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人とのつながりで、社会は確実に変わる。中国の農村でのフィールドワークを経て

「私を変えたあの時、あの場所」

~Vol.6  香港 / 香港大学

本コーナーでは、東京大学にゆかりのある先生方から海外経験談をお聞きし、紹介していきます。

今回は、学外でも注目を集める阿古 智子先生に、香港留学時のお話をお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。

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英語で中国について学べたことが、その後のキャリアの糧に

――1996年から香港大学に留学されたそうですが、留学経緯をお教えください。

阿古先生: その頃、将来国際機関で働きたいと考えていたため、博士課程で海外に留学する計画を立てていました。アメリカか中国に行こうと考え、ロータリー財団の奨学金に申し込み、運よく合格、最終的に中国への留学を決意しました。

ただ、当時ロータリー財団は上海に事務所を設置したばかりで、留学生の受け入れを開始していませんでした。そのため、中国語圏で他の留学先を探すよう言われ、シンガポール、台湾、香港の中から最終的に香港を選びました。中国でのフィールドワークを続けたかったことから、地理的にも近く、行き来がしやすい香港を選んだのですが、英語で中国について学ぶことができたのは、私のその後のキャリア形成において大きなメリットになりました。


フィールドワークの目的を、現地の人に理解してもらうことの難しさ

――留学中、どんなことをされたのですか。

阿古先生: 香港大学留学中は、中国にも訪れ、インターンシップに参加したり、フィールドワークを実施したりしました。国連開発計画の北京事務所でのインターンシップでは、広西チワン族自治区にも訪問し、教育プロジェクトに参加しました。フィールドワークでは湖南省の貧しい農村に住み込んで行ったときのことが、最も印象に残っています。


――具体的に、どんなことが印象に残ったのですか?

阿古先生: 当時、中国での農村調査は、地元の役人にアレンジしてもらって行うことが大半でしたが、それでは人々の本音が聞き出せないと考え、1カ月半もの間、湖南省の村に住み込むことを認めてもらいました。それでも時々、役人たちが様子を見にきました。

その地域で、私は日本の民間援助機関のメンバーとして学校建設のプロジェクトにも関わっていましたから、役人たちは生活に気を遣ってくれてもいたようで、こっそりと肉や卵などを私が世話になっていた家族に差し入れていました。

私はありのままの生活を体験したかったのに最初の頃、食事が豪華すぎたので、気を遣わないでほしいと家族に伝えました。しかし、家族は役人たちからのプレッシャーもあって、そうせざるを得なかったのでしょう。それに、肉や卵が食べられるのは、家族にとっても助かりますよね。本来、外国人を受け入れると地元の人たちにもメリットがあるはずなのに、私はそういうメリットを受け入れないようにしてほしいと頼んでくる。私がフィールドワークを行う目的を地元の人たちに理解してもらうのは、容易ではありませんでした。


ネズミにカステラを食べられる(?!)事件が勃発

――フィールドワークで「ありのままの生活」をしたいという思いを伝えるのは、困難だったのですね……。

阿古先生: とはいえ、実際のところ、私も食生活にかなり苦労しました。

日本や香港で甘いお菓子を食べることが習慣になっていた私は、村でお菓子が食べられなくて、苦しい思いをしました。私の住む村の学校の購買部で唯一売っていたお菓子は、石鹸の味のするチョコレートだけ。

あるとき、どうしても我慢ができなくなり、村からはバスを乗り継いで半日以上かかる町まで行き、カステラを袋いっぱい買って帰りました。やっと甘くて美味しいお菓子が食べられる、少しずつ大事に食べようと思っていたのに、なんと、その日のうちに、ネズミに全て食べられてしまいました。農村のネズミは痩せ細っていて、人間の手のひらの半分ぐらいの大きさしかないのですが(香港のレストラン街の裏通りを走っていたネズミは人間の足より大きいぐらい!)、ちょっと目を離したすきに、私の大切なカステラを、全て運び出すぐらいエネルギーがあるのだ、とびっくりしました。


他者とのコミュニケーションが、フィールドワークの発見に

――恐るべし、ネズミ! では、留学中の困難は、どのように解決方法を見出されたのですか?

