いた。
このうどん、360円と安価なのにも関わらず、2色のうどんで、麦入りのものと、白いうどん二つを楽しめるようになっており、とても美味しかった。
その後、和三盆ソフトを頂いたのち、道の駅をあとにした。

また、この日は、週末だったということもあって、自転車ライダーがかなり多く、四国一周中と思われる方も道中にたくさんおられた。
道を走り続ける中での、そういったライダーさんとの会釈も、心が温まった。
対向車線から「こんにちは!」と言ってくださる方、お辞儀をしたらお辞儀を返してくださる方など、形は様々だったけれど、「会釈」というのはここまで心が温まるものなのか、と改めて感じた。

さて、話は戻って、道の駅出発後、目的地の坂出市を目指して走り続けた。
途中、三豊市、善通寺市、丸亀市等を通り、坂出市へ。
三豊市や善通寺市のあたりでは、どうやらお祭りごとが近かったらしく、神輿を担ぐ準備をされているような方も見かけた。
丸亀市に至るころには、初めての100kmライドに、身体もかなり疲れてきており、当初は丸亀城に寄ろうかと考えていたのだが、真っすぐホテルを目指すことにした。
丸亀市中心部から走ることおよそ30分。
今日の目的地である、香川県坂出市、坂出プラザホテルに到着することができた。
午後3時ごろの到着と、当初の予定よりかなり早く着いた。
その後、チェックインを済ませ、自転車をホテル入口の中に入れさせていただき、自室へ。
本来であれば、駐車場への駐輪となるのだろうが、フロントの方が、「盗まれても良くないし」と仰ってくださり、ホテルの玄関口の自動ドアの中に置かせていただけた。
未成年ということもあったのだろうが、お心遣いと思いやりに感動した。
坂出プラザホテルは、そこそこ古めのホテルではあったが、部屋のリニューアルもここ数年の間に行われているということもあり、快適に過ごすことができた。
なにより、3,000円で大浴場&朝食付きというのがかなりありがたかった。
現在では、楽天トラベルで調べると、6,000円前後になってしまっているが、この日はなぜか、かかなり安く宿泊することができた。
ホテルで休憩しつつ、軽食も食べ、時刻は夜6時。
近くにある讃岐うどん屋さんで、うどんを頂き、ホテルに帰って、大浴場でゆっくりしたのち、床に就いた。
四国に到着して、まだ1日目なのに、素晴らしい景色や出来事の数々で、明日からの旅に、期待が膨らんだのだった。


四国一周3日目【10月11日(月)】


走行距離:147.5km
獲得標高:1,626m
走行区間:香川県坂出市→徳島県小松島市


朝5時半、あらかじめかけておいた目覚ましにて目覚める。
テレビで気象情報と朝のニュースをチェックしながら、眠気を覚ます。
6時半になったので、着替えて朝食会場へ。
メニューは一般的なホテルと朝食メニューとほとんど同じだったのだが、この日はたまたま、シェフが試作しているという讃岐うどんも振舞われた。
少量ではあったが、朝ご飯の朝食バイキングで、うどんが配られるという、少し新鮮な感じが、とてもよかった。
朝食で腹ごしらえを済ませたところで、出発準備を。
朝8時過ぎ、坂出プラザホテルをあとにし、まずは坂出市内にある郵便局へ。
本日分の生活費を口座から降ろした後、まずは高松方面へと出発。
途中、JR四国の車両と並走するような場所もあり、とにかく興奮した。
JR四国には、気動車の列車が多いので、高速で走行している際の、ディーゼル音が良いのだ。
自転車で走行すること約1時間。
気づけば高松市内へ。
高松市内に入ってまず初めにうれしかった出来事は、たまたま通っていた道が、高松駅近くにある車庫の横を通るルートだったので、早朝に高松に到着していたサンライズ瀬戸が車庫で休んでいるのを間近で見ることができた。
また、高松築港付近では、様々なフェリーが出入りしており、見入ってしまった。
小豆島へ向かう船から、直島等に向かう船もあり、数々のフェリーが交互に港を出入りしていく姿は迫力満点だった。
更に、高松では、琴電も見ることができた。
琴電では、本州の様々な場所で活躍していた古い列車も使用されているため、見応えがあり、こちらにも興奮せずにはいられなかった。

高松市を出た後は、ひたすら東讃を走り続けた。
当初は、さぬき市で昼ご飯を頂こうと思っていたのだが、高松市を出た後から、徐々に天気が下り坂になっており、雨もぱらついていたため、行けるところまで進むことに。
東かがわ市につくころには、もう13時前だった。
さすがにお腹もすいていたため、走行していた通り沿いにあった、「虎丸手打ちうどん 讃州讃岐屋」さんにて、うどんを頂いた。
恐らく、てんぷらうどんに近いものを注文したのだと記憶しているが、この時に食べたうどんに乗っていたあおさのてんぷらの味が未だに忘れられない。
そして何より、太く長い麺も。
「うどんはすする」事が多いというが、讃岐の麺は、中々すすれるものではなかった。
しかし、歯ごたえは抜群で、とても美味しく、満腹感も得られる。
最高の料理だなと、改めて感じた。
今回の旅では、あまりうどんをたくさん食べられなかったが、次回旅をするときには、高松市のうどん屋さんを中心に、色々廻ってみるのも楽しそうだなと思った。
東かがわで腹ごしらえをした後、次なる経由地へ向けて出発。

次なる経由地というのは、徳島県鳴門市、鳴門のうずしおだ。
しかし、鳴門のうずしおを見る前に、もう一つ素晴らしい景色を見ることになった。
それは、鳴門スカイラインだ。
今回、香川県側から鳴門市の方に入ったのだが、たまたまNAVITIMEのルート設定の関係で、鳴門スカイラインを通るルートとなっていた。
この鳴門スカイラインは、勾配もある程度急で、頂上の標高も130mと、中々高めだ。
その頂上までのルートは、ひたすら登り勾配でかなりしんどかったのだが、登り切った後に得た景色は、前日の県道13号線の景色に負けず劣らず、素晴らしいものだった。
県道13号線に比べると、標高も高いので、晴れていれば鳴門市を一望することだってできるだろう。
今回は残念ながら曇りであったので、より美しい景色を見ることは叶わなかったものの、それでも最高の景色を眺めることができた。
鳴門スカイラインの景色に見とれていたら、少し休憩しすぎてしまい、鳴門のうずしおを観賞できる場所に到着したのは17時頃になってしまった。
それにより、うずしお観賞施設である、「渦の道」からの観賞はできないことに。
100円の望遠鏡にて、大きなうずしおを観賞した。
望遠鏡でも、しっかり見ることができたので、うずしおを30%くらいは楽しめたのではないかと思う。
さて、うずしおの観賞を済ませた後も、旅路はまだまだ続く。
今日は小松島市まで行かねばならないのだが、ゴールまではまだあと50km前後ある。
「ここから急がねば」
と、夜道を急いだ。
もちろん、歩行者や自動車に気を付けて。
鳴門を出るときに、海沿いを走行しながら見た夕日が、とても美しかった。

その後、鳴門市が終わり、徳島市へ。
徳島市内を、明るい時間帯ではなく、暗い時間帯に走行することになってしまったのは、少し残念だった。
徳島市を抜けてからは、意外と早かったように思う。
ケーズデンキで、カメラの予備バッテリーを購入し、小松島市へ。
21時半ごろ、なんとかホテルへ到着することができた。
この日宿泊したのはスーパーホテル徳島・小松島天然温泉だ。
2021年7月30日にオープンした、まだ比較的新しいホテル。
フロントに入り、チェックインを済ませる。
部屋は、最上階で且つ、真新しい部屋だったので快適に過ごすことができた。
その後、夜ご飯を頂こうと思っていたのだが、時刻は午後9時40分。
当時は新型コロナウイルスの影響や、そもそもの営業時間の問題もあって、飲食店は既に閉店。
近くにスーパーがあったので、そこへと思ったら、営業時間は午後10時まで!
急いでスーパーに走って、蛍の光が流れる店内で安くなっているお惣菜とお刺身を買い込み、ホテルへと戻った。
スーパーのお惣菜という少し味気ない内容ではあったけれど、それでも疲れた後に食べるお惣菜の数々は最高においしかった。
夕食後は、大浴場に入浴し、洗濯を済ませて前日同様24時ごろに床に就いた。

四国一周4日目【10月12日(火)】


走行距離:41.0km
走行区間:徳島県小松島市→徳島県海部郡美波町(日和佐)
到着地点:徳島県阿南市
獲得標高:541m


いつものごとく、午前5時半に起床。
スーパーホテル徳島・小松島天然温泉では前日に朝食をいただく時間をコロナの関係で指定しておかないといけなかったので、僕は7時頃に朝食を選択していた。
そのため、まだ時間があったので洗濯をしたり、天気予報をチェックしたりと、出発に向けてゆったりと時間を過ごした。
朝食を食べた後も、前日の夜遅くまでのライドの影響か、すこしけだるい感じが残っていたので、もうしばらく部屋で休んでおくことにした。
結果的に、部屋を出るのが10時前になってしまったので、「少し遅すぎたかな」という感じはあったがひとまずパッキングを済ませて駐輪場へ。
その時、ふとタイヤの事が頭をよぎり、

「まさか大丈夫だよな...」

と思っていたのだが、タイヤを確認すると、一部分が不自然に盛り上がっていることに気付いた。
これはパンク寸前というか、ほぼパンクに近い状態だ。
なぜ、この時すぐに自転車屋を探さなかったのか、詳しくは覚えていないのだが、確かホテル近辺や、通る予定だったルート上にほとんど自転車屋が無かったからだったと思う。
また、その他にも、「今日の行程は60km前後だから大丈夫だろう」と思った自分がいたからでもあると思う。
この時の判断が後々祟ってくることになるのだが、それはこの後すぐ、明らかになるだろう。
結局、タイヤの事は置いておいて、本日の目的地、高知県は東洋町を目指し、いざ出発。
今日の行程は、徳島県を抜け出し、高知県へ向かう、県境越えがメインだ。
また、その途中にも、世界初の新交通システムが導入予定の場所があったりと、いろいろ楽しみなので、早速徳島県の小松島市からまずは阿南市へ。
阿南市は基本的に海沿いを通ったのだが、四国一周に行く前に、宿泊施設の候補を検討していた際、出てきた宿泊施設が道中にあり、それだけでも嬉しくなった。
どれだけ小さなことでも、自分にとって、「旅をしている」あるいは「四国に来ている」という実感がわくような出来事は何でも嬉しくなった。
さて、阿南市を過ぎると本格的に山の中へと入ることになる。
徳島県と高知県の海岸沿いの県境付近は、山を走っているような印象だった。
しかも、人や自動車がほとんど通らない。
コンビニなどの施設もほとんどないような道を通ることとなった。
しかし、人や自動車がいないからこそ、山林に囲まれた道を、静かに、そして自然の音を聞きながら走ることができるのは、とても幸せだった。
タイヤの件は、心配だったので、何度か確認を行いつつ、ゆっくりと走った。
そして午後2時頃、徳島県海部郡美波町にある、道の駅「日和佐」へ。

そんな時、それは突然に起きた。
「プシュー」という空気が抜ける音を聞いた僕は、思わずタイヤに目をやった。
すると、手で押しているときの前輪の感覚がなく、空気が抜けていることに気付く。

パンクの解決をしたいところだったが、道中飲食店が無かったことから、ご飯を食べることができなかったので、ひとまずご飯を買うことに。
お昼ご飯には、徳島名物フィッシュカツと、阿波尾鶏カレーをいただいた。
どちらも、タイヤに事で緊張していた体の疲れを忘れるくらい、とてもおいしかった。

さて、再びタイヤの解決へと向かうわけだが、チューブを交換しようと思ったものの、タイヤとチューブ両方に穴が開いてしまっていたので、タイヤを交換しなければいけないということが発覚し、たまたま近くにいらっしゃった地域の方と、巡回中だった警察官の方に声をかけて頂き、事情を説明すると、ロードサービスを紹介して下さった。
「ネットで調べても日和佐近辺には自転車屋さんが無かった」旨を警察の方にお伝えすると、「阿南まで戻らないと、この辺には無いかもな」と言われてしまった。
その後、教えて頂いたロードサービスに連絡をし、事情を説明した結果、阿南の自転車店まで一度戻ることに。
警察官の方との別れ際に、「日和佐から先の道は夜危ないから」と、蛍光色の交通安全ベルトのようなものと絆創膏をいただいた。
警察官の方に「頑張りや!」と仰っていただけたときには、とても心が温まった。
警察の方に関して、自分は、いつも厳格で、取り調べなども厳しく、取り調べて暴力を振るっていたというような話も聞いたりしていたことから、勝手に警察にあまり良い印象を持っていなかったのだが、徳島の警察官の方に出会って、「こんなに優しく、思いやりのある方がいるんだ」と気付かされ、自分の偏見が恥ずかしくなった。

