うとQ世話し「帰還者のお花見」考

2021/3/28
(うとQ世話し「帰還者のお花見」考)
以下は5年前、手術入院2ヶ月しての帰還直後に、家族に捨てられ「捻くれてしまったかもしれない」自分の目を通して見ると、なのですが
「お花見の季節、再びコロナ感染拡大。第4波到来の予測」
というイタチごっこ。
単にお花見をしたいだけならご近所でもできるでしょうし、人出の少ない地場の公園でも出来そうなのですが、何故か我々は、桜の名所と言われる「密になり易い」処へ出かけていきます。
何故?
話は少し変わりますが、人を含め生き物には一般的に「向日性」というものがあるのを感じます。植物が光合成を求めて日の光に向かって伸びていくあの現象です。
それでは、人間の場合の「光合成」とは何かと考えてみますと
「幸運」「好機」「好事」「興奮高揚」
という言葉が浮かんできました。
では何故この4語が出てきたかというと、外出できない折にネットであれこれ探し回り、結局詐欺被害に遭ってしまう事例の元になっている要素が「これら」だからです。
自分自身もこの2週間で3度そんな機会に遭遇しました。すんでの所で難は逃れましたが。
もとい。
いずれにせよリアル世界で、それらに出会う確率が高い処と言えば人出の多い場所、即ち「密な」処でしょう。
それでわざわざ「危険を冒してまで」出かけていく。
「夜は日の光がないじゃないのよ」
といわれるかもしれませんが、こちらは「飛んで火に入る夏の虫」同様「灯火の光」
を求めて盛り場に出かける。言ってみれば虫の「向光性」といえそうです。
もう少し簡素化して言うと、お日様にしろ、灯火にしろ、それが意味する処は「今よりもマシな出会い」又は「今を塗り替えて呉れる新しい出会い」を求めて、とも言えそうです。
或いはそこまでは行かずとも「今よりも、より密な関係との出会い」とも言えるかもしれません。
仮に「今よりも、より密な関係との出会い」が最低限の目的で、尚かつ感染の危険を冒さなくて済む「そういった場所」は他にはないのか?と考えてみると、唯一あるのが「家庭内」です。
つまり「この災禍を機に逆に家庭内で、今よりもより密な関係を再発見、再構築する(試みよう)」という訳です。
ところが何故か多くの場合に於いて、この「家庭内で」が最初から、そのターゲットとして外されている事例が処々方々で散見されている様です。
それというのも、向日性に基づいて春の光の下に曲がりなりにも「家族として」出てきた、その家族連れの表情が余り楽しそうでもないからです。何だか「春の日の葬列」に見えなくもないからです。
以上纏め、今少し大胆に申し上げますと
「家の中にいては却って息苦しいから、心理的換気目的で「家族として出掛けはするが」の、向こう側に幽体の様にほの見える気がするのは、家族以外の赤の他人との「幸運」「好機」「好事」「興奮」を求め、向日向光本能に従って「密な場所」に出向いている」
錯覚かもしれない、そんな何かなのです。


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