うとQ世話し「なんてったってアイドル」で思い出した「年輪」のお話

2020/11/2-2
(うとQ世話し「なんてったってアイドル」で思い出した「年輪」のお話 )
たった今従業員と電話で話をしていて
「今何シテル、アルカ?」
と訊かれたので
「お仕事よ。じいさんはウーマンと遊んでいる暇ないの。じいさんはなんてったってお仕事でしょうに」
と、事実そのままを本当に言うと相手の負担になりそうだったので、そこはかとなく冗談めかして口にした折、ふと嘗てのスーパーアイドル小泉今日子の「なんてったってアイドル」という歌の題名を思い出しました。
そう思い出した途端、これまた不図
「今時のじいさんばあさんは、ひょっとした自分の孫子を含め、若い人はじめみんなから自分のことをアイドル視してもらいたがっているのではなかろうか?」
と思いつきました。
で、思いついた途端
「それならすべての話の辻褄があう」
と合点がいきました。
若作りや若ぶり指向、人気者や話題の中心人物指向等があり、それがかなわない反動として「すねる」「むくれる」「意地悪をする」「偉ぶる」「虚勢を張る」などの行動に出ているのではないのかな?と。
歳を重ねることによる習熟や熟達といった方向ではなく、ひたすらアイドルを目指して逆遡行(さかのぼる)をやっている不手際というかアンマッチのミスマッチ願望と行動。
早い話が年輪ではなく、若い芽ばかりに目が行き、そればかりを目指す。
しかし、本物の若い人のマネをしても所詮それは「もどき」でしかないので、叶う筈もなくすぐさま正体を見破られて無様を露呈するしかない事に。
であるなら、なんで素直に「年輪の重み」で若い人と勝負しないのか?と不思議に思いだしました。
それにしても「年輪百輪」より「年輪無し(一年では年輪はできませんので)」の方に価値があると誰がいいだし始めたのでしょう?
「昔の価値観を全て逆転させれば新しい未来が訪れる」という置換方程式をあまりにも単純に、且つすべてに対して安易に当てはめ過ぎた弊害ではないでしょうか。
それこそ「お手軽簡単便利」式の手抜きを行い、一つ一つの精査を行う手間を省いてしまったための弊害。
おっと、話が横にそれてしまいました。
それでは最後に、話を上の話題に戻し結論的に申し上げますと、我々じじ、ばばの勝負所は「自分の土俵(年輪)に引き込んで取るのが一番勝ち目あり」のような気もするのですがねぇ。
(蛇足)
但し、生物学的にだけ歳をとっても年輪がないのであれば、手の打ちようがありませんが

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