警察官と地域の方とお別れをしたのち、ロードサービスの方が迎えに来てくださり、自転車店まで戻ったのだが、ここでも出会いがあった。
電話でお話ししていたのは60代くらいの男性だったのだが、ロードサービスで来てくださった方が、20~30代くらいの方で、話しかけてくださったことをきっかけに、30分位四国話で盛り上がることができた。
その方は元々東北出身だそうだが、一定期間を目途に、住む場所を変えているらしい。
四国に来てからは、足摺岬に住んでいたことがある等、四国の様々な場所で暮らした経験があるそうで、それもあってこれから行く予定の場所や、これまで訪れた鳴門スカイラインや、これから行く予定の足摺岬や室戸岬についての話で盛り上がった。
また、おすすめのスポットも教えてもらうことができ、とても良い時間になった。
この時に、なぜ「一定の場所に定住しないのか」ということを聞いておかなかったのか、今更ながら後悔している。
けれど、あえて一定の場所に留まらないという生き方をしている方と出会えたことで、「こういう生き方もあるのか」と、自分の知らない世界に気づけた気がして、とても良い時間になったと思っている。
定住しすぎず、さまざまな場所に住んでみる。そしてその中で、自分自身を見つめ、それと同時に、自分の知らない世界について知っていく。
今回お会いした方の生き方というのは、以前にも、考えてみたことはあったけれど、実際にそのような生き方をされている方と出会えたのは初めてで、とても嬉しかったし、学びがあった。
四国一周4日目にして、本当に濃厚な体験をすることができたと思う。

ちなみにタイヤがパンクしたという、ハプニングでも、旅をしている時は、多少は気になっても、落ち込むことはあまりなかったような気がする。
むしろ、今はパンクしたことに感謝しているくらいだ。
きっと、タイヤがパンクしなければ出会えなかった出会いもあったと思うから。
ロードサービスの方に送り届けてもらった時間は、もうすでに夕方18時を廻っていたので、今日のところは阿南に泊まることにした。
小松島同様、ホテルで夕食を買い込み、行きに前を通ったホテルに宿泊。
明日は早く出発しようと考えていたので、朝食も少し買っておいた。
ホテル到着後は、シャワーを浴びて、一日の振り返りを記録し、12時前には床に就いた。
トラブルもあったけれど、同時に様々な出会いに感謝した一日でもあった。

【どうでもいい話】
昨日の小松島に続き、今日もスーパーで値引きされているお弁当を購入した。
お値段なんと、270円。
いや安すぎやろぉ〜。
ちなみに、スーパーセブンというところだった。
セブンイレブンじゃなくて、“セブン”だ!
セブンという看板を見て、セブンイレブンを連想して頭の中で、変なダジャレを考えていたような記憶がある。

四国一周5日目【10月13日(水)】


走行距離:163km
走行区間:徳島県阿南市→高知県安芸市
獲得標高:2,256m
訪問場所:夫婦岩,室戸岬,道の駅とろむ
通過場所:阿波海南駅


四国一周開始から4日目。
四国上陸から3日目。
今朝は朝6時前に起床した。
前日に買い込んでおいたウィンナーとハムを、持参したインスタントラーメンに入れ、味噌汁を作り、簡単な朝食を部屋で済ませた。
昨日から今日のルートについて検討を進めていたのだが、結局、昨日到達する予定だった高知県東洋町を経由し、高知県安芸市を目指すことにした。
総距離で行くと中々な距離になるわけだが、この行程を選択したのには理由がある。
それは、今日予約していたホテルが、いわゆる高級なホテルで、キャンセル料が高かったからだ。
意図してこのホテルを予約したわけではないのだが、どこぞのGoProの発送遅延で、安いホテルの予約が取れなかったため、止むを得ず、この高級ホテルを予約していた。

さて、安芸市まで行くとなると、かなりの距離になる。
今日こそ、早めにホテルを出発しようと思い、8時過ぎにホテルをチェックアウトし、阿南市を出発した。
阿南から道の駅日和佐までは、昨日通ったルートと全く一緒だったのだが、やはり道の雰囲気は一味違っていた。
トラブルを抱えながら見る景色と、何の懸念もない自分が見る景色というのは全くといっていいほど違った。
昨日よりも、より景色が美しく見えて、何というか、自分自身の気持ちも昂りつつあった。
阿南〜日和佐の山奥で、誰もいないことを確認してハンドルから手を離して
「バンザ〜〜イ」
と叫んでみたり、木の葉音と、鳥の囀りに耳を澄ませてみたり。
くだらないことからもしれないが、そういったことも、大事なことも、全てがとても心地よく感じられた時間だったように思う。
結局、阿南→日和佐に関しては、大体40分程度で走り終わってしまったのだが、今日の行程の中で、一番濃い時間を得られた区間と言っても過言ではないだろう。
道の駅日和佐を出ると、続いては、海部郡海陽町。
この、海部郡海陽町では2021年12月からDMV(ドュアルモードビークル)の運行が開始されている。
DMVの走行は、海陽町が世界に先駆けて開始した取り組みだ。
僕が訪れた10月は、開業前ではあったが、DMVへの熱が強く伝わってくる宣伝が、町のあちこちで行われていた。
まず、美波町から海陽町に入る区間では、「世界初が走る町 海部郡海陽町へようこそ!」というような幟が立っていた。
その幟を見て、ついに海陽町まで来たのだなと実感することができた気がする。
海陽町に入ってから、最初はしばらく山の中だったが、徐々に開けた町の中心部まで下って行き、海陽町DMVの起点である、阿波海南駅の駅前に到着。
走行予定距離の長さもあり、ゆっくり降りて観光することはできなかったものの、DMVの為の停留所設備が、以前YouTubeの動画で見た時以上に完成に近づいていて、とても興奮した。
残念ながら、線路を試験走行中のDMVを見ることはできなかったが、それでも、

「ここにDMVが走るのか」

と想像するだけで、とてもワクワクした。
そのワクワクを噛み締めて、自転車をさらに漕ぎ続けた。
阿波海南を出てしばらくすると、徳島県の著名な観光地、宍喰に到着。
宍喰周辺は、事前に調べていて知ってはいたものの、サーフィンをされている方や、海水浴をされている方がかなり多かったのが印象的だった。
整備された海岸に目をやれば、たくさんの方がサーフィンをされていて、その姿を見て、「かっこいいし、美しいなあ」と思った。

ちなみに、宍喰では、観光は特に行わなかったが、海沿いを走行したり、行く前に調べていた宿泊施設があって、「こんなところだったのか」と知ったり、とても楽しい時間だった。
1日目や、2日目、3日目も勿論そうだったが、行く前に調べていた場所や、物が、本当に存在していて、それを自分の目で確認できる喜びは、言葉にできないほど、嬉しいことの一つだと今回の旅で僕は感じた。
今日の、阿波海南駅や、宍喰周辺の宿もその一つだった。
そして、そう言った宿の姿を見て、

「次はここに泊まってみたいな」

という、新たな願望が生まれるのだ。
今回の旅が全てではなく、次の“何か”につなげたいと思えるような出来事が、宍喰以外にもたくさんあった。
さて、話が少しずれてしまったが、今一度、今日の行程の話に立ち戻りたいと思う。
宍喰を出ると徐々に高知県との県境に近づいていくことになる。
高知に入る直前、昨日宿泊する予定だった白浜キャンプ場がある、白浜海岸も通った。
さあ、いよいよ高知県へ突入!
高知県に入って最初に、合流してきた鉄道路線が!
高知県の第三セクター路線、土佐くろしお鉄道。
JRとも直通しており、1日に数本、宿毛〜高松を結ぶ四国最長の特急も設定されている路線。
また、有名なのが0系新幹線を連想させるボビートレインなのだが、こちらに関しては残念ながら見ることができなかった。
しかし、土佐くろしお鉄道の普通列車を線路の下から眺めることができて幸せだった。
その後は、ひたすら海沿いと山沿いを繰り返し走り、高知県室戸市へ。
有名な室戸岬がある、あの場所だ。
昨日お話ししたロードサービスの方に、「夫婦岩は地味に良い」と言われていたので、まずは室戸岬による前に、夫婦岩を観賞。
似た形の岩が連なっている姿から、確かに夫婦みたいだなと思ったりしつつ、10分程度ゆっくり観賞。
途中で、高知ナンバーの車がやって来られて、60代くらいのご夫婦が降りてきた。
本来なら、夫婦岩の遊歩道は立ち入り禁止となっているのだが、その方達は奥へ。
僕も夫婦岩でもっと近くから見てみたかったが、その気持ちを抑えて、夫婦岩を後にした。
代わりにと言っては何だが、夫婦岩から少し離れた場所で、夫婦岩をバックに愛車の写真を撮影した。
そしてお次は室戸岬。
夫婦岩から室戸岬までは、あまり距離はなく、10分〜15分ほどで着くことができたように記憶している。
室戸岬について最初にやったことは、勿論石碑前での愛車撮影。
これだけは絶対に外せない。
愛車と室戸岬まで来たぞという記録を残しておくためには必須だ。
愛車の撮影をしていると、後方からバイクでツーリングに来られた方が!
撮影後、すぐに石碑の前から愛車を移動させると、その方もやはり、石碑をバックにバイクの撮影をされていた。
撮影した後は、せっかくだから遊歩道を歩いてみようと思い、室戸岬に設置されている遊歩道を少し歩いた。
100kmほど、ずっと自転車に乗車していたので、若干足に浮遊感があり、変な感じだった。
遊歩道を歩いていると、さまざまな説明がなされていて、とても面白かった。
全ての内容を覚えているわけではないが、空海にゆかりがある池であったり、地殻変動で作られたとされる岩石であったり。
そのほかにも、室戸岬に残る伝説の紹介もあった。
波音を聴きながら静かに眺める室戸岬は、味があって、すごく良いなと感じた。
四国を訪れることがあれば、是非立ち寄ってもらいたい場所のひとつだ。
足摺岬に比べて、そんなに混んでいる印象はなかったので、静かに、室戸岬の音色を楽しみに行ってみてもらいたい。
室戸岬の様子をたっぷり堪能した後は、もう限界な空腹を埋めるべく、飲食店を探し回った。
100kmもの間、補給食以外は何も食べていなかったので、もうお腹の感覚がない状態。
1店舗目の飲食店が見えたと思えば、「定休日」の文字が…。
あの文字を見ると、本当に心が折れそうになる。
しかし、そこで立ち止まっていても空腹は埋まらない。
すぐに走行を再開し、再び途中に見えた道の駅へ。
何となく予感はしていたのだが、やはりここも、「定休日」!!!
観念して、ネットで道の駅を調べると、室戸から大体10kmほど離れたところに、道の駅とろむという場所があり、そこの道の駅自体は定休日だったのだが、飲食店に関しては履いているということがわかった。
そこからは、空腹を原動力に、ひたすら自転車を漕ぎ続けた。
正直、この辺りの記憶はほとんどない。
何故ならとにかく「お腹を満たしたかった」からだ。
そしてもうほぼおやつの時間である、午後3時前、調べていた道の駅とろむへ到着。
自転車を駐車場に停めて、鍵をかけてダッシュでお店へ。
そして定食を注文し、出てきたご飯。
正直、メインディッシュの鯨よりも、室戸産の米の方が圧倒的に美味しかった。
もはや幻覚だろうが、お米から田んぼの香りがした気がした…。
この時点で空腹が相当重症だったことがよくわかる。
ご飯の美味しさを噛み締めた後は、お会計。
その後、高知県でもそこそこ有名で、近畿圏でもよく見かける「ごっくん馬路村」を購入。
本当ならば、この馬路村近くにあるキャンプ場に今日は泊まろうと思っていたのだが、残念ながらそこも定休日のため、宿泊することができなかった。
次回はキャンプオンリーで四国旅をしたいなあとも思いつつ、栄養チャージが完了した身体で自転車にまたがり、再び安芸市を目指して再出発。
時刻はもうほぼ夕方で、なおかつ秋から冬への変わり目に近かったこともあり、夕暮れに近い状態になっていた。
その夕日の恩恵を受けながら、自転車で太平洋沿岸部を走行。
夕陽が反射した海面はとても美しく、視界がオレンジ色に染まっているその様子は、四国一周の楽しさと僕のモチベーションを更に引き立ててくれた。

