うとQ世話し 「快適さ」を読み替え始めた「ニューノーマル時代」の先駆?

2020/10/23
(うとQ世話し 「快適さ」を読み替え始めた「ニューノーマル時代」の先駆? )
「お手軽、簡単、便利。これさえあれば(すれば)何でもOK」というのに対して
「何ごとも手間暇かけないといいものは手に入りませんよ」
という自分の投稿は「即効性、全くなし」ということらしく、全然人気がないようです。
「そんなものに用はない」
しかし、最近あるTVニュースで
「you tubeの中でこんな投稿が密かに人気を集め、再生回数百数十万回になっているそうです」
と言って紹介されたのが、毎日、アパートの一室で、朝食をひたすら作る「映像だけ」を投稿している動画でした。
コメントなし、撮影者は後ろ姿だけで顔は出てこない。
そうして、ご飯は一人前を土鍋で炊き、鯵の塩焼きは開きの鯵ではなく丸のままの鯵だったり、御浸しや出汁巻き卵も手作りだったり。
そんな朝食を毎日作る。
その動画を毎日淡々と投稿する。
その動画を毎日おびただしい数の人たちが見ている。
そうして、この投稿者の年齢が何と26歳の男子。
これまでの自分の観察では、理由はわかりませんが25,6歳以下と、それ以上の全ての年齢層とで、何か大きな段差があるような気がしておりました。
受け取り方、考え方、生活態度などなどで。
そんな折、この動画をTVニュースで見て、
「ひょっとしたら、それまで以前の世代と「快適さ」の定義が変わり始めているのかもしれないなぁ」
と思いました。
お金があれば、何でも簡単に手に入り、物事がスムーズに運ぶ「快適さ」から、
お金がないので、そういった方法では「(従来の)快適さ」は手に入らないことを知り抜いた人達が「新たな快適さ」を探し始めだしたのではなかろうか?とも。
お金がないので手間暇をかけざるを得ず、遠回りもしなくてはならない。
しかし仮にお金が手に入るpositionになっても、今迄の「お金の力に頼ったやり方(ある種の手抜き)」で得られるものは、本当に「快適」と言えるのだろうかと疑問を抱き始めた人達。
そうして彼らは、それ迄の人達のように「(従来の)快適さ」を求めてあくせく走り回るのではなく、どっかりと腰を落ち着けて「だったらその不便を、むしろ楽しんでしまう」事から何かを掴もうと模索を始めた。
そういった価値観や「快適さ」の読み替えが、新しい世代の一部で起きつつあるのではないかな?と思った次第。
自分の希望では、彼らこそが新たに訪れる筈の「ニューノーマル時代」の先駆になればいいなぁと思っております。

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