阿古先生: ご紹介したのは、フィールドワークにおける地元の人々の望むこと私のやりたいことのギャップ、中国の役人たちへの対応、食生活に関しての困難でしたね。

フィールドワークは自分と他者との調整を行いながら根気強くやっていくことが大切です。そのプロセスにおける他者とのコミュニケーションそのものが、フィールドワークでの発見につながるので、苦しいと感じることもありましたが、発見そのものを楽しみながらやろうと気持ちを切り替えていきました。お菓子がないのはやはり辛いので、もう少したくさん甘いものを持ち込めばよかったと思いました! 甘いものがないことがこれほど辛いとは思いませんでした。


共通の関心事を話し、現地の人との距離を縮める

――留学中、トラブルを通じて学ばれたことはありますか?

阿古先生: トラブルというか、相互に理解し合えないことによる不信感の増大というのはあったと思います。

特に中国と日本は歴史的に複雑な問題を抱えてきたので、中国の農村の人たちは突然入ってきた日本人に対して、当初、距離を感じていたと思います。

徐々にでも距離を縮めるために、家族との付き合い方で悩んでいること、大学入試で苦労したこと等々、中国の人たちと共通する関心事項を持ち出して、会話の中で和むことができるようにしました。日本人の多くが未だ軍拡を望んでいる、日本社会は男尊女卑で女性のほとんどが働いていない、といった日本に対する偏った固定観念で会話が進んでいることもあったので、自分の身近な事例をわかりやすく伝えて、日本社会も徐々に多様化していることを伝えました。

私を通して中国の人たちが視野を広げているように感じたときは、とてもうれしかったです。やはりメディアを通しての理解だけでは足りない、生身の付き合いが大切だと思いました。


――阿古先生との出会いで、中国の人たちの日本への考えも変わっていったのですね。では、海外での体験が帰国後も活かされている、と感じることがあれば教えてください。

阿古先生: 香港大学の教育学部で執筆した博士論文では、中国における「公」と「私」という領域を、国家権力と教育の関係を明らかにしようとしました。国際機関で途上国の開発に関わる実践的なプロジェクトに携わりたいと考えての大学院進学でしたが、学術研究に関心が向くようになり、書籍や資料に埋もれているだけではなく、現場に出向き、フィールドワークで研究を行いました。

私が現在に至るまで、中国社会の奥深くに入り込んで研究を続けているのは、香港で学んだことが基礎になっていますね。

香港大学の指導教官・程介明教授と学位授与式の後に撮影_阿古先生

▲香港大学の指導教官・程介明教授と学位授与式の後に撮影したもの。「自分もガウンを着ていたのですが、ガウンを脱ぐ前に指導教官と写真を撮ることができませんでした」と阿古先生。


さまざまな人とのつながりで、社会に変化を

――では最後に、これから留学を目指す学生たちにメッセージをお願いします!

阿古先生: 香港は1997年に主権がイギリスから中国に返還されました。私はその1年前に香港で学び始めており、返還前後に香港の人々が動揺しながらも、未来を見据えて自らの進む方向を定めていく様子を見ることができました。当時を振り返ると、今の香港の状況が信じられません。中国でも経済発展に伴い、政治改革が進むだろうと見ていたのですが、今考えればその判断は甘かったのだろうと思います。

しかし、中国にも自由や法の支配、民主主義など、価値観を共有できる人たちがいます。学術研究、教育、文化活動などを通して、さまざまな人とつながっていくことで、社会は確実に変化していきます。

留学時代に築いた人間関係、得られた知識や情報はとても貴重です。それらを活用しながら、時代の変化を受け止め、その時々の自分の立ち位置を確認して、どのような人たちと、何をしたいかを主体的に決めていってください。

――ありがとうございました!


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