夕方17時を回ると、あたりは薄暗くなり始めた。
自転車の姿が、周りの車から見えているのか心配になりつつも、走行し続け、ついに安芸市中心部へ。
キャンプ場の存在を知る前に宿泊しようと思っていたホテルの目の前を通り過ぎ、「ここに泊まれたらよかったのになぁ」と思ったりもしつつ、一旦ドラッグストアに寄った。
水分がなくなったので、ホテルに向かうまでの最後の分を補給しておこうと思ったからだ。
普段はあまり飲まない、いろはすの味付け水を購入。
ブドウ味にしたのだが、これがまた香料の香りがきつかった。(買う前に気付け←)
水分の購入が完了した後は、ホテルまでの最後の走行区間を走行した。
安芸市中心部で、町中に出られたと思っていたら、すぐに山道へ。
夜の山道は、とても怖かった。
何故なら街灯がゼロで、自転車から発する光と、自動車のフロントライト、テールライトしか明かりがないからだ。
その状態だけでも危険で勘弁してほしいのに、続いて雨が。
土砂降りというほどではなかったものの、若干視界が遮られるような雨だったので、余計に気を張って走行した。
この雨は、ホテルに最終着く時まで降り続き、ホテルについてから愛車を拭いたり、自分の身体を拭いたりと大変だった。
さて、そんなこんなで無事ホテルに到着。
ホテルには18時半ごろ到着とお伝えしていたのだが、到着は19時を回った頃になってしまっていた。
フロントの方に名前をお伝えし「心配していましたよ〜」と言われ「申し訳ないです」と返答。
諸々のチェックイン手続きを済ませた後、夕食について案内をいただいた。
チェックインの時にまずびっくりしたのが、フロントの担当者の方が、サラッと

「本日シングルでの予約を承っておりますが、お部屋はツインとなっております。そのままお使いください」
えええええええええええええ。
シングルじゃなくてツインなのですか?
声には出さなかったものの、心の中でたくさん叫んでおりました。
更に、なんと自転車はフロントで預かってくださるとのこと。
「盗難があっても嫌ですしね」と、快く預かってくださった。
サービスの手厚さに驚きつつ、部屋に入り、一旦着替えて、荷物整理を行った。
20時から夕食をお願いしていたので、その後すぐ夕食会場へ。
夕食は会席料理をいただいた。
高知県お馴染みの鰹のタタキはもちろんのこと、魚の陶板焼きなど、かなり豪華だった。
スタッフの方にも親身に接していただき、
「旅してるんやろ?ご飯いっぱいあるからたくさん食べや〜」
と、お声かけくださったりして、とても心が温かくなった。
夜ご飯の後、しっかりお礼を申し上げて、部屋に戻り、大浴場へ。
温泉で身体の疲れを癒した。
何と言っても今日は寝る前の一大イベントがある。
それは、2つあるベッドの内、どちらで眠るかだ。
それを考えてニヤニヤしていたのだが、気付けば寝落ち。
結局どっちのベッドで寝るかを考える以前の話になってしまった。
四国一周4日目の濃厚な時間は、こうして終わりを告げた。

四国一周6日目【10月14日(木)】


走行距離:26km
走行区間:高知県安芸市→高知県高知市
獲得標高:147m
朝一番、目が覚めると、ベッドの布団の上にいた。
どうやら疲れてそのまま眠ってしまっていたらしい。
ベッドを選んで寝る楽しさがないまま、朝を迎えてしまって、少し残念な自分もいた。
そんなこんなで5時半に目が覚め、外の景色が気になったので、窓を開けると...。
何と海側の部屋だった。
昨日の日記にも書いている通り、もともと山川のシングルを予約していたのだが、ツインにグレードアップしている上に、何と海側。
本来ならば、海側のツインは、通常の山側のツインに加えて、4000円ほど金額が加算されて提供しておられるのだが、偶然の悪戯か、予想以上に良い部屋で眠ることができた。
その後、朝ご飯をいただきに、ホテル最上階の朝食会場へ。
宿泊した部屋が10階で、ホテルの中でも高い方の部屋だったのだが、朝食会場の展望窓からの眺めは、それは本当に美しいものだった。
太平洋を一望でき、そしてその太平洋をバックに走る土佐くろしお鉄道線。
1両編成の気動車が、海辺を走行している姿は、遠くから見ていても圧巻だった。
そんな景色を眺めながら、ホテルのバイキング朝食をゆっくりと堪能。
今日の行程は高知市内までの26kmと、学校への通学とほとんど変わらない距離なので、ホテルでゆっくり過ごしてから出発しようと思い、9時半ごろまで、ホテルの部屋で休憩していた。

そして10時前、フロントでチェックインを済ませてホテルを出発。
まずは高知県香南市を通り、そこから高知県南国市、高知市へと至る。
宿泊していたホテルが、ロイヤルホテル土佐という、ダイワロイヤルホテルズ系列のホテルだったのだが、このホテルの位置が、安芸市の端の方にある為、ホテルを出てから10〜20分ほどで、香南市に入った。
水分を買い込んだのち、一気に高知市へ。
途中、とさでん交通の路面電車ともすれ違いつつ、高知市へ12時過ぎに到着。

ホテルにチェックインするにしても、まだ早すぎたので、ひとまず、高知に行ったら必ず行くと決めていたひろめ市場へ。
実は、小学生の頃にも一度きたことがあるのだが、正直ほとんど記憶がなかったので、改めて行ってみることにしようと思っていた。
ひろめ市場に着くと、意外にも、女子高生や、男子高校生といった、高校生の姿が目立っていた。
勝手なイメージとして、年配の方に愛されているような印象があったので、それは少し意外だった。
そして何より、高知といえば鰹のタタキ!
昨日ホテルの夜ごはんではいただいていたものの、本場の味とはどんなものかと味わいたかったので、お昼ご飯に鰹のタタキ丼を。
それと一緒にウツボの唐揚げもいただいた。
口に運んだ瞬間、心の中に留まりきらなかった言葉が口に出た。

「幸せ〜」

短距離とはいえ、ライドの後に食べるタンパク質が豊富な鰹のタタキは、それはもう言葉にならないくらい美味しくて、こんな美味いものがあっていいのかというくらいに。
そして、別で頼んだウツボの唐揚げも、またとても美味しかった。
ウツボの味がうまく引き立てられていて、最高の味だった。
鰹のタタキの美味しさを噛み締めて、一旦、近くの公園で休憩をとった。
おそらく30分くらい休憩していたと思うのだが、その後は、「高知城博物館」と「高知城」を順番に回り、夕方4時ごろに、ホテルへ到着。
このホテルは、ツインしかなかった上に、1泊5000円で朝食付きとかなり安価だったので予約した。
今回宿泊したホテルは四国一周で2つ目の、全国チェーンでないホテルだった。
従業員の方や、おかみさんも、当たり前だが高知の方で、高知の方言で喋っていて何というか、そう言ったところからも、自分が今四国にいるということを再確認できたような気がした。
チェックインの手続きをしている時には、フロントの方に話しかけて頂き、これまでどこをどのように走ってきたか、簡単にご説明した。
フロントの方も、高知の方だったので、「あの辺走ってきたんかな〜」とか、一緒に盛り上がってくださって、チェックインする時からとても楽しい雰囲気だった。
自転車のことも気にしてくださり、その時は一旦点検してもらおうと思っていたので、「大丈夫です」と申し上げたのだが、本当に親身になってくださって、こう言った人情あふれる対応をホテルで受けられるというのがとてもありがたいことだし、嬉しく、心が温まるなと思った。
その後、自分の部屋へ。
部屋は、ホテル自体が古い雰囲気を醸し出していたので、部屋も古めではあったけれど、広々としていて快適だった。
部屋で少し休憩をとった後、3日目に破損したタイヤのパーツを仮止めしていたものを、新品に交換してもらうために、サイクルベースあさひへ。
サイクルメイトカードも持っているので、合わせて無料点検もしてもらうことにした。

点検と交換自体は30分程度で終わると言われたので、しばらく自転車店周辺で待つことに。
結局、電気屋で、家電製品を見ながら時間を潰した。
点検担当の方から、「異常なかったです」と電話があり、サイクルベースあさひに戻って自転車を受け取った。
その足で、お腹も空いていたので、再びひろめ市場へ。
昼間は鰹のタタキ丼をいただいたので、夜はしらす丼をいただいた。
昼とは別のお店でいただいてみようと一度は思ったものの、お昼の味が忘れられず、また同じお店をリピート。
夜はしらす丼を頼んだ代わりに、ウツボのタタキを食べてみた。
実は昼間訪れた時から、気になってはいたのだが、夜のお楽しみにしておこうと思い、あえて食べていなかった。
まず、しらす丼と味噌汁、酒盗、珍しい貝をいただいた後、別でウツボのたたきを単品でいただいた。
その味の美味しさと言ったら。
もはや言葉では表せないような味だった。
最高に美味しかったのだ。
ひろめ市場で鰹のタタキやウツボのタタキを食べていると、「一生ひろめ市場に住んでいたい」と思うようになった。
次四国にきた時も、必ずひろめ市場によりたいなと思いながら、夜ご飯を食べたお店の方にお礼を言った後、カフェを訪れた。
そのカフェでお茶をした後、店員の方に、「高知の子?」と聞かれたので、京都から四国一周しにきていることを明かすと、無言で店員さんが何かを作り始めた。
その後、「これはお兄さんからの奢りや!内緒やで(笑)。四国一周頑張りや!」とソフトクリームをくださった。
「ありがとうございます」
とお礼を言ってそのカフェを後にしたものの、感極まって涙が出そうになった。
誰かの心の温かさに触れると、こんなにも嬉しくなるのだと、改めて気付かされたような気がした。
今日は短距離の走行ではあったけれど、一つの場所に長時間留まるという、今回の旅でおそらく初めての試みでもあったので、有意義な時間を過ごせたように思えた。
何より、高知の方の温かさがすごい。
そしてひろめ市場の賑やかな感じもまた良い。
みんながお酒を飲んでワイワイと、日常を語らいあっているあの雰囲気。
こう言った高知の風景、好きだなあと思えた、そんな1日だった。
明日、高知市内を後にするのが名残惜しく感じるくらい、最高な日だった。

四国一周7日目【10月15日(金)】


走行距離:83.5km
走行区間:高知県高知市→高知県高岡郡中土佐町
獲得標高:1,390m


今朝は少々遅めに起床。
朝ご飯は7時半ごろにお願いしていたので、大急ぎで一階へ。
食堂のおかみさんに「遅かったね」と言われ「申し訳ないです(汗)」と返し、そのまま案内されたお席へ。
やはりこの年齢だと、好き嫌いを気にされるのだなと思ったのだが、「好き嫌いは大丈夫?」と聞かれた。
思わず「何でも食べられます」と言ってしまうと、おかみさんに笑われた(笑)
朝ご飯のメニューは、小鉢に入った野菜類と、目玉焼きの陶板焼き、白ごはんと味噌汁だった。
最初、陶板焼きに関しては、中に何が入っているのかわからず、てっきり、魚の塩焼きなのかなと思っていた。
しかし、蓋を開けてみると、目玉焼き!
陶板だと何というか、普通の目玉焼きとは一味違うような特別感を味わえて、とても美味しかった。
その後、ご飯を食べていると、おかみさんが話しかけてきてくださって、
「自転車で旅しとるん?」
「はい、そうです」
「どの辺回ってきたん?」
「愛媛の西条市から室戸とか経由してきました」
こんな感じで会話をしていると、コロナ話に自然となった。
「一時期、コロナで外出できひんかった時に、車で音楽聴きながら室戸の辺りドライブしてんな。あれは良かったわぁ」
と、おかみさんのお話も聞くことができた。
それから高知のいろいろなことで盛り上がって、ご飯の時間の間、15分〜30分くらい、お話しした記憶がある。
話の合間に、「ご飯どんどん食べや!一杯あるからな」と、おかわりもお勧めしていただき、結局茶碗に3杯ご飯を食べてしまった。
朝食が終わっても、そのおかみさんといろいろお話しし、何とホテルを出発する時のお見送りまでしてくださった。
「不審者とか危ないからな、絶対呼び止められても振り向かんときや!」
「お母さん心配してるやろうに」
「車とかトラックとか気をつけや」
それはもう、実の祖母ですか?というくらいにたくさん心配してくださって、

「はい、ありがとうございます。行ってきます」
とお答えした。
そしてしまいには、
「こっちの方がなんか名残惜しくなるわぁ。また来てや」
と仰っていただき、それにはもちろん、
「すごく温かい人ばかりのホテルだったので、必ずまた来ます」
と答えた。

