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「生きた遺跡」が今も多く存在するトルコでの留学

「私を変えたあの時、あの場所」

~ Vol.46 トルコ/国立マルマラ大学大学院およびイブン・ハルドゥーン大学大学院

東京大学の先生方から海外経験談をお聞きし、紹介する本コーナー。

今回は木村 風雅先生に、トルコでの留学についてお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。


イスラームの復興が今も進むトルコに魅かれて

――はじめに、トルコに留学されるまでの経緯から教えてください。

木村先生: 私は留学当時、本郷の東京大学イスラム学研究室に所属していました。イスラーム研究の土台となるアラビア語研修においては、ヨルダンや(近年東大学内からでは)オマーンなど、アラブの湾岸諸国に渡航を計画される方は多いと思います。私も学部時代はもれなくヨルダンへ語学研修に一月ほど渡航していました。大学院に進学し、古典資料を用いたイスラーム思想研究を行うと決意してからは、オスマン朝以来のイスラーム学の伝統が根付いている(とされる)トルコを選ぶこととなりました。その際、自ら渡航先を選択したというよりも、たまたまトルコへの留学を誘ってくださった面倒見の良い先輩の招きから、一度共和国建国で断絶したイスラームの復興が現在進行形で進むトルコの魅力に惹きこまれました。

アタトゥルク空港から市中へ出る電車内にて臨む早朝のボスポラス海峡


トルコの大学へ。イスラーム思想研究の規模の大きさに驚き

――先輩からのお誘いもあってトルコに魅かれていったのですね! トルコに渡航されて、印象的だったことを教えてください。

木村先生: いただいた質問シートでは、海外で過ごすうえで印象的だった出来事を「一つ」に絞って書いてほしいと赤字で強調されています。個人的に忘れられない出来事といえば、日本でいう和式トイレの形をしたトルコの伝統式トイレでは紙を流してはいけないことを知らず、トイレを詰まらせた事件です。私が紙を大量に使用したことでなぜかアパートの下の階のトイレの水洗が爆発し、夜中にトルコ人の主人に怒鳴り散らされ、修理費をお支払いしました。

以上のトイレの話は勉学や生活の前提であるため、これからトルコに留学する方には必須の情報だとは思いますが、少しは私の専門に関係のある話をしたほうが良いかと思われるため、約束を破って二つ目の話題に移ります。

日本でイスラーム思想研究を唯一看板に掲げた本学のイスラム学研究室は、専任教員二人体制(教員の専門が法学・神学、スンナ派・シーア派の組み合わせなど)で運営されています。ムスリムが国民の多数を占めるトルコと単純に比較するのは不適切ですが、神学研究が強い国立のマルマラ大学では、イスラーム思想研究関連の教員だけで数十人が在籍し、学部図書館の充実ぶりもあいまり、はじめはその規模の大きさに目を見張りました。また、神学部を卒業してモスクの職業イマーム(礼拝指導者)になれるのは男性のみであるものの、神学部には女子学生が多く在籍し、近年では中央アジアのテュルク語圏や近隣諸国のロシア、またアフリカからの留学生の存在など、国際色豊かで(日本の大学院やほかのムスリム諸国と比較すると比較的)ジェンダーバランスの取れた印象を受けました。


――トイレといった生活上のお話と学問的なお話、ありがとうございます。留学先の研究環境の規模に驚かれたとのことですが、留学生活を通じて自身の中でさらに変化などありましたか。

木村先生: 研究をはじめたばかりの私は、トルコの研究・教育環境に触れて、「日本でイスラームの研究をする意味とは何だろうか」という問いを改めて抱くようになりました。学部時代の恩師は親切にも、「学部四年間でアラビア語を勉強しても、良くて現地の小学生高学年くらいの語学力が期待できる程度だろう」と伝えてくださり、それでは大学院修了時には良くて現地の中学か高校程度だろうかと当時の私は考えていました。

留学を経て日本で博士課程を終えた今実感することは、研究のオーディエンスや知的環境が違うゆえに、研究上の優位を単純に二国間で比較することはナンセンスだということです。たとえば日本では研究活動に英語の使用は避けられませんが、トルコでは英語圏での非ムスリムによる研究成果の受容を拒む学者が一定数存在し、母国語のみでの知的生産と消費が成り立っている閉鎖性が存在します。したがって、現代のリンガフランカである英語で学問することは彼らにとって自明の前提ではありません。

