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「情熱」を得て色づく日々。トスカーナでひと夏を過ごして
「私を変えたあの時、あの場所」
~Vol.13 イタリア / シエナ大学~
本コーナーでは、東京大学にゆかりのある先生方から海外経験談をお聞きし、紹介していきます。
今回は、村松 真理子先生にイタリアで留学されていた当時のご体験をお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。
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灰色の日々から一転、トスカーナへ
―はじめに、留学のきっかけを教えてください。
村松先生: 西洋史か美術史かと悩んだ末、なぜか文学に決めて本学文学部イタリア文学科(現・南欧文学科)に進学したものの、進学者三年生は私一人。少人数の授業は上級生や大学院生と一緒でレヴェルがあまりにも高く、春から夏まで本郷で(さまざま人生の悩みも加わり)灰色の日々でした。夜中までいくら予習しても追いつかない(初級文法もそこそこでダンテを院生と一緒に講読したのだから当然だった)。そこで一発逆転をねらったのか、先生のおすすめもあり、夏二カ月間のイタリア語コースをトスカーナのシエナ大学で受講することにしました。
「世界で一番美しい広場」での思い出
―留学中の印象的な出来事を教えてください。
村松先生: 着いたローマの7月。暑く、美しく、人生が急に輝きはじめました。シエナまでの高速バスの窓からの風景はまるで映画。ひまわり畑の向こうの丘の上は城壁に囲まれた中世の街。それが見えては遠ざかる…イタリア語ができないのも忘れました。そもそも言葉を勉強に遠くからやってきた20歳に、電車でも、バスでも、街中でも、老若男女が誰も彼も話し相手になってくれ、週末は中部イタリアの歴史的な街を旅して、景観と歴史に恋している状態。
そんなある日、本郷から一緒の女友達と「世界で一番美しい広場」シエナのカンポ広場で夕食。地元のキャンティを飲んだ、多分ちょっとたくさん。
二人で腕を組んで楽しくおしゃべりしながら歩いて町外れの学生寮まで帰った後、今でも覚えているのは、「大丈夫?」とみんなに聞かれては、「Va bene! Va bene!(=ok)」とイタリア語で答え続けた自分。
本郷に帰った秋、どこから話が伝わったのか(友人は文学部の某教授のお嬢さんだった)、指導教授から「君、カンポ広場でひっくり返って歌ったんだって」と言われ、否定するのに少々苦労しました。さすがに広場で酔っ払って歌ったという事実はありません。皆さん、海外で自分の身を守るのは基本です。人生を見直し楽しむのは大事ですが、くれぐれも気をつけましょう。
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▲「シエナで美術史を勉強していた日独伊の大学院生たちの住む、郊外の家を友人と訪ねて。いただいた地元ワインとチーズと丘の風景に感動した遠い夏の日」(前列真ん中が村松先生)
「エポックメイキング」のひと夏が、日々を天然色に
―留学を経て得られたと思うことを教えてください。
村松先生: ヴェネツィアのカーニヴァル風景に夢中になったり、パリの美術館巡りでうっとりし過ぎたり、ぼんやりしているときに限ってスリに遭うというのはその後も経験。危険は極力さけるべきですが、さまざまな人がいろいろな事情を抱えて集まる世界に飛び出し、「トラブル」にあったとき、何とか自分で対処し、人に助けられることを学んだのも事実(聖マルコ広場の警察で盗難届の書き方を書き取りのごとく学んだのはともかく、パリ警察でやはり盗難に遭って来ているのに、私を英語で助けてくれたアフリカ系ファッションモデルの女性の美しさも忘れません)。
あの夏は私の人生においてまさにエポックメイキング。大