ホテルを出発して、昨日今日と、出会った人たちの顔を思い浮かべながら、高知市内中心部に別れを告げた。
今日、最初に訪れたのは、高知県でも有名な、桂浜。
波の大きさが不規則に変わるといい、海岸沿いはなるべく近づかないようにという放送や、遊泳禁止の看板が立つほどの場所だった。
波打ち際ギリギリのところで、GoProを回しながら立ってみると、確かに放送の通り、小さい波が来たと思ったら、とびきり大きな波が来たこともあった。
その様子はとても面白かった。
時折、靴に海水が入りそうになった時は、一人で
「やばいやばい」
と、波から逃げる始末。
近くで女子大生と思わしき2人組も同じようなことをしていて、男1人ではしゃいでいる自分が少し恥ずかしくなった。
そんなことを繰り返しながら、30分くらい、桂浜の海岸で過ごした。
そして、桂浜の海岸を登ったところにある、土産物店へ。
今日のキャンプで使えそうな食品類や、これからのキャンプに行かせそうな食品類がないか探してみた。
その結果、室戸岬の海洋深層水を使用した「ご飯がおいしく炊ける水」と「カツオ飯の素」を購入。
その後、桂浜にある坂本龍馬記念館へ。
入り口に立っている小さな龍馬像が、コロナ仕様になっているのも、良いなと思った。
記念館の中には、龍馬直筆の手紙や、龍馬の姉、乙女の直筆の手紙など、貴重な資料が多数あり、思わず見惚れてしまった。
記念館を出る頃には時刻は13時を回っており、これはやばいと思いながら、お昼ご飯を急いで食べ、すぐに自転車にまたがり、高知県高岡郡中土佐町を目指した。
土佐久礼に着く頃には、辺りはすっかり夕暮れ時。
途中のコーナンで、サンダルを買ったりもしていたのもあって、いや、元凶は桂浜でゆっくりしすぎたことなのだが...
とにかく先を急いだ。
しかし、土佐久礼の先が辛かった。
七子峠が控えていたのだ。
ひたすら、グネグネとうねる坂を登り続けないといけないこの峠。
後に知ったのだが、四国でも有名な峠の一つだそうだ。
街灯がないこともあり、もはや坂がどこまで続くのかすらわからない、永遠とも思えるような時間の流れ。
漕いで漕いで、とにかく漕ぎ続けた。
いつしか、四肢の感覚はほとんど無くなっていた。それくらい、自分にとっては急な坂だったのだろう。
ナビを見ると、あと6kmとある。
「この峠を越えれば、もうすぐ着くぞ!」、そうやって自分を励まし何とか七子峠は越えることができた。
さあここからは平坦な道なはず。
七子峠を過ぎてすぐ、右折すると、徐々に登り勾配に!?
「まさか、まだ坂が続くとか言わないよね...」。
この現実から、目を背けたいくらいに、さらに絶望が僕を襲った。
そう、七子峠以上の激坂が、まだ僕を待ち受けていたのだ。
自転車で登る坂ですか?と疑いたくなるような坂。(後で標高見たら350mほどあった...)
登りながら、雨が降ってきたのかと思えば、よく見ると、自分の汗だった。
滝のような汗が流れるほどに、しんどかった。
登っても登っても先が見えない坂を、ようやく登り切ったと思えば、まだもう一回、そんな坂が待ち受けていたことで、僕の精神と身体は限界を迎えていた。
一瞬、土佐久礼まで戻って宿に泊まることも、七子峠の途中で考えたのだが、もう暗いし、登り切った方が賢明だろうと感じ、登りきることに決めた。
1日目、2日目のように、明るい中で体験する激坂というのは、「見えているからこその辛さ」があったが、今回の辛さは、「先が見えないからこその辛さ」だった。
街灯もなく、もはや愛車から発するフロントライトの光と、ナビの画面から得る情報以外、見えるものはほとんどない状態だ。
そんな中、周りの林から「ガサガサ」という音が。
野生動物が動いたのだろうか?
それとも単なる葉音だったのだろうか?
振り返っている今だからこそ、こう言えるが、当時の自分は、とにかくびっくりしていた。
「野生動物なのか?だとしたら止めてくれ。恐怖が増すではないか」
心の中でこう思っていた。
もはや恐怖心を原動力に自転車を漕ぎ続けていた。
そして何とか、第二の激坂を越えることができた。
時間に換算すれば、15分にも満たない時間だったのだろうが、七子峠を登り切った後のあの坂には、生気を吸い取られた気がする。
その後、緩やかな坂をさらにのぼり、キャンプ場周辺の集落へ。
その集落で、鶏肉を買い、そのままキャンプ場へと向かった。
キャンプ場に着いたのは19時頃。
辺りは真っ暗で、たまたま泊まりに来られていた方が、わざわざ灯を照らしてくださり、テントを立てることができた。
とりあえず、テントの室内に荷物を下ろし、シャワールームへ。
1泊300円で泊まれる格安キャンプ場だったのだが、まさかのシャワールームがとてもきれいだった。
もちろん、お金は取られるが、それにしても、300円であそこまで設備が整っているというのはとてもありがたい。
ちなみに、何人で止まっても、1区画300円だったと記憶している。

さて、話は戻って、シャワーを浴びた後、自分の区画に戻り、夜ご飯を作った。
鶏肉に関しては焼き加減を半端なくミスしてしまったのだが、とりあえず夕食に。
19時過ぎで、しかも街灯のない山奥。
今までにあまり味わったことのないような、不思議な感覚だった。
鶏肉を食べ終えると、ご飯の食べ合わせにできるものがなくなってしまったので、今日桂浜に寄った際に購入したカツオ飯の素をご飯に混ぜた。
混ぜご飯にしたのは良かったものの、なぜか食欲がそんなに湧かなかった。
峠で疲れすぎて、逆に食欲が失せたようだった。
本当に疲れた時には、少量のご飯で充分足りたように思っている。
ひとまず、余ってしまった混ぜご飯を、明日の朝ごはんにいただけるように、蓋をして保管。
そのほかの調理器具等についても明日の朝片付けることにした。
峠越えで疲れた体を、寝袋の中に休めて、そのまま眠った。

四国一周7日目【10月16日(土)】


走行距離:66km
走行区間:高知県高岡郡中土佐町→高知県四万十市
獲得標高:863m


キャンプ場だったので、朝は目覚ましをかけておらず、その為、体内時計で目が覚めた。
7時頃だったと思う。
キャンプ場横を流れる川の音と、微かな雨音、鳥の囀りを聞きながら、気持ちよく目覚めることができた。
目が覚めて少ししてから、ひとまず昨夜の残りご飯をいただいた。
最初はそれで足りるのか不安だったのだが、しっかりお腹にたまって、満腹感を得ることができた。
その後、炊事場で昨夜の調理器具と今朝食べたご飯の容器を洗い、テントに戻ってしばらく休憩した。
テントの中にこもっているときは、一時かなりの雨が降っていて、「今日の行程を無事に走行できるだろうか?」と少々不安だったのだが、キャンプ場を出る10時前ごろには雨足は弱まっており、レインウェアを着てキャンプ場を出発した。
キャンプ場を出発する前に、ルートを確認していると、昨夜七子峠の後に通った激坂を下るということが発覚し、一体明るいところで見たらどんな坂なのだろうか?と気になっていたので、ワクワクしながら走行し始めた。
走り始めてすぐ、雨の匂いと共に漂ってくる、心地よい森の香り。
そして、四万十川の支流で釣りをする男性を見たりしながら、昨日通った道へ徐々に近づいていった。
いよいよ、あの激坂を下る地点に到着した。
いざ、下り始めてみると、ブレーキをずっと抑えていないと、大変なくらい、かなり急な坂だった。
特に、雨の後だったこともあり、走行時にかなり気を張った。
「こんなところを昨日くらい中登ってきたのか」と、自分でも驚くくらいに、中々の坂だった。
残念ながら、この時回していたカメラには、うまいこと映像として残せなかったのだが、それでも、今でもあの景色は僕自身の中に生きている。
激坂を一気に下った後は、昨日とは逆方向へ。
四万十市の海沿いを目指して、いよいよ本格的に走り始めたのだ。
昨日の反省もあり、今日は比較的余裕を持って走行できるように気を配りながら、目的地のキャンプ場を目指した。
最初に訪れたのは、郵便局。
今日使用する費用を、あらかじめ計算しておき、その分を自分の口座から引き出した。
その後、四万十市方面へ。
今日の走行に関しては、ほとんどが山沿いで、海沿いに出るのは、後半のキャンプ場周辺のみだ。
しかし、四万十川付近は、本当に美しい場所が多く、特に川で言えば、5m位上からでも、川を泳いでいる大きな魚の姿がくっきり見えるくらいの綺麗さだった。
これには流石に驚いた。
こんなに綺麗な川だからこそ、『日本最後の清流』と呼ばれるのだなと、改めて納得した。
そんなこんなで山沿いを走行し続けていると、気づけば早くもお昼時に。
もともとキャンプ場を出たのが遅かったので、走行距離が気になったのだが、お腹も空いていたので、道の駅で昼食を取ることにした。
昼食を取ったのは、「道の駅あぐり窪川」。
四万十ポークが名産の地域にある道の駅だ。
もちろんこの道の駅についても事前にリサーチ済み!
四万十にきたら食べたいものの候補として、「四万十ポーク」、「四万十ウナギ」「川エビ」、「鹿肉」の4つがあったのだが、事前に調べている中でウナギに関しては値段が比較的高いこと、川エビや、鹿肉については、四万十市の中腹にあることから、今日の宿泊場所を鑑みると、四万十ポークが値段的にも行程的にもちょうど良いなと思い、四万十ポークをいただくことにした。
道の駅の食堂に入ると、早速メニュー選びへ。
四万十ポークが使われているメニューは主に2つあり、一つは王道の「四万十ポーク丼」。
こちらは全国丼グランプリで銀賞を獲得した実績もある人気メニュー。
しかし、値段は1,500円。
連日ひろめ市場で海鮮を食べていた身としては、少し身をひいておきたいところ。
その結果、四万十ポークを使用したメニューで一番安かった月見うどんをいただいた。
注文して10数分後、テーブルに到着。
まず感じたのは、豚肉の美味しそうな香り。
スープによく絡んだ麺と、そのスープから香る豚肉の旨み。
うどんを少し啜った後、すぐに四万十ポークをいただいた。
その美味しさと言ったらもう・・・。
口の中に広がる肉汁と、程よい食感。
永遠に噛んでいたいと思うほどの旨み。
思わず、白ごはんを空想の中で食べてしまった。
うどんを食べて、幸せな気持ちを噛み締めつつ、道の駅の売店へ。
少し暑くもあったので、生姜アイスと、夜ご飯用に四万十ポークのソーセージ(生姜入り)を購入。
ベンチに座って涼んだ後、自転車にまたがって、再び山の中へ突入。
この辺りでも、お遍路さんをたくさん見かけた。
70代くらいのご夫婦であったり、あるいは親子らしき方だったり、お一人でされている方もいたり。
同じように、理由は別であっても、旅をしている人を見ると、なんだか嬉しくなった。
約2時間走ると、山を抜けて海沿いへ。
NAVITIMEのナビを見ながら進んでいたのだが、その指示通りに進んでいると、なぜか砂浜を走らされた。砂浜は、さすがにタイヤを取られて、途中で舗装路へ。
その舗装路を走っていると、ここでもまた、以前宿泊を検討していたホテルに出会った。
四万十市の海沿いで宿泊できるところを探していた際に、たまたま見つけたホテルだったのだが、やはり、事前に調べていた場所をこの目にできる喜びは、とても大きい。
それがたとえ小さなことでも、嬉しくなる。
そのホテルを過ぎた後は、また少し農村と漁村が融合したような場所を走行し、キャンプ場周辺まで到達することができた。
出発から約6時間後の16時過ぎ、オートキャンプ場とまろっとに到着。
事前に予約していた際に、親権者の同意書が必要とのことだったので、それを持参し、受付へ。
自転車で泊まると、電源込みの2420円で宿泊することができた。
更に、平日だと平日割りでさらに安くなるのだという。
これには流石に驚いた。
さて、受付で説明を受けた後は自分の区画へ。
予約の際に、スタッフさんが気を遣ってくださって、中学生ということもあり、一番管理棟に近い区画を用意してくださっていた。
今日はまだ明るい時間帯に着くことができたので、すぐテントを設営。
中に荷物を自転車から運び込み、夜ご飯の支度を始めた。
夜ご飯には、もちろん四万十ポークのソーセージを!
フライパンで素焼きしていると、豚肉の香りとともに、生姜の良い香りが!
これは絶対ご飯に合うなと思いながら、しっかり焼けるのを待った。
焼けた後、熱々のご飯に乗せてほおばったソーセージは、とても美味しかった。
溢れる肉汁に、それを引き立てる生姜の香り。
生姜が、豚肉の油をさっぱりさせてくれているようにも思えて、とても良い味だった。
味噌汁と一緒に、それを堪能した後は、少し休憩タイム。
19時ごろに、併設されている、日帰り入浴施設へ。
1時間ほど湯船に浸かって、体を癒した。
その後、キャンプ場にあるランドリーで洗濯を行い、22時半ごろにテントの中で眠りについた。