一方、日本のイスラーム研究においては、アラビア語・トルコ語・ペルシヤ語を駆使する研究者が現在でも存在し、英語圏への発信も試みられているものの、先行研究の参照においては欧米語による研究資料が権威を有し、数多くあるトルコ語やアラビア語の研究は十分に顧みられていません。学問に国境がないことは我々にとって規範に見え、かつ理想ではありますが、二国のイスラーム思想研究を比較した際、それを自明の前提とみなすことはできないことを、留学を通じて体感しました。

Veznecilerのアラビア語書店街


トルコには「生きた遺跡」が今なお多い

――二国間では研究への前提がまるで異なるというお話は、他の地域を研究している学生の皆さんにも考えるヒントになるではないでしょうか。
他にも、留学を通じて感じたこと、発見したことなどあれば教えてください。

木村先生: 世俗国家のトルコでは、今年2023年の大統領選挙の結果を見てもわかるように、宗教熱心なムスリムと、信仰を表に表さない(もしくは単に宗教嫌いな)国民が綺麗に二分しています。そのことは街の様子にも現れており、イスタンブールでは宗教保守派と世俗派の人間の生活空間が棲み分けされています。親イスラームの現エルドアン政権になってからはモスク附属のオスマン朝期のマドラサ(寺小屋的な宗教学校)の再利用やモスクの新設が進み、はじめてイスラーム世界を訪れる学生にとっては毎日のアザーン(礼拝の呼びかけのアナウンス)もあいまり、壮観だと思います。たとえば、同じ旧オスマン帝国領地でもギリシャなどではモスクの遺跡も閉鎖されており、現在利用されていない「死んだ遺跡」が目立ちますが、トルコの遺跡は「生きた遺跡」、現在も生活の中に歴史が根ざしている感じがします。


実利的な面だけではなく、心理的な面で留学がプラスに

――トルコの遺跡は「生きた遺跡」、印象的な言葉です。
ここまで留学での印象的な出来事について伺ってきました。次の質問ですが、海外での体験が帰国後の今も活きているなと感じることはありますか?

木村先生: 国内にいても研究対象や海外の研究者の存在や声を論文や本を通じて窺い知ることができますが、実際に文字情報から得た知識が現実の社会で展開されていたり、同業者と肉声を交わしたりすることは、簡単に私たちの研究や勉学のモチベーションを高めてくれます。トルコへの留学を経て、実利的な面では帰国後も中東を中心に世界に広がるトルコ人研究者のネットワークや研究・教育プログラムの企画に加えてもらえる利点があるのですが、それ以上に、トルコに長年滞在し、知識を追い求め続ける研究上の同志の存在が、帰国後に研究を続ける上でも大きな刺激となりました。このよう心理的な変化が、留学を通じた最も大きな収穫と感じます。

イスタンブールのアクサライにて留学を支えてくれた先輩方との記念写真


外国語を知ることが自国の言語・文化を知るきっかけへ

――直接的な知識やネットワークの他にも、精神的な面でも良い影響を受けているということですね。
それでは最後になりますが、今、留学や国際交流をしたいと考えている学生へ、メッセージをお願いできますか。

木村先生: トルコで出会った私のイスラーム学の師匠の一人は、今日のトルコの高等教育では留学生も含め「トルコ語とアラビア語と英語」を必須言語とすることが理想だと説いていました。日本のある小説家も、小説を書けるようになるには外国語を勉強すべきと述べていたことを記憶していますが、外国語学習は自国語や自国の文化、ひいては自分自身の知的な出自を知る鏡となります。昨今の大学院では論文執筆など「知的生産性」でお尻を叩かれる機会も増えているかもしれないので、暇な時間があるように見える学部時代を恵まれた外国語学習の時間にすべきと私は先輩から教わりました(が、少年老い易く学成り難しで三十路まで来てしまいました)。

近況写真として、以前はオスマン帝国の治下にあった現サウジアラビアのマッカ大巡礼視察前・視察後の比較写真。巡礼の終わりには髪を切る慣習がある。

――ありがとうございました!

イスラームについて学びたいという方に、木村先生から書籍をご紹介いただきました。

木村先生: トルコ留学中は、博士論文で通り組んだイスラーム法学の資料収集やムスリムが実践する武道の実地視察など様々な研究課題に取り組みましたが、一つの研究課題の成果が訳書であるガザーリー『要約 イスラーム学知の革命』(作品社)、2022年所収の論考にまとまっています。イスラームの学問領域の全体像を把握する上でも役立つ書籍なため、駒場書籍部や本郷書籍部にてぜひ手に取っていただけますと幸いです。

ぜひお役立てください!


📚 他の「私を変えたあの時、あの場所」の記事は こちら から!

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