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「人と人」としてのつながりが深く絆を結ぶ。テキサス州の小さな町で

「私を変えたあの時、あの場所」

~ Vol.57 アメリカ テキサス州

東京大学の先生方から海外経験談をお聞きし、紹介する本コーナー。

今回は織田 佐由子先生に、高校時代のアメリカ留学体験についてお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。


「いつか」ではなく「今」。その一言が後押しに

――織田先生はさまざまな海外体験をお持ちですが、そのなかでも今回は一番初めの海外体験についてお話を伺えればと思います。

織田先生: 高校3年の夏から1年間、米国テキサス州西部の小さな町でホームステイをしながら現地校に通ったのが、私の初めての海外体験です。

きっかけは高校2年生の時。英語は得意ではなかったけれど外国の映画や小説が好きで、いつか海外に行ってみたいと思っていました。ある日の放課後、英語科準備室で先生と雑談しながらその話をしたところ、「“いつか”じゃない、今は高校生だって留学できる時代だよ。これ持って帰って読んでごらん」と留学プログラムの案内冊子を渡されました。それまで留学なんて縁のないことだと思っていましたが、そこに掲載されている同世代の人たちの体験記を読むうちにワクワクする気持ちが止まらなくなり、自分もこの世界に飛び込んでみたいと応募を決意しました。

私が応募したプログラムは留学先が公立校のため授業料無料で、ホストファミリーは無償で受け入れてくれることになっていましたが、往復の航空運賃や事前の研修費用、滞在中の生活費は家計に大きな負担をかけます。親にはなかなか相談できず、面接に進んだところで初めて打ち明けました。経済的に余裕のある状況ではなかったにもかかわらず、父は「俺たちは子供たちに財産は残せないけど、教育はずっと残るものだから」と挑戦の機会を与えてくれました。今の自分があるのはこの言葉のおかげだと思います。

それから渡米までの1年は、留学費用の足しにするためアルバイトに励みつつ、NHKラジオ英会話を聴きながら、予防接種を受けたりホストファミリーと文通したりしてあっという間に過ぎていきました。今のようにインターネットで容易に海外情報が手に入る時代ではなかったので、ホストファミリーが送ってくれた写真を眺めながら海の向こうに思いを馳せる日々でした。


留学先の合唱部での温かな記憶

――高校の先生のご助言、ご家族の理解やサポートもそうですが、留学を実現されるための織田先生の行動力も素敵です…!
実際の留学先で印象的だったことを教えてください。

織田先生: 留学先の高校ではホストシスターが所属する Choir(合唱部)に参加しました。指導者の先生が非常に熱心で、朝は音楽室でのストレッチと発声練習から始まり、放課後は講堂で歌いながら振り付けの練習をする毎日です。日本では放送部だったので、そこで鍛えた腹式呼吸で大きい声を出すことはできましたが、英語で歌うのは初めての経験。夜は寝る直前まで同室のホストシスターに発音とリズムを教えてもらい、必死に歌詞を覚えました。

日々の練習は厳しくも楽しいものでしたが、メンバーの多くは中学の頃からChoirを続けており、自分は皆の足を引っ張っているのではないかと弱気になったりもしました。でも友人たちは「大丈夫、私たちもテキサス訛りを直すの大変だから」と励ましてくれて、先生がいつも「口を縦に開けて! “t”の音をはっきりと!」と言うのはそういうことかと合点がいきました。また、イタリア語の課題曲が配られた時には「さあこれでみんなサヨコの気持ちがわかったよね」と言って笑い合いました。


――いいお話で、伺っていて気持ちがほっこりしています……。さらに印象的だった出来事などお聞きできますか。

織田先生: 留学生活も半分が過ぎた頃、クリスマスコンサートで日本語のソロを歌うよう先生に勧められました。町中の人が聞きに来る貴重な機会なので引き受けたはよいものの、私が歌うことになった「きよしこの夜」の後半部分の日本語歌詞がわかりません。誰かに聞こうにも周りに日本人はいない。当時はインターネットも存在せず、国際電話の通話料は非常に高額。日本の家族や友人に手紙で尋ねても、返事が来る頃にはコンサートは終わっています。それならば、と勝手に歌詞を作って舞台に上がりました。ホストマザーが張り切ってカメラで録ってくれたので、自作の「きよしこの夜」はしっかりとビデオテープに残っています。

こうした地元でのコンサートの他に、私たちが注力したのはコンクールへの出場です。そこでの審査は出場校の規模(生徒数)別に行われていて、米国らしいフェアな措置だと感心しました。私たちの高校は最小規模校部門で順調に地区大会を勝ち抜き、州大会に出場することとなりましたが、会場は560マイル(約900キロ)離れたヒューストン。学校の休み時間にクッキーやピクルスを売って貯めた資金を旅費に充て、バスで8時間かけて現地に向かいます。砂漠にポンプジャックが点在する乾いたテキサス西部から一転、ビルが立ち並ぶ湿度の高い大都会に到着し、テキサスの広さを実感しました。3日間にわたって行われた州大会では出場校のいずれもが完成度の高いパフォーマンスで、残念ながら私たちが入賞することは叶いませんでしたが、小さな町の小さな学校からここまで辿り着けたことはメンバー全員の誇りになりました。

「ChoirでSweetheart of the Yearという賞をもらったときの写真です。帰国間近で、名残惜しい気持ちでいっぱいでした」と織田先生。


体験したからこそ感じる、先入観から離れることの大切さ

――映画やドラマを観ているような気分でお話を伺ってしまいました。
では、そうした留学体験を通じて、ご自身のなかで「変わったな」と思うことはありますか?