四国一周8日目【10月17日(日)】


走行距離:103km
走行区間:高知県四万十市→高知県大月町
獲得標高:1,461m


四国一周も8日目。
いよいよ後半に入ってきている。
今朝は朝6時半ごろ、小さな子ども達の声で目が覚めた。
週末だったということもあって、親子連れのキャンパーが前日から多数宿泊されていた。
朝起きて、テントから出ると、心地よい朝の風の香りが。
テントの外に出たあと、昨夜のご飯の後、自分の区画で水につけておいた調理器具の後片付けをし、朝ごはんの準備へ。
と言っても、インスタントラーメンとインスタント味噌汁だったが。
このラーメンの上に、中土佐町に向かう途中の仁淀川で購入した海藻サラダの素を入れたのだが、これが格別に美味しかった。
食べる前にも、海藻の深く強い香りが漂っていたのだが、口に運ぶと、一層海の味が口の中に広がった。
生ではなくて、乾燥されたものなのに、ここまで美味しいとは。
正直、今まで四国一周中に食べてきた海鮮に負けず劣らずな味に思えた。
こちら、塩と海藻以外は何も入っていないので、完全に海の味だけ。
本当に美味しかった。
さて、余談はここまでにして、本日の行程を振り返っていこう。
キャンプ場で朝ごはんを食べた後は、片付けや自分の使った区画の整理をし、9時50分過ぎにキャンプ場を出発した。
結局出発時刻が遅くなってしまったのだが、そのまま本日の目的地である高知県の端、大月町に向かって進み始めた。
最初に、本日の予算を下ろそうと道のり沿いにある郵便局に行ったのだが、日曜日が定休で、ゆうちょ銀行での引き出しができなかった。
ひとまず諦めて、小腹も空いていたので少しコンビニで小休止していると、お遍路で歩いて来られた男性に声をかけられた。
男性:「学生?」
私 :「中学生です」
男性:「中学生か〜!」

そんな会話に始まり、気づけば30分弱、四国一周のことや旅について語り合っていた。
その男性は、2021年4月には四国をマウンテンバイクで一周されたことがあるそう。
今回は半年ぶりに、歩いて四国を一周されているとのこと。
ちなみに、過去にはタンデム自転車で旅をした経験や、同じようにマウンテンバイクで北海道一周等もされたことがあるとのことだった。
四国一周の話に関しては、実際にその方が回られた時の話を聞いたり、写真を見せていただいたりした。

男性:「しまなみ海道に無料キャンプ場あるんだけど知ってる?」
私 :「知ってます!ただ今はコロナで宿泊禁止らしいんですよね」
男性:「ここのキャンプ場夕焼けが最高なんだよな。写真見せたるわ」
〜写真〜
私 :「最高ですねぇ。これは絶対行きたいです!!!」

その他にも、四国の方の人柄についてや、食べ物のおいしさ、たった30分の間だったけれど、同じように、そして同じ場所を手段は違えど旅をしている方と、旅についての想いや、これまでの出来事を少しでもお互いに共有することができたのはとても有意義だったと思う。

30分弱の会話ののち、それぞれの旅路に改めて戻り、私は足摺岬方面、男性は四万十市方面へと進んだ。
互いに「頑張って下さい」、「頑張れ」という言葉を掛け合って。

キャンプ場を出るのが遅くなってしまったこともあって、男性と別れた後は急いで足摺岬へ。
道中、サイクリストの方も多く、対向車線の方と会釈や声を掛け合ったりもした。
足摺岬への最後のルート上では、左側に太平洋が広がっており、とても美しい景色を楽しみながら進むことができた。
そしていよいよ、四国の名所、足摺岬へ。
到着目前に、目の前に足摺岬の石碑が見えた時は本当に興奮した。
「ついに来た!!!」
まずはすぐに自転車を石碑の前に留め、記念撮影。
しかし、後で確認したらそれがうまく取れていなかった。
愛車と足摺岬の石碑の写真を撮りたかったのだが...
さて、その後はもちろん、足摺岬付近の散策だ。
足摺岬の総合案内所のようなものが設置されていたので、そこで地図を貰った。
そこでも、中学生ということに驚かれ、「今日はどこまで行くん?」と聞かれた。
ちなみに、その地図によると、足摺岬の海の景色を見る場所として、一つは一般的なコンクリート作りの展望台、もう一つは少し林の中を歩いて天狗の鼻という場所があるそうだ。

今回は、その両方を巡ってみた。
他にも、周辺にはいくつも見所があったのだが、大月までの行程や、足摺岬以外での観光のことを考えると、この2箇所のみに寄るのが妥当だと判断し、まずは足摺岬の展望台へ。
ちょうど、修学旅行の代替で日帰り遠足に来られていた中学3年生の団体がおり、観光案内所のガイド担当の方がその方達に説明をされていたので、その説明に耳を傾けながら展望台からの景色を楽しんだ。
その方のお話の中に、
「あれは台風が来ると全国に『足摺岬の現在の様子です』と報道されるときに使われるライブカメラです」
というご説明もあり、「なるほど、そんな設備まであるのか」と驚いた。
また、足摺岬の大きな特徴と言っても良い、海の色の違い。
足摺岬付近で発生する黒潮と、通常の海の色の違いを、展望台からは楽しめる。
遠くから見ると気付きにくいのだが、展望台の一番前からじっくり観察すると、その色の違いがはっきりとわかる。
これもまた、とても面白かった。
展望台を訪れた後は、観光案内所のご夫婦に、「こちらの方が良い」という人もいると言われた天狗の鼻の場所へ。
こちらはこじんまりした山の休憩スペースのような場所だった。
先ほどとは若干違う角度で見る足摺岬の景色もまた良かった。
その後、お昼時をもう2時間ほど過ぎてはいたものの、近くの食堂でご飯をいただいた。
出てきた食材の中には、なんとご当地野菜が!
万次郎かぼちゃという、ジョン万次郎の名がついたかぼちゃが煮物として出てきたり、名前を忘れてしまったのだが、足摺岬のあたりでしか食べられないというお野菜も頂けた。
ご当地野菜というだけでも特別感があったわけだが、特にカボチャに関しては、甘過ぎず、ほくほくした良い食感だった。
お腹を満たしたのち、再び本日の目的地へ向けて再出発。
足摺岬を出発してすぐの場所では、木々がトンネルのように道を覆っていて、そこから入ってくる木漏れ日がとても心地よかった。
そのまま海沿いを宿毛方面へと進む。
足摺岬を出発したのが14時過ぎだったこともあり、足摺海洋館「SATOUMI」付近を通過する頃には太陽が傾き始めていたのだが、その後に立ち止まった道路沿いからみた景色が最高に美しかった。
金色の夕日が太平洋に反射し、海がオレンジ色にキラキラ光ったその様子は、本当に美しく、心を洗われた。
海沿いの景色に見惚れられたのは良かったものの、思っていた以上に時間の余裕がなくなってきていた。
キャンプ用の食材を適当に購入するため、足摺岬周辺から土佐清水市の道の駅まで移動したが、その道の駅に着いたのが17時半過ぎ。
当初宿泊を考えていたスノーピークのキャンプ場ならこの道の駅のすぐそばにあったので、駆け込みでそこに行くことも一瞬考えたものの、元々マンボウに関わらず、「県外からの受け入れ中止」をホームページで宣言されていたので、恐らく難しいだろうなと思い、今回予約していた大月町のキャンプ場に改めて向かうことにした。
キャンプ場に到着が遅れる旨の電話をした後、この道の駅を出発。
四国一周6日目のことがこのとき頭をよぎった。
今回は海沿いを走り続けるので、山の中ではないだけマシかもしれないが、途中かなり暴走している車に出会ったりもしてかなり不安だった。
どんどん薄暗くなる景色と、街灯の少なさ。
大月町に入る頃には山に入り、林に囲まれていたので、暗さは余計に増した。
更にはあと少しでキャンプ場につけるというときに、最後に通った道がまさかの砂利道で街灯ゼロの場所だった。
その林道を抜けた後、すぐにキャンプ場につけたものの、正直キャンプする気力は残っていなかった。
結局、キャンプ場の宿泊者の受付もしているすぐ近くのホテルに宿泊することに。
宿泊料金は4,000円程度と、良心的な方だったので、体を休ませることを優先しこちらに宿泊した。
キャンプ場のキャンセル料に着いて聞くと、「こちらで処理したので大丈夫です」と仰ってくださった。
ホテルに落ち着き、夜ごはんをどうしようかと思ったが、売店に300円ほどでカップ麺が売っていたので、それと、途中の道の駅で買った270円のマグロの刺身をいただいた。
普段は塩くどいなと感じるカップ麺も、100kmライドの後に食べると体に染みて本当に美味しかった。
また、道の駅で購入した宿毛産のマグロも、驚くほど美味しかった。
夕食の後、入浴を済ませ就寝準備へ。
しかし、ここで問題が発生した。
部屋でお手洗いに行った際、血尿らしきものが出てしまったのだ。
急いで血尿の原因を調べたものの、さっぱりわからず、その後両親に連絡し、明日病院に行くことにした。
あくまでネットの泌尿器科医院のサイトによる情報だが、血尿の原因として、尿道結石や、尿道もしくは膀胱等のいずれかから出血している場合、まれにストレスからなることもあるらしい。
そんな情報を目にしてしまうと、どうなるか不安になるが、明日病院に行かないことには分からない。
不安は増したが悩んでいても仕方がないのでゆっくり寝ることに。
スケジュール感の無さが祟ったり、体に異常が出たり、中々大変な1日ではあったが、ワクワクする出会いもあり、素晴らしい景色も見ることができて、それに関しては良かったかなと思う。
もう四国一周も残すところ残りわずかなので、最後まで四国を満喫したい。

四国一周9日目【10月18日(月)】


走行距離:96km
走行区間:高知県大月町→愛媛県宇和島市
獲得標高:841m


今朝は午前5時半ごろに起床。
少し遅めの寝起きだった。
起きたてすぐ、朝ごはんを食べたかったがホテルの売店が開くのが7時半頃なので、それまで衣類の整理や部屋の片付けをして待った。
7時半になり、ホテルの売店へ。
昨夜どん兵衛のような容器に入っているカップラーメンをいただいたのだが、今日はカップヌードルほどの少し小さめで安いカップ麺を食べることにした。
部屋に持ち帰り、湯沸かしポッドでお湯を沸かして、アツアツの麺をいただいた。
その後もなんだかんだゆっくりしていて、結局ホテルを出たのは10時過ぎとなった。
元々大月町に近い病院で診察を受けるつもりでいたので、遅めに出たのだが、これが後で仇になりかけた。
ホテルを出て2時間ほど走り、道の駅すくもで昼食休憩をとった。
すくもなのでおいしい海鮮が食べられるはず!と思い寄ってみたのだが、こじんまりした定食屋さんと、お好み焼き屋さん、販売所がある小さめの施設で少し寂しくはあったが、ご飯をいただいた。
振り返っている時に、個人店を探して食べれば良かったなぁと今更ながら思ってしまった。
この道の駅すくもで、本日行く予定だった病院に電話してみたのだが。

私 :「そちらの病院で泌尿器科の診察はされてますでしょうか?」
病院:「いえ、泌尿器科はないんですよ」
私 :「なるほど、近くの病院で泌尿器科がある病院は他にありますか?」
病院:「そうですね、どこにお住まいでしょうか?」
私 :「今宿毛市にいるんですけれども」
病院:「宿毛市からですと、泌尿器科に通院されている方は宇和島まで出ら
              れるか四万十市まで出られるかのどちらかになりますね」
私 :「なるほど、分かりました。ありがとうございました」

そう、なんと、宿毛市周辺及び大月町には、泌尿器科医院がないというのだ。
さらには、宇和島や四万十市まで約1時間かけて車で通院されている方がほとんどだという。
四万十市まで引き返すと、旅費が嵩むので、結局宇和島市まで出ることにした。
しかし、時刻は12時半過ぎ。
ナビタイムで検索すると、今から宇和島市に向かうには100km弱の距離があり、さらには夕方17時までに着けるようにしなければならないことが判明した。
「これは大変だ」と、大急ぎで自転車を漕ぎ始め、宇和島まで急いだ。
宿毛市を過ぎると、この辺りから山越えが始まり、これがまあまあキツかった。
登り坂→下り坂を何度か繰り返すパターンで、不安を抱えた体と心には堪えたが、しかし途中途中で瀬戸内海に近づいているからか、とても透明度の高い海を目にすることができ、元気をもらえた。
そして、ついに愛媛県に突入。
最初は愛媛県愛南町。
愛媛県の看板が見えた時には、心から感動した。
まだ東予港までは戻っていないが、それでも四国を愛媛から出発し、香川、徳島、高知のルート
で一周してきた自分にとって、スタート地点の愛媛県に突入できたことは、一つの大きな節目と
なった。
そしてペダルを漕いで、漕いで漕ぎまくった結果、14時半ごろには愛南町の須ノ川公園まで到達することができた。
公園で水分補給がてら売店によると、お店のおばあちゃんに、
「昨日まであんなに暑かったのに、今日は一気に寒くなったねぇ」
と言われた。
「そうですね〜」と返事したのだが、言われてみれば確かにそうだ。
昨日までの暖かさに比べて、今日は冷たい風が増している気がする。
そんなことを思いながら、今日宿泊予定だったキャンプ場へ、キャンセルの電話を入れた。
というのも、今日宿泊する予定だったキャンプ場は、宇和島市の郊外にあるキャンプ場で、宇和島市中心部から18kmほど離れており、宇和島市で診察を受けた後に、来た道を少し引き返して宿泊しないといけなくなる。
血尿の正体がわかっていない状態の中、キャンプ場を予約したままにしておくのは心配だったので、キャンプ場に事情を説明してキャンセルにしてもらった。
元々、コロナの関係でほとんどのキャンプ場でキャンセル料が無料になっていたので、キャンセル料の徴収はなかった。
休憩が済んだら再び病院に向けての道のりを進み始めた。
まだ残り40km。
今日中に受診ができるようにと、細心の注意を払いながら宇和島市へ急いだ。
その結果、17時過ぎに宇和島市の目的の病院に到着することができた。
しかし、その目的の病院は、なんと今日の午後が臨時休診だった。
「どうしようか」と思い反対車線を向くと、そこには「内科・泌尿器科」の文字が!
信号を渡って、病院の待合室に入ることができた。
問診票を記入し、検査等を行ったのち、診察室へ。
エコーで尿道などをみてもらったが、特に異常はないとのこと。
「他に気になることはないですか?」と先生に聞かれたので、
「そういえば四国一周前半からお尻が痛いです」
と話すと、
「典型的な痔です。多分サドルに長時間座ってたせいでしょう。このまま走り続けるとどこかでドクターストップがかかるかもしれないので、とりあえず薬を出しときますが、くれぐれも安静にしてください」

