見出し画像

身体で感じて学び取る。スリランカへの渡航を重ねて

「私を変えたあの時、あの場所」

~Vol.30 スリランカ

東京大学にゆかりのある先生方から海外経験談をお聞きし、紹介する本コーナー。

今回は、中村 沙絵先生に、スリランカ滞在時のご体験をお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。

無題192_20220906120035

迎え入れてくれた現地の夫婦のもとで、「思いがけず」ホームステイへ

――学部時代・院生時代ともにスリランカに滞在されています。渡航のきっかけについて教えてください。

中村先生: 学部3年生のとき、津波復興支援に関連した1週間程度のスタディ・ツアーで初めて訪れ、学部4年生のときに卒論研究のため2カ月弱滞在しました。その後、フィールドワークを研究の基本に据える大学院(地域研究・文化人類学)に進学し、本格的な調査のために2年間強留学しました。とはいえ大学院進学直後は進路に悩み、院進学後の初めてのスリランカ渡航は「1カ月行ってみて、研究を続けるのかやめるのか改めて自分に問うてみよう」という気持ちで行ったことを覚えています。


――たくさん渡航されている中でも、学部4年生の際、特に印象的な体験をされているそうですね。その体験についてお聞かせください。

中村先生: 卒論研究で津波復興支援の実態調査をしようと思っていた私は、最初は浜辺近くの安宿に泊まっていました。しかし、私の噂を聞いたある老夫婦が、〈学生を2カ月間もホテルに泊まらせるなんて「罪なこと/気の毒(シンハラ語で"pav")」だ〉と、私を迎え入れてくれたのです。こうして思いがけなく、私のホームステイ生活が始まりました。

彼らは厳しくも愛情深い「両親」でした。あるとき、インタビューがつい長引いて帰宅が日没後になったことがあったのですが、何度電話をしても、つながらない。不安な心持で帰宅すると、「お母さん」は心配のあまり心臓発作を起こして寝込んでしまっており(心配して私に何度か電話をかけたあと、受話器が戻っていなかったようでした)、「お父さん」には厳しく叱られました。そのとき彼らは私を引き取ることで「犠牲」を払っている、とも言いました。若かった私は、そんな彼らと時にぶつかりあい、口論になったこともありました。でも結局、二カ月の滞在が終わる日まで彼らは最後まで私から一銭も受け取ろうとせず、実の両親のように気にかけ、時に注意し、滋養あるおいしいご飯を作ってくれ、面倒をみてくれました。


現地での長期調査・交流を通じて深まる理解

――そんなご縁でホームステイをされたとは驚きですが、唯一無二の体験ですね。スリランカの「ご両親」との出会いは、ご自身にどんな影響がありましたか?

中村先生: 私は当時、「開発援助」について考えてみたいと思ってスリランカに渡航していましたが、スリランカの「両親」やその家族・親戚の愛情や援助に支えられて初めて自分が生きてるということに気がついたとき、彼らから学ぶことがどれだけあることかと胸をうたれました。信仰心の深さのようなものを、身体で感じた初めての経験だったかもしれません。

「両親」との出会いから、始めは信仰心篤く、来世に向かってたくましく生きる高齢者のイメージを抱いていた私ですが、大学院に進学しスリランカの老年をテーマに本格的な長期調査を開始すると、そのイメージは徐々に陰影を帯び、複雑なものに変わりました。現地の言葉を覚え、さまざまな背景の人々と、より濃密な交流ができるようになったからです。けれども、やはりこの「両親」との出会いが、スリランカ研究を志すようになった大きなきっかけだったと、今でも思っています。

画像1

▲「スリランカ乾燥平原地帯の農村に滞在中、仏日(上座部仏教徒たちにとって満月(場合によっては新月と上弦・下弦の半月)を特別な日で、信仰の篤い人は寺で受戒し八戒(十戒)を守ります)に、村の高齢女性たちと近所の寺で一晩を過ごしたときの写真です」と中村先生。


「当たり前」が揺らぐとき、大きな学びにつながる

――では、海外体験全体から得られたなと感じることはどんなことですか?

中村先生: 私が海外体験全体を通じて得られたのは、一つにはかけがえのない人とのつながり(老夫婦は他界してしまいましたが、家族たちとは今でも付き合っています)。それから、自分にとって自明であった生への見方を相対化し、別様の生き方やつながり方を探究する機会、といえるかと思います。人類学の調査では「からだごと」その場に入り込むことが推奨されますが、今まで疑いもしなかった信念が揺らいだり、気がついたら感じ方が変調していたりといったことがしばしばあります。私の場合、人の生死への臨み方や、他者の苦しみに関わり合う態度について、こうした揺らぎや変調を体験しました。これについて振り返り考える時間は苦しいものでもありましたが、多くの学びを与えてくれました(そこで考えたことの中間報告は、拙著『響応する身体―スリランカの老人施設ヴァディヒティ・ニヴァーサの民族誌』(2017年)にまとめています)。


複眼的な思考で、世界の見え方が豊かなものへ

――海外での体験で、帰国後も活かされていると思うことはありますか?

中村先生: 具体的に「これ」に活かされている、と特定するのは難しいのですが、普段の生活を送る中で「スリランカのあの人だったら、このときどうするかな? どう考えるかな? どう表現するかな?」と立ち止まることはよくあります。単に比較したり、安易にスリランカ(/日本)を理想化するのとは違い、「こうではない別のやり方もありうる」という複眼的思考の癖を身につけていることは、世界の見え方を柔軟に、豊かにしてくれます。

私はとても平凡な学生で、追求したい問いを元々もっていたわけではありませんでした。けれどもスリランカに飛び込み、心細くなったり、「私はここで、何をしているのだろう」と自問自答したり見失ったりするなかで、はじめて根源的な問いが生まれました。今も基本的には、そのときの経験に繰り返し立ち返りながら研究を続けています。


「空白」を味わい、「偶然」に身を委ねることが経験に

――それでは、これから留学や国際交流をしたいと考えている学生たちに、メッセージをお願いします!

中村先生: 学生時代の留学や海外での経験は他の何ものにも代えがたいです(今でも短期の渡航はしますが、現地での生活に「沈潜」する余裕もなく、帰ってきてしまうことが多いです)。とりあえず何かの目的を設定して行くのがいいでしょうが、その目的がややぼんやりしたものであっても(「具体的に」見えてなくとも)、何かが自分を駆り立てるのであれば、飛び込んでみたらきっと得るものがあると思います。じっくり時間をかけて、空白な時間もそれとして味わい、偶然の出会いにも身を委ね、豊かな経験をしてきてください。

また渡航前は、自分の身を守るために、リスクなどの下調べをし準備をしっかりすること(同じ地域や国に行ったことのある先輩や先生が周りにいたらぜひ話を聞いてください)、信頼できる知人を早めにつくることは大事です。それから可能であれば、日記をつけてみることをおすすめします。

――ありがとうございました!


📚 他の「私を変えたあの時、あの場所」の記事は こちら から!

最後までお読みいただき、ありがとうございました! よろしければ「スキ」を押していただけると励みになります。

次回の記事も引き続き、お読みいただけるとうれしいです^^

リンク

🌎 Global駒場(駒場キャンパスの国際関係総合サイトです)

🌏 GO公式Twitter(GOからのお知らせなどを日々更新しています)

🌍 学生留学アドバイザーTwitter(留学アドバイスを行っています)

🌏 GO Tutor Facebook / Instagram(留学生、特にKOMSTEP生、USTEP生、PEAK1年生向けにチュートリアルを行っています)