安楽死について
先だってなんの気なしに観た映画が意外にも衝撃的だった。
後期高齢者が自分の生死を自分で決めることができる制度が日本にできたという内容で、ディストピア感が半端なくてぞっとした。
実はわたしは長らく安楽死というものに漠然と賛成していた。
実際わたしも、病気や薬の副作用の症状があまりにもつらすぎて、もう死にたいー殺してくれーと本気で思ったこともあった。そのときはなんで安楽死が日本ではできないのと思った。
でも、今は安楽死を合法化することに安易に賛成はできなくなった。
安楽死を選ぶ理由の一つに、わたしのように身体的苦痛がつらすぎることがあげられると思う。
ある医師が言っていたのだけど、安楽死が多い国は緩和ケア医療が未熟という事情があるらしい(ちなみに緩和ケアは癌に限りません)。
本来ならば、そのひとが苦痛によって死を選択せざるを得なくなる前に医療が苦痛を取り除くべきなのに、それをしない/できないから、(比較的簡単に)死を選べるようになっているということだろうか。こわ。
また、公共の支援が機能していないことで、生き続ける努力をするよりも死を選んだほうが簡単という問題も、一部の国では起きているらしい。
これも緩和ケアと同じで、国や自治体がそのひとに必要な支援を行わなければならないのに、それをせず/できず、またさらに問題なのは医療・福祉サービスなどの支援を受け続けるよりも、安楽死を選ぶ方が実際の手続き上簡単だったりするのだ。これってもはや自殺では?
でも冒頭で紹介した映画に出てくる制度は、そういうことなのだ。
国が高齢者の面倒を見切れなくなって(かと言って若者の面倒も今ひとつ見られず)、だったら高齢者の人口を減らしちゃえというかなり乱暴で非倫理的な制度を導入した。
うまくいかないのは、全部高齢者のせいってことにされちゃってる。高齢者に「生涯現役」などと発破をかけつつ、でも仕事はない。若いひとは高齢者へのリスペクトが完全になくなっている。高齢になると住むところを見つけるのも大変。あたしゃどーすりゃいいのってなるよね。
そんなひとの目の前に死を選べる制度を差し出されれば、そりゃ死に向かいたくもなるよ。
現実の日本でも、高齢者が病気の治療をするのは医療費の無駄などという発言が一部に見られる。
これ言ってるひとは軽い気持ちなんだろうけど(たぶんさまざまなものごとにおいてあんまり熟慮しないで発言するんだろう)、こういった意見はすごく遠回しな殺人行為なんじゃないかと思う。
なぜ与えられている権利をあなたごときに剥奪されなければならない? ひとの命を奪う権利があると思ってる? でもそれを国家がやり始めたら逆らえない。ディストピアまっしぐら。
国が節度をもっている限りは、安楽死の合法化に着手する際には、かなり詰めた議論をしてくれると思う。(まあ憲法とか改正しちゃうようなひとたちだからわかんないけど)。
ともあれ、できうる限りの医療・福祉サービス等の支援をした上で、それでもなお死を選ばざるを得ない苦痛がある限りにおいてのみ、安楽死を認めるってことにすべきだと思う。
深刻な話題なのにあまり知識もないまま今の今思うことを書いたので、この記事にはいろいろと問題があるかもしれないけど、ご容赦ください。
これから、もう少しいろんな視点での意見を学んでみようと思う。
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