と言われてしまった。
先生には「違うと思うよ」と言われたが、昨夜の血尿のようなものは、痔からの出血だったのかもしれない。
幻覚ではなかったはずなので。
その後、待合室に戻ったのだが、大変なものを診察室に忘れてしまっていた。
診察室のカゴの中に、財布を置いたままだったようで、看護婦さんが待合室まで届けてくださった。
「これがなかったから旅できひんやろ(苦笑)」。
これが病院だったから良かったものの、公園や道の駅で忘れてしまったらシャレにならないなと思いながら、肌身離さず財布を持とうと、再度意識して、薬局で薬を受け取り、病院の待合室で予約しておいたホテルへ向かった。
このホテルは、宇和島市内でも比較的安めのホテルで、しかもプランに関係なく、部屋に自転車を持ち込むことができるところだった。
防犯性も鑑み、ありがたくお部屋まで持って行かせてもらうことにした。
さて、部屋に落ち着き、ひとまず一安心。
改めて、血尿が「なんともなくて良かった」という大きな安心感に包まれた。
しかし、痔に関しては、先生も「おお〜」という中々の酷さだったので、そちらはそちらで心配だが。
なんとか四国一周終わるまでお尻がもちますようにと、願ってみた。
その後は20時前までホテルでゆっくり過ごしていた。
いい加減夜ご飯を食べに行かないといけないなと思い、Googleマップでリサーチを開始!
宇和島に来たら必ずこれだけは食べたいと心に決めていた、宇和島鯛めしのお店を探した。
愛媛県内で展開されているチェーン店の宇和島鯛めし店もあったが、ここは地元の宇和島だけにしかないお店を選ぶことに。
ホテルから4、5分歩いた場所にある、割烹料理屋さんに行ってきた。
仕事帰りのサラリーマンらしき方で結構賑わっていて、カウンター席に案内されたのだが、皆さんお酒を飲んでワイワイ喋っておられた。
これはこれで雰囲気が良いな〜と思っていたら、店員さんに、
「本日美味しい日本酒ご用意しておりますのでよろしければどうぞ〜!」とお酒をお薦めされた。
「未成年なので大丈夫です〜」ともちろん断ったが、これはちょっと嬉しかった。
「こんな自分でも成人に見えるんだ」と(恐らくマスクで顔が見えないせい)。
このお店、メニューも豊富で、鯛めしと刺身を楽しめるセットや、鯛めしとさつま飯を楽しめるセットなど、色々あったが、私は、宇和島鯛めしとさつま飯のセットをいただくことにした。
ご飯は小さなおひつに入って出てきて、そこからお茶碗に自分で入れたい分だけお米と鯛めしorさつま飯の具を乗せる方式だった。
最初に、宇和島鯛めしの鯛を卵と出汁に絡めてから、装った白ごはんの上にかけて、それから混ぜていただく。
この鯛めしが、本当に美味しかった。
この上ない美味しさだ。
程よく脂が乗った、プリップリの鯛に美味しい出汁と卵が良い味を出していて、顔が綻んだ。
美味しすぎて、宇和島鯛めしだけでご飯を5杯は食べたと思う。
そしてお次はさつま飯。
こちらは、宇和島の地元飯だそうで、鯛と麦味噌、お出汁を絡めた具を、ご飯の上にかけていただくものだ。
鯛めし同様、食道を通っていく感覚さえ、鮮明に感じられるほどの美味しさだった。
こちらのさつま飯でもご飯を茶碗に5杯ほど食べてしまった。
なにしろご飯はおかわり自由だったものだから、ついついたくさんいただいてしまったのだ。
実は、四国上陸に使ったフェリーの船内にも宇和島鯛めしはあったのだが、宇和島に行くまで絶対に食べない!と、四国一周の一つの楽しみとして、これまで温存してきていた。
だからこそ、想像以上の美味しさと幸せを得ることができたのかもしれない。

こちらのお店でお会計を済ませ、外に出た後も、口元のニヤニヤは止まらなかった。
美味しすぎたのだ。
ニヤニヤしながら夜を歩く、一見ヤバい人間だったがもはやニヤけが止まらない。
だって美味しかったのだから。

次回宇和島に来る時も、ぜひまたあのお店をリピートしたいと思う。
鯛めしを食べた後は、すぐにホテルに戻りお風呂に入った。
今日はユニットバスだったが、ホテルの入浴剤バイキングで貰った森の香りがするという入浴剤を使って、湯船に浸かったので、いつも以上に疲れが癒されたような気がした。
そして、12時過ぎにベッドの中で眠りについたのだった。
今日は病院に行く予定があったこともあり、1日身体というより心がバタバタしていて落ち着かないことも多かったが、それでも宇和島までやってくることができて良かったなと思う。
何より、愛媛県に帰ってくることができたことが自分にとっては本当に嬉しかった。
いよいよラストスパートに入ってきているのだなという実感もしつつ、今日を終えた。

【左下が宇和島鯛めしの素,右上がさつま飯の素】

              

四国一周10日目【10月19日(火)】


走行距離:106.8km
走行区間:愛媛県宇和島市→愛媛県松山市
獲得標高:1,381m



昨日から宿泊していたホテルで、朝を迎えた。
いつも通り5時半ごろの起床。
今回のホテルの朝ごはんは、バイキング形式ではなく、近くのお惣菜屋さんのお弁当をホテルが買い上げて朝食として提供している形だったので、ひとまずフロントへ朝ごはんを受け取りに行った。
フロント横には宿泊者限定のドリンクサービスもあり、コーヒーを無料でいただけた。
その後、部屋へ戻り朝食を済ませ、小一時間休憩してから部屋の片付けと出発準備を行なった。
一通りの準備が終わり、9時半ごろに走行を開始した。
最初に立ち寄ったのは、宇和島市内でも一際目立つ、宇和島城。
もともと四国一周計画時に観光スポットを調べていた際に、行きたい場所の種類の一つとして、歴史に関係する場所、城というものがあり、この城の候補の中に宇和島城があった。
四国一周時に立ち寄る城の候補としては、なるべく四国の外側にある場所で、尚且つ築城時の姿を比較的残しているような場所にしていた。
その結果、最終候補として上がったのが、香川県丸亀市の丸亀城、高知県高知市の高知城、愛媛県宇和島市の宇和島城、愛媛県松山市の松山城の4つの城で、宇和島城にも行こうと決めていたのだった。
さて、ホテルを出発して5分弱で宇和島城の城門前に到着。
駐輪場に自転車を停めてから城門をくぐってから歩き始めた。
ちなみに、この宇和島城は徳川家の重臣・藤堂高虎によって築城されたものだ。
以前、三重県名張市にある藤堂家に関係のある家へ訪れたこともあり、そこから藤堂高虎という武将に興味を持つようになっていた。
先ほどの城門をくぐって少し歩くと、道が2つに分かれていた。
そこに案内人の方が立っており、
「こちらの道が工事中ですので、もう1つの道からお上がりください」
とその方に言われた。
どちらの道も最終的には宇和島城の天守まで通じているそうだが、ひとまず案内された方の道を進むことに。
歩き始めてすぐに、階段の作りに驚かされた。
階段の段差の高さが1段1段全然違って、登りにくかったのである。
高知城で、城の築城時のこだわりについて解説されている動画を見ていたので、その動画をもとに考えると、敵に攻められた時の城の防衛手段の一つとして階段の登りにくさを工夫したのではないだろうかとも思った。
詳しいところはちゃんと調べられてはいないが、そんなことを考えながら階段を登るのは本当に面白くて、楽しかった。
途中には大きな井戸も作られていて登れば登るほど、ここがお城なのだなという実感が強くなってきた。
ちなみに、私の前をお婆さんが歩かれていたのだがその方は宇和島城の階段を登るのにかなり苦労されていたようだった。
実際、いくら若いとはいえ、登るのは私でも若干しんどかった。
さて、登りきって天守の前の広場へ到着。
この広場からは宇和島市内を見渡すことがきた。
その後、天守の中へ入ることにし、受付へ。
受付で中学生であることを伝えると、小中学生は無料だということを教えてもらい、中を歩いた。
天守は3層構造で、全て木造。
天守自体は小さめでこじんまりしていて、10分ほどで見終わることができたが、城に至るまでの階段が個人的にはとても面白かった。
天守を出た後は、再びきた道を戻り、本日の目的地松山市へ向けて走行を再開。
しかし、ここからがとても大変だった。
昨日の大月町から宇和島市への道のりも坂のアップダウンが中々だったが、今日に関しては登りがずっと続いた後、一気に下り続けるというしんどい道のりだったのだ。
しかも、道中には歩道がない1200mもあるトンネルがあり、その中をたくさんのトラックや車と共に走り抜けるという状態になってしまった。
そんな辛いルートではあったが、アップダウンが激しいだけあって、景色は最高だった。
また、私が走行していた道のすぐ下を途中まで予讃線が走っていて道中電車が通らないか期待したのだが、その時点では残念ながら見ることができなかった。
それはさておき、走行しながらみる瀬戸内海の透き通った海は、遠くから見ていても本当に美しく綺麗だった。
そのまま走り続けると、しばらく登りだったのが、今度は下りに変わった。
下りだから「楽ちん!」と言いたいところだが、そんなことは微塵もない。
この日は向かい風で、下りながら前から風が当たってきていた。
ただでさえブレーキに力を入れ続けながら安全に下らないといけないのに、頬にあたる冷たい風は体に応えた。
そして、その坂を下ると、愛媛県大洲市に到着。
実はここに到着するまで、ずっと昼食を食べる場所を探しながら走っていたのだが、カフェやスナック等はあるものの、中々定食屋さん的な場所が通ったルート上には少なく、大洲市にあったタンタン麺一番亭というお店で昼食をいただくことにした。
昼食を終えた後は、本日2つ目の目的地、下灘駅に向けて走行を再開。
昼食を食べたお店は、坂を下った場所にあったこともあり、海沿いからは若干距離があったので、ナビに従って、国道56号線で伊予灘方面へ。
この国道56号線には、高知県を走行していた時からずっとお世話になっている。
途中休憩を挟みつつ、下灘駅に着いた頃にはもう夕方16時ごろになっており、日が傾きはじめていた。
以前調べた時に、観光客でごった返していると聞いてはいたものの、着いてみると本当に人が多かった。
1グループ帰られたと思ったら、更に2グループほどが入れ替わりで入ってきたりもした。
全員、ここからの景色を撮影されにきているようで、一眼レフカメラやミラーレス一眼カメラを持った方も多数おられた。
せっかくなので、この駅にくる気動車の列車を見てみたいと思い、時刻表を確認。
すると、松山方面、八幡浜方面ともに16時台に上下1本ずつ設定があることがわかったので、その列車を見てから松山方面へ向かうことにした。
駅前には、おしゃれなワゴンカーで営業されている下灘コーヒーというお店が。
列車が来るまで時間に余裕があったので、そのお店でコーヒーをいただいた。
5分ほどかけて、じっくり淹れてくださったコーヒーは、味に深みがあって、冷えた体を温めてくれたような気がした。
そのコーヒーを飲みながら、再び下灘駅のホームへ。
下灘駅は自動改札等の設置はなく、待合室も秘境駅というような雰囲気を醸し出していた。
実際、この駅を出る列車の本数はとても少なく、朝の通勤時間帯と夕方の帰宅時間に固めて設定されているようだった。
それはさておき、ゆっくりコーヒーを飲んでいたら、列車の入線時刻に。
慌てて入線風景を撮ろうとしていたら、コーヒーを少しこぼしてしまった。
そんなこんなで下灘駅に入線してきたのは、キハ32形気動車。
気動車特有のエンジン音を轟かせながら入線してきた。
1両編成で、バス等に取り付けられているようなサイドミラーも列車の運転席両側に取り付けられており、扉も折り戸。
この雰囲気も中々今の都市部では特に見かけない光景なので、新鮮だった。
さて、上下両方の列車を見送ったり、下灘駅の駅名標やホームの写真、ホームから見える景色を撮ったりした後、ラストスパートの松山に向けての走行を始めた。
ホテルには予定時刻よりも遅く到着しそうだったので、予めフロントの方にその旨を連絡し、夕焼けに照らされた伊予灘を松山に向かって走った。
下灘駅からはもちろんのこと、走行しながら見る夕焼けは本当に美しかった。
残りまだもう少しある走行時間の元気の源にもなった、そんな景色だった。
さて、時間は少し流れて、18時過ぎに松山市内に到着。
ここからホテルまでまだまだ距離はあったが、いよいよ都会感が増してきた。
四国一周の出発の地である愛媛県西条市から一周を開始して再び愛媛県に戻ってきた時の率直な感想は、都会だなというものだ。
四国の中でも、高知や徳島、香川ももちろん中心部は都会な雰囲気を感じたが、愛媛県は全体的に都会な感じがある気がした。
だからこそ、松山に入ったときは、光が眩しいなというように思ったのがとても印象深く残っている。
さて、松山に入ると走行中に伊予鉄道線を走る列車が見えた。
もはやあたりは真っ暗なので車両自体は明瞭には見えなかったものの、暗い夜を窓から明かりの漏れた列車が進んでいく姿はとてもカッコよかった。
そのまま40分程度走ると、いよいよ松山市中心部へ。
鉄炮町のあたりを通りつつ、ホテルのある平和通りへ到着。
しばらく走ると、すぐに本日宿泊するホテル泰平が見えてきた。
ここは大浴場と露天風呂がそれぞれ別に用意されているのが自慢にもかかわらず、1泊5,000円前後で宿泊することができる、とてもリーズナブルなお宿だ。
チェックインを済ませ、エレベーターに乗り込むと、たまたま途中まで一緒に乗ることになったホテルのフロントのおじいさんに
「今日はどこから走ってきたの?」
と聞かれて、
「宇和島からです」
とお答えすると、
「寒くなってきているから、風邪ひかないように気をつけてね」
と言っていただけた。
「もちろんです!気をつけます」
とお答えしたのだが・・・。
自分の部屋がある8階につき、鍵を開けて今回2泊するお部屋へ。
中は古さを若干感じるものの、清潔感もあって綺麗だった。
自転車に積んでいた荷物を置いて、ひと段落したところで椅子に腰掛けた。
しかし、なんだか気だるさを感じた。
嫌な予感がよぎって熱を測ると、案の定38.5分の熱があった。
同時に寒気もしたので、おそらく昨日から続いている寒さで体が冷えたのだと思う。
実は、羽織れるようにダウンも常備していたのだが、着るのが面倒で着用していなかったのだ。
それが仇になった結果だった。
しかし、結果的には松山のホテルを2泊に変更しておいたことで、明日1日療養できるということになったのでひとまず梅干しをたくさん食べて水分も購入し、今夜のところはゆっくり休むこととなった。
昨日の痔問題といい、今日の風邪問題といい。
後半は自分の身体がよくトラブルを起こすなあと思いながら、明日は1日休養日だし、疲れた自分の体をしっかり労ってやらないといけないなと思った。
何はともあれ、早く熱が下がって、旅を再開することができるように願って眠りについた。

