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(うときゅういっきの「これから」 恥かきには恥かきなりの効用がある)

2021/10/26
(うときゅういっきの「これから」 恥かきには恥かきなりの効用がある)
「実に恥ずかしい奴だ」
自分が大学生の頃、弟によく言われた言葉です。
小学生の頃、全校生徒が集まって校庭で行う朝礼。
在校生を代表して新入生に贈る言葉を述べた事があったのですがその時
「皆さんは今日からもう小学生になったのですから、自分のことは自分でしましょう」
と云った処それを校庭側で聞いていた弟が帰宅するなり
「自分の事は自分でしないくせによく云えるよね、ああいう事」
と宣った(のたまった)のが事の発端でした。
以来家の中では「恥ずかしい奴」という妙なあだ名が付いてしまいました。
今の自分はこういう話を笑い話的に出来るようになっているのですが、昔はそうではありませんでした。
「絶対に人前で恥をかきたくない。人前で恥をかく位なら死んだ方がマシだ」
と言う考えに取り憑かれておりました。
そんな自分が大人になって「掻きたくない恥をしこたま掻かされ」長期間のうつ病を患う羽目に陥りましたが、そこを脱出するきっかけになったのが
「自分はどうせ大した人間ではない」
「大した奴ではないんだから恥ずかしい事位あっても当然」
「ならば余り気にしなくてもいいんだ」
と気づいたからでした。
そうなってしまうと「絶対に恥をかいてはいけない」だけの世界に「恥をかいてもいいんだ」という世界が加わるので、世界の広さと打てる手段が一気に2倍になるのを感じました。
「わぁ広い。おぉ楽ちん」
そんな訳で自分の別仕立てのブログ「オマケの英語教室」も
「恥を気にせず物は試し。あれこれ何でも実験してみよう」
と言う事になった訳です。
「恥じらい」ではなく「恥を気にしない」となるとやる事が結構大胆になってきます。
思い切った手が打てる様にもなります(恥じらいと恥は別物です)
それでまずは
「辞書を見ないでの単語の独自解釈」
に始まって文法書を気にせず組立てる
「英文乃至は英会話の実施」
そして今度は
「日本の諺を自己流で英訳し、それを外国人との英会話の中で使う実験」
更には
「所謂英語らしい英語でもなく日本語の直訳英語でもない第三の英語の実験」
とどんどんトライが拡がっております。
そこで想うのは、
「もしうつ病にならなかったら、もし人前で恥だけは絶対に掻きたくないという考えから一歩も抜け出せず恥を掻かない事だけに頭を奪われていたら、散々叩かれはするもののこんな面白い生活は決してやってこなかったろうな」
と言う事でした。
うつ病にはうつ病、恥かきには恥かきなりの効用というものが在る様な気がします。
「どんなものでも役に立つ。あながち全ては捨てたものではない」
と言うのが只今の実感。
「恥だけは(絶対に)掻きたくない」の「絶対」を取去るだけでも随分と違ってきます。
即ち
「恥は掻きたくない」
是ならありふれた感情レベルでしょ?
なので、
「自縄自縛に陥り易い(絶対)等という過剰表現は避けた方がよさそう」
です。

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