織田先生: 留学先の町はアジア系の住民がひとりもいなかったので、私は町中から珍しがられ(「日本から留学生が来た!」と地元新聞の一面を飾りました)、買い物や散歩中に周囲の視線を感じたり、小学生に「あっ、日本人だ!」と指をさされたりする環境でした。

教会の婦人部やロータリークラブ、小中学校などに呼ばれて日本文化を紹介する機会も多く、皆に関心を寄せてもらえたのはとてもありがたかったのですが、日本の代表として常に品行方正でいなくてはいけないような、「お客様」扱いでコミュニティの内側に入れないようなところがあり、もどかしさも感じていました。そんな中で、Choirで苦楽をともにした友人たちは「日本人留学生」ではなく「サヨコ」として接してくれるようになり、本来の自分を取り戻せたように感じました。

この経験から、自分が人とかかわる際にも人と人としての関係を築こうと心がけるようになりました。その後の人生で国際協力機構(JICA)の仕事を通じて世界各地の人々と出会い、さまざまな民族が集まるロンドンにも計8年ほど暮らしましたが、どの場所でも国による違いより個人差の方が大きく、逆にまったく異なるバックグラウンドを持っていても通じ合える部分が多々ありました。出身国や地域に限らず、私たちの社会には性別や年齢や所属組織などに対する先入観やステレオタイプが根強く存在しますが、そこから離れることで相手をより深く理解することができるように思います。


30年経っても続くホストファミリーとの交流

――たくさんの人々と出会った経験からくるお言葉は、とても説得力があります…。
学校や町でのことをお伺いしましたが、滞在していたホストファミリーとの思い出についてもお聞きしたいです。

織田先生: ホストマザーが作るTex-Mex(米国風にアレンジしたメキシコ料理)がとても美味しく、特にMexican Casseroleは絶品でした。毎日のランチも、ホストシスターたちと一緒に学校から3ブロックのところにある自宅へ戻って食べていました。自分が母親になってみると、毎日昼も夜も家族のために食事を用意する大変さが身に染みて、ホストマザーには感謝しかありません。

私も留学中に一度すき焼きを作ったのですが、まず牛肉の塊を薄く切るのに四苦八苦、他の具材も玉ねぎとニンジンぐらいしかなく(春菊の代わりにと思ったホウレンソウは缶詰だけで、ホストシスターたちからの猛反発で断念)、往復2時間かけて隣町で見つけた醤油の他はみりんやだしもなく…何より私の料理スキルが低すぎて、期待したような味にはなりませんでした。それ以降はもっぱら食器の片づけ係としてお手伝いに励みました。

留学が終わって日本に戻ってからもホストファミリーとの交流は続いています。大学在学中は長期休みのたびに会いに行き(地元紙が「SAYOKO IS BACK!」と記事を載せてくれました)、数年前には私の家族も一緒にホストファミリー宅に滞在しました。今では私の子供たちもホストマザーのMexican Casseroleの大ファンです。

「コロナ禍の直前にホストファミリーを訪ねたときの写真です。30年経っても変わらぬ温かさで、私を家族の一員として迎えてくれます。私にとってテキサスは第二の故郷となりました」


――初めの滞在から30年が経っても関係が続いているのですね!
他にも、当時の体験が今なお活きているなと感じることはありますか?

織田先生: 「言葉や文化が違っていても人と人として分かり合える」という体験が、その後の国際協力や国際交流の仕事へとつながったと思います。現在は駒場キャンパスの国際研究協力室(*)で海外大学との学術交流協定締結や交換留学の実施等の業務に携わっています。ホストファミリーや日米の先生方、友人たちから受けたたくさんの恩を、次の世代を海外へ送り出し、日本に受け入れることで社会に還していきたいと考えています。


良し悪しではない見方を。違いを受け止め、楽しんで

――最後になりますが、これから留学や国際交流がしたいと考えている学生に向けて、メッセージをお願いします。

織田先生: 留学前の研修でプログラム・コーディネーターの方がおっしゃっていた言葉がその後の私の指針になったので、これから異文化に触れる皆さんにも紹介したいと思います。

「あなたたちはこれからたくさんのカルチャーショックを受けるでしょう。その時に“どちらが良い/悪い”と判断するのではなく、“ただ違うだけ”と考え、違いをそのまま受け止め、違いを楽しみましょう。」

――ありがとうございました!

*織田先生が所属されている国際研究協力室は、KOMSTEP (総合文化研究科・教養学部交換留学)の窓口でもあります。駒場の学生の皆さんは、ぜひKOMSTEPでの留学もご検討ください。


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