四国一周11日目【10月20日(水)】


走行距離:0m
滞在場所:愛媛県松山市


今朝5時半ごろに起床した。
起きてすぐに、熱を測る前から分かる体のだるさ。
体温計のスイッチを入れると、案の定38度超え。
朝食はお弁当形式だったので、そちらを受け取って食べたのだが、食べてから後悔した。
揚げ物が多いメニューで、熱っぽい身体には毒だったのだ。
若干吐き気がしたが、ひとまず自宅から持参してきていた梅干しと梅肉エキスを食べておき、更にホテル4階にある自動販売機でお茶を買い足しておいてから、再び横になった。

次に起きたのは11時過ぎ。この日は室内だったこともあったのだろうが、外からの日差しが暑かった。
しかし、風邪をひいているのでとにかく布団にくるまり続け、何度か水分補給も重ねた。
そのままゴロゴロすること約5時間半。
夕方6時半ごろ、少し楽になっていたので、熱を測ったら、平熱に近づいていた。
まだ37度3分ほどの熱。
まだ微熱ではあったが、体調もだいぶ落ち着き食欲も出てきたので、外食は控えて近くのコンビニに行くことにした。
歩く時、若干ふらついて少し怖かったが、何とかコンビニで水分とおにぎりを購入することができた。
部屋に戻ってからは、明日の走行に備えて色々と情報収集を行った。
明日は松山市から今治市まで移動する予定だ。
ルートはナビタイムで検索した上で、なるべく坂の少ない海岸沿いを選んで走行できるようにすることを決めた。
しかし、明日無事に走行できるようにするには早めに寝ておかなければならない。
今日は21時半ごろに床につき、就寝した。

四国一周12日目【10月21日(木)】


走行距離:50.5km
走行区間:愛媛県松山市→愛媛県今治市
獲得標高:306m


今朝はいつも通り5時半頃に起床。
ドキドキしながら起きてすぐに体温計に手を伸ばし、体温を測ると...!?
無事、平熱に下がっていた!
「これでまた旅を再開することができる」と思うと、本当に嬉しかった。
そしてその後、着替えをして、近くのコンビニへ朝ごはんと水分を買い出しに行った。
部屋に戻ってきて食べたおにぎりの味は、まだ微熱が残っていた昨夜以上に美味しかった。
やはり、健康な状態でいただくご飯が一番おいしい、そう思った瞬間だった。
それからは、今日の走行距離が比較的短めなこともあり、チェックアウトの1時間前、午前10時ごろまでゆっくりしていた。
すると、9時半ごろ、突然部屋の電話がなり、「何事だろう?」と受話器を取ると、

「こちらフロントですが、朝食券をお預かりしておりますが今朝の朝食はどうされますか?」

と、聞かれた。

もともと2泊朝食付きでお願いしていたのだが、1泊目のチェックイン時に渡された朝食券は昨日分のみで、おかしいなとは思っていた。
しかし、病み上がりだったので、朝ごはんはおにぎりで事足りるだろうと思い、結局コンビニに買いに行っていたのだ。
これに関してはシステムを理解できていなかった自分が悪いのだが、少し考えた結果、朝食券ももったいないので、すぐにフロントに降りて、朝食券をいただき、朝食会場でお弁当を受け取って、部屋に戻って2度目の朝食をいただいた。

そんなこんなで朝一番から少しトラブルもあったが、10時半頃にはホテルを出発。
今回宿泊したホテルはチェックアウトが11時までだったので、2泊で1万円ポッキリと安い上に、長時間滞在が可能というとてもコスパが良い宿泊施設だった。
それではいよいよ本日のライドのはじまり始まり!
最初は、早速松山市内観光から。
現存12天守の一つにも数えられている松山城へ登城。
完全な山城で、父から話には聞いていたが、ロープウェイやリフトも用意されているほどの高さにあるお城だった。
ちなみに、この松山城の近くには伊予鉄道の路面電車が多く走っており、松山城に至るまでに通った道でも、伊予鉄道の列車とたくさんすれ違った。
さて、いざ天守のある頂上に着くと、松山城の外観の立派さに驚かされた。
高知城も風格がある、かっこいい見た目だったが、松山城は外から見ていても、格式の高いお城だなと感じるくらい、迫力があった。
入城券を購入し、門を潜って松山城天守を目指した。
こちらの道では、より間近で松山城の天守を眺めることができ、遠くから見ていた時以上に圧倒された。
そしていよいよ松山城天守の入り口へ差し掛かり、いざ中へ!
まず初めの、1階部分には、靴用のロッカーがあり、そちらに靴を入れてから階段を登って2階へ。
1階に関してはロッカーやメダルの販売機もあることから、現代チックな雰囲気を醸し出していたが、階段や壁面は、やはり戦国時代や江戸時代のお城の雰囲気を残していて、階段に至ってはその急さは中々のものだった。
2階部分からは、松山城に関連する武将の使用武具等の展示、また松山城、松山藩の歴史などの展示が続く。
その中には、松山藩時代の財政難の話なども紹介されていて、当時の松山の歴史を肌で感じることのできる展示が多くなされていた。
個人的に近未来だなあと感じたのは、「VRゴーグルを使って昔の松山城を体験してみよう」というような試みだ。
正確なことは記憶しきれていないが、確か戦いを体験するあるいは当時の様子を見ようといったような内容だった気がする。
大人気で、体験は控えたが、もはやこういったものが展示の一部になるような時代なのだなあと思うと、嬉しいような悲しいような、そんな何とも言えない想いを持った。
それはさておき、その後も展示を見続けて、いよいよ天守閣に到達。
天守からの景色は、これまでのどの城よりも美しかった。
高知城や宇和島城を上回る高さに建っているお城なので、それもあっての景色の美しさだったのだろう。
松山市内を一望でき、また、天守の周辺の広場までもはっきり見ることができるような作りになっていた。
残念ながら高知城のように天守の外に出て歩き回ることは禁止されていたのだが、それでも本当に素晴らしい景色を見ることができて、大満足だった。
さて、松山城の天守見学を終えた後は、売店で甘酒をいただいて少し休憩し、走行を再開することにした。
実は、この休憩した売店では、蛇口みかんジュースが販売されていたのだ。
とても惹かれたが、病み上がりなのでお腹を冷やすのは良くないなと思い、甘酒にしておいた。
休憩後はすぐに下山、自転車にまたがって本日の目的地である松山市を目指した。
昨夜のルート検討時に、坂道が少ないコースを選んでおいたこともあり、ほとんど海沿いの場所を走行することができた。
しかし、坂道が少ない道にしておいたはずが、松山城出発から10数分後、なんと農道のような道に案内され、急な坂道を登らされることになった。
微妙にキツい坂だったのだが、漕ぎ続けて何とか登りきり、お次は下り坂。
この下り坂からの景色が最高に良かった。
ちょうど、港町のような場所で、走行している場所から徐々に海がひらけているような形だった為、その様子と瀬戸内海の美しさが相まって、本当に最高な景色を作り出していたのだった。
病み上がりで少ししんどさもあったが、美しい瀬戸内海の景色のおかげで、再び頑張ろうという想いが芽生え始めて、ペダルを漕ぎ続けることができた。

それから走行を続けること約2時間、松山市にある道の駅風早の郷風和里へ到着。
松山市中心部を出たのが13時頃だったので、時刻はすでに15時半頃になっていた。
いつもより少しペースも遅く、この時点での走行距離は25km。
小腹も空いていたので、空いていた売店でたこ焼きを買い(ご飯系統のものがこれしかなかった)それを頂きながら少し休憩した。
その後、明日四国を離れるので、帰りのオレンジフェリーを予約しておき、15時45分ごろに道の駅を出発。
今治市内へ向けてほぼノンストップでの走行を再開した。
今治市に抜けるまでも、ほとんどの箇所で瀬戸内海の真横を通る形で、水面が綺麗に透き通ったその海の様子に何度も元気をもらいながら、走行を続けた。
そして16時頃には今治市へ突入。
16時半には今治市の造船工場地帯へ到着し、17時頃には今治市中心部に到達することができた。
途中の造船工場地帯では、金属や接着剤と思われるニオイ等が充満していて、工場地帯だなということを再確認するとともに、港に停泊していた大きな貨物線に圧倒された。
恐らく検査で入港していたのだと思うが、大きな貨物船は、見ているだけで心が躍った。
さて、こちらの工場地帯を抜けた後は、再びちょっとした山道を越えて、ついに今治市中心部へ。
「ついにここまでこれた」という想いも抱きつつ、ホテルまでラストスパートを走行した。
今日宿泊するのはスーパーホテル。
昨日、一昨日と、風邪の影響でお湯に浸かれていなかったので、今日は存分に温泉を楽しんで、しっかり体の汚れを落としたいなと、そんなことを思いながらホテルに向かった。
自転車を駐輪場に停めてチェックインした後は、自分の部屋へ行き、リュックを下ろしてから、再度自転車に積んでいたバッグ等を部屋に運び込んだ。
そして夕食の時間になり、再び相棒と走行を開始。
今治名物たまごめしを夜ご飯にいただくことにした。
近くの中華料理屋さんへ行き、早速たまごめしを注文して、併せて別でスープも注文したのだが、すると、実はたまごめしにスープがセットになっていたことがオーダーをした後、料理が届いてから発覚。
しかも、単品で頼んだスープの量が異次元に多くて、「やらかしてしまった」と思った。
てっきりたまごめしは単品だと思い込んでしまい、スープを別で頼んだのだが思いっきり裏目に出た。
「おい自分、そういうところだぞ!」
と思いながら、たまごめしとスープ(2種類)をいただいた。
たまごめしはソースが効いている上に、2つの目玉焼きが載っていることから、卵の味も楽しめた。
スープは、たまごめしとセットになっていた方はすぐに完食できたのだが、単品で頼んだスープが、お椀6杯分ほどあり、休憩を挟みながら何とか飲み切ることができた。
お腹がたぷんたぷんになりながら、お会計を済ませ、ホテルへと帰宅。
ちゃんと確認してから注文すべきだったなと強く後悔した。

