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「3割達成でも上出来」。いくつもの国を渡航して見えてきたこと

変えたあの時、あの場所」

~Vol.27 セネガル、ナイジェリアなど

東京大学にゆかりのある先生方から、海外経験談をお聞きして紹介する本コーナー。

今回は、苅谷 康太先生に、セネガルやナイジェリアなどへ滞在されていたご体験をお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。

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日本では見つけられない書物を求めて海外へ

——学生時代から、さまざま渡航体験を積まれています。はじめに、海外に出られたきっかけについて教えてください。

苅谷先生: 学部生の頃、とある本を読んでいて、西アフリカのムスリムが古くから母語ではないアラビア語を駆使してたくさんの書物を著してきたことを知りました。当時、イスラームに興味を持ち始めてなんとなくアラビア語を勉強していたので、「なんだか面白そう」と思ったのですが、日本の図書館ではそうした著作を見つけることができず、「それなら現地に行ってみよう」と西アフリカの西の端の国、セネガルに調査に行く計画を立てました。ただ、日本から直接行ったのではなく、アラビア語をもう少し勉強するために1年ほどエジプトで生活し、それから初めてセネガルを訪れました。最近は研究課題を少し変更したため、セネガルではなく、ナイジェリアに行くことが多くなっています。

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▲西アフリカで書かれたアラビア語著作の写本


現地特有の時間の流れに戸惑うことも

——続いて、海外で過ごす上で印象的だった出来事を教えてください。

苅谷先生: これまで、セネガル、ナイジェリア、モーリタニア、モロッコなどを何度も訪れて、期間は数週間から数カ月間とさまざまですが、アラビア語史料の調査を繰り返してきました。印象的な出来事はあまりに多すぎて、記憶を掘り起こしてお話しし出すと切りがなくなってしまいそうです。

ただ、調査で訪れた国々で共通して感じたのは、やはり時間の流れ方が日本とは全く異なるということです。まあ、端的に言って、日本よりも色々とゆったりしているということです。ですので、日本での時間感覚で動くと無駄に疲れますし、現地の人達にも迷惑をかけてしまうことが少なくないと思います。最初の頃は、この時間感覚の違いに慣れなかったので、約束した時間に相手が現れなかったり、図書館や文書館などの施設が時間通りに開かなかったり、逆に早く閉まってしまったり、バスや乗り合いタクシーが予定通りに動かなかったりといった現地の日常に苛立って、かなり疲弊していたような気がします。

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▲セネガル・トゥーバの大モスク


「独りよがり」な計画をやめたら、あらゆることが良好になった

——日本とは違う時間感覚だったとのこと、そうした環境で過ごされることで、ご自身の考え方に変化はありましたか?

苅谷先生: そうですね、そうした苛立ちや疲弊は、ひとえに自分の調査が計画通りに進んでいないことに対する焦りによるものです。留学でも調査でも、現地に行ったらこんなことを学びたい、こんな史料を読みたい、こんな人に会いたいなど、色々な希望をもとに計画を立てます。しかし、当然と言えば当然なのですが、そうした計画や予定はこちらの都合に過ぎません。調査を始めた頃は、不慣れゆえの緊張や経験の浅さなどから、そんなことにも気がつけないまま、現地の人達の日常の流れを尊重して動くことができず、自分の調査の進捗ばかりに気が行ってしまっていたように思います。そうした独りよがりの考え方から多少なりとも脱却できるようになってからは、精神的にも肉体的にも調査が楽になり、よりよい人間関係が築けるようになったと思います。今では、計画したことの3割でも達成できれば上出来くらいに考えています。

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▲セネガル料理の「チェブジェン」


「当たり前」にとらわれず、相対的に見つめられるように

——「3割でも達成できれば上出来」、頭の隅に置いておきたい言葉です。では次に、海外での生活全体を通じて得られたなと思うことはありますか?

苅谷先生: 海外に留学に出たり、定期的に調査に出ている人の多くが抱く感覚の一つだと思うので特別なことではないのですが、物事を相対化して見つめる視点のようなものを養えた気がします。海外での生活は、普段日本で生活する自分にとっての「当然」が通じない場に身を置くことを意味しています。ですので、海外で経験を積む前に比べると、とても単純な言い方になってしまいますが、「当たり前」とか「これしかない」といった考え方に陥りにくくなったように思います。


——「当然」にとらわれないことで豊かな視点を得られたのですね。こうしたことは帰国後も活かされそうです。

苅谷先生: 先ほどお話しした相対化の視点は、研究・教育活動に携わる上でとても大切な、と言いますか不可欠の視点だと思っています。それは、研究も教育も、それまでの「当たり前」に安易に追従しないこと、とりあえず「当たり前」を疑ってみることが起点になるからです。この視点を養えただけでも、学部生の頃から積み重ねてきた海外での経験は無駄ではなかったと感じています。

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▲ナイジェリア・カノの駱駝市


渡航先では病気・怪我に注意。まずは自分の身の安全を

——最後に、これから留学や国際交流体験を希望している学生に、メッセージをお贈りください。

苅谷先生: 「何を『当たり前』なことを言っているのだ」と笑われてしまいそうですが、私が海外に行く学生にいつも言っているのは、「大きな病気にかかったり、大きな怪我をしたりしないよう注意してください」ということだけです。先ほどお話しした計画や予定のこととも関係してきますが、ちょっとした病気や怪我ならともかく、大きな病気や怪我は海外での貴重な活動時間を大幅に削ってしまいますし、そうして時間を削られること自体が心の余裕を奪い、焦りを生んで悪い循環を作り出してしまいます。そして何よりも、留学であれ調査であれ、結局は「命あっての物種」ということが基本の基です。ですので、どこに行くにしても、とりあえず自分の身の安全を第一に行動してほしいと思います。

——ありがとうございました!


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