さて、食後はお待ちかねのお風呂へ。
天然温泉を引いてきているだけあって、とても心地よいお風呂だった。
やはりライドの後の温泉は格別だ。
身体を温めて、洗濯をし、部屋に戻った後は明日のコース選定へ。
元々、明日はおとなしく西条市まで直接走行して京都へ帰ろうかと考えていたのだが、気が変わった。
「やっぱりしまなみ海道は外せない」。
その結果、明日は今治市→しまなみ海道往復→東予港というルートになることに。
何とその走行距離を検索すると、172kmだった。
想像を超える距離に驚きながらも、明日は必ず走破してやると胸に誓い、また、四国の旅の終わりが近づいていることに寂しさを感じつつ、0時頃に眠りについた。

四国一周13日目【10月22日(金)】


走行距離:172.2km
走行区間:愛媛県今治市→広島県尾道市経由→愛媛県西条市(東予港)
獲得標高:2,256m
今朝も5時半頃に起床。
いよいよ今日が四国滞在最終日となる。
ベッドから起き上がった時点では、今日が最終日という自覚はあっても、正直実感は湧かなかった。
いつも通り、朝食をホテルの朝食会場でいただき、部屋に戻って準備を済ませ、9時半頃にはホテルを出発。
今日は全行程172kmと、かなり長い道のりになるので、自分に喝を入れて、頑張ろうと思いながら、まずはしまなみ海道起点、サンライズ糸山へ。
同じ今治市内ということもあって、30分弱で着くことができた。
このサンライズ糸山には、どんな大きさの荷物も100円で預けることのできるロッカーが設置されており、今回はそこに使わない自転車用バッグを預けてしまなみ海道を往復することにした。
荷物を預けて、サンライズ糸山からの景色を少し楽しんだのち、ついにしまなみ海道入口へ。
しまなみ海道は、さまざまな企業の協力のもと、自転車は無料で通行できるようになっているので、ゲートをそのまま通過。
何というか、自転車なのにゲートを何度も越えながらしまなみ海道を走るのはとても不思議な感覚だった。

さて、サンライズ糸山を出発して最初に渡る橋は、有名な来島海峡大橋。
今日は風が比較的強かったものの、来島海峡大橋を渡りながら見る、瀬戸内海の姿は、今まで見てきたどの場所からの瀬戸内海よりも、迫力満点だった。
今まで以上に、瀬戸内海の力強さを感じた気がする。
また、この来島海峡大橋の下には、うずしおも多く発生しており、これは八幡渦(はちまんごう)と言うそうで、来島海峡は世界でも有数の船の難所だそうだ。
最初、何も知らずに見た時は、「こんなところにうずしおがあるなんて!」ととても驚いたのを覚えている。
何十メートルも上から見ても伝わってくる、海の力強さは本当にすごかった。
さて、来島海峡を渡り、最初に降り立った島は、大島だ。
ここでは早速道の駅よしうみいきいき館へ立ち寄り、みかんジュースを飲んだ。
これが本当に美味しかった。
栄養補給が済んだところで、すぐに再出発。
この大島には、造船所(もしくは船の検査場)のような場所もあり、これがまた面白かった。

大島をほぼ一周したのち、次の橋を渡り、続いては伯方島へ。
この島では伯方の塩を使用したソフトクリームをいただいた。
このソフトクリームをいただいた道の駅からは、見近島自然公園という無料で宿泊できる無人島のキャンプ場も見えて、あそこにもまた宿泊しにきたいなと思った。
というのも、今回しまなみ海道へ行こうと計画していた際に、この見近島自然公園に宿泊しようと当初は考えていたのだ。
しかし、ネットの情報によると、新型コロナによって宿泊禁止令が出されているとのことだったので、やむをえず、別のキャンプ場を予約していた。
だが、こちらも度重なる身体のトラブルによりキャンセル。
結果的に1日で往復走破という形になったのだった。
四国一周8日目にお会いした旅人の方とお話ししていた際に、この無人島の話題になって、以前見近島に宿泊された際の写真を見せていただいたのだが、夕日が本当に美しく、その方にも
「ここは絶対に行った方が良い」
とお薦めされていた。
今回は対岸から眺めるだけになってしまったが、対岸から眺めていても、陸の孤島感があって、本当に見ているだけでもワクワクするような、そんな島だった。
ちなみに、この島へは徒歩orバイクor自転車でしか行くことができず、大島と伯方島を結ぶ伯方・大島大橋の途中から入ることができるようになっている。
機会があればぜひ立ち寄ってみてほしい。
ソフトクリームを食べ終わると、伯方島を出発。
途中、大三島を経てついに広島県、生口島へ。
この辺りから、当時は衆議院選挙の時期だったこともあって、岸田文雄現総理のポスターが多数見られるようになった。
地域の政党や政治家がさまざまなポスターを見ることでわかってくるというのも、旅の面白さの一つだなと思ったりしていた。
そして、この生口島で、昼食休憩をとった。
昼食は瀬戸田サンセットビーチというところの食堂で、うどんとおにぎりをいただいて済ませた。
すぐ目の前に海が広がる、とても美しいところで、しかしおしゃれすぎず、入りやすい食堂感のある雰囲気がとても良かった。
しかも、メニューもお手頃な価格のものが多かったのだ。
さて、昼食後はまた走行を再開し、同じく尾道市の因島を経て、しまなみ海道最後の島である向島に到達。
この島から尾道駅のある尾道市中心部へと向かうわけなのだが、この向かい方が本当に面白かった。
どうやら、しまなみ海道から尾道市中心部へ出るには、車だとそのまま橋で向かうことができるようだったが、歩行者や自転車に関しては、渡船で渡る仕組みになっているようで、今回は渡船を利用して尾道駅まで渡った。
尾道水道をほんの数分ではあるが、船で自転車と一緒に移動するのはとても新鮮だったし、面白い体験だった。
ぜひ、また次回来るときも乗りたいなと思った。
渡船に乗った後時刻がもう15時半を回っていたので、尾道駅でお手洗いを借りて即座にしまなみ海道を引き返した。
帰りも同じような場所を通って今治市内までまずは帰ったわけだが、行きと帰りで景色も若干違って、帰りは特に夕方に差し掛かっていたので、夕焼けが本当に美しかった。
眩しくもあるが、しかし鮮やかなオレンジ色の夕陽が道路や自転車、そして自分自身に照ることで、何だかテンションやモチベーションが上がった気がした。
そして、東予港を目指して走行している最中に、尾道市を出る直前の橋の上から、虹が見えた。
まるで、四国一周のフィナーレを祝福してくれているようにも感じられて、何だか勝手にとても嬉しくなってしまった。
しかし、ナビを見ると、港の到着予想時刻が21時半ごろとなっていた。
船の出発が22時なので、21時半到着予定は危なすぎる。
夕陽も楽しみつつ、なるべく早く港につけるように、安全に気をつけながら急いだ。
とにかく漕いでこいで漕ぎまくる。
その間にも、景色はどんどん夜へと変化していき、暗さが増してきていた。
明かりが少ない、暗いしまなみ海道も、中々面白かった気がする。
明かりがあまりないとはいえ、港町の雰囲気はあって、因島や生口島など、少し田舎感が強い島から今治市内の夜景が美しい島々へと移っていく変化も、昼間とはまた違った味わいがあって、とても良かった。
そんな感じで景色の変化も楽しみつつ急いだ結果、何とか19時頃、サンライズ糸山に無事到着することができた。

しまなみ海道でのライドを振り返ると、本当に往復どちらともアップダウンが激しく中々にハードだった。
実際、帰りの走行時には、しまなみ海道を走りに来られたと思われる老夫婦の方達が、自転車を歩いて押している様子を何度か見かけた。
しまなみ海道における自転車は、高速道路を走行し続ける車やトラックとは違い、一つ一つの島をわたる度に、橋から下され、島を一周してまた橋に登る、その繰り返しだった。
島によっては、坂が急な区間も多かったりして、海をより近くで見ることができて感動した反面、走行面での疲労感や大変さは中々のものだった。
しかし、一つ一つの島へ降りることができたからこそ感じられたこともあると思う。
やはり、橋の上から見ているだけでは、その島がどんな所で、どんな店があるのかというのはわからないが、実際に降り立ってみることで、様々な情報を五感で直接感じ取ることができる。
そういった意味では、しまなみ海道の自転車コースとして、各島を周遊できるような設定になっているのはとても面白いなと感じた。
その中でも、島と島の間をつなぐ橋を走行する部分は、本当に面白かった。
ほとんどの橋で、乗用車が走行する高速道路の真横で、柵を隔てて走行しているのだが、その橋からの景色はどこからでも本当に美しかったし、瀬戸内海を一望することができた。
また、自転車で走っているときに、高速を走る車両を直接目にできるというのも、他の場所では中々できない体験で、とても面白かった。
ただ、1日でしまなみ海道を往復走破するのは、観光を十分にできなかったり、しまなみ海道の魅力をより多く感じ取ることが難しかったりと、少し残念な面もあった気はするので、次回は1日で往復走破するにしても、もう少し朝早くに出発できるようにして、村上水軍の遺構などを観光する機会を作れるようにしたいなと思った。

さて、話は戻ってこちらはサンライズ糸山。
自販機で購入したアイスでエネルギーをチャージし、ロッカーに預けていたバッグ類を自転車に再びパッキングして、サンライズ糸山からラスト30km弱の東予港までの区間を走破するため、再び走行を再開した。
しかし、丁度この辺りから、天気が怪しくなってきたのだった。
雷と思われる光が遠くで光り始めて、余計にこれは港に急がないと、モロに雨を受ける可能性があると感じ、集中して行程を進めた。
サンライズ糸山を出発してから約2時間後の21時過ぎ、残り10数分で東予港フェリーターミナルに到着できるという時に、それは起きた。
そう、土砂降りの雨が私を襲ったのだ。
視界が若干悪くなる位、中々強めの雨。
しまなみ海道の虹を見たからこそ、雨には若干キレた。
「どうせなら虹で終わっといてくれ〜」と。
そうはいっても降ってきたものは仕方がない。
とりあえず21時半頃には、東予港に到着できたので、タオルで身体を拭いてから、乗船準備に入った。
およそ12日前、この東予港をスタートして、四国一周自転車旅は始まった。
その地点に戻ってきたという事実には、本当に感慨深いものがあった。
本当に、四国一周を達成することができたのだという嬉しさはもちろんあったものの、土砂降りの雨の中、視界に自分が乗船するフェリーが見えた時には、寂しさの方が勝った。
これまでの14日間、本当に色々な出来事があって、もちろん良いことばかりではなかったけれど、でもそれらの出来事があったからこそ、旅が大好きになったし、自転車も、四国も本当に大好きになっていた。
だからこそ、いざ四国を離れるとなると、とても寂しかった。
何ならもう一周したいという想いさえあったくらいだ。
そのような形で、四国を離れたくないという想いを抱きながら、オレンジフェリーに乗船。
22時丁度に出港してからもしばらく、愛媛の夜景を窓から眺め続けていた。
「また必ず四国に来よう」。
改めてそう強く思った四国一周最終日だった。

四国一周最終日【10月23日(土)】


走行距離:0km
走行区間:なし
獲得標高:なし


今朝はいつも通り5時に起床。
起きてみれば、もう大阪南港に限りなく近いところまで来ていた。
「本当に大阪が近づいている」。
徐々にそんな実感が湧き始めた時の感覚は、今でも忘れられない。
一言で表すなら、本当に寂しかった。
大阪南港について、家族と再会したら、旅はもう終わってしまう。
もちろん、今回の経験は次の何かへとつながっていくだろう。
しかし、この度がいつまでも終わらないでほしいと思う自分がいた。
5時半ごろ、フェリーの食堂で朝食をいただいていると、ついに大阪南港への接岸準備に入った。
見覚えのある、14日前に見た大阪南港の風景。
「ああ、戻ってきたんだな」。
改めて、ここで再度実感した。
その後、8時前に下船し、父と再会。
京都府の自宅まで車で戻って、家族全員と再会した。
こうして、四国一周自転車旅は、“旅”という形ではひとまず終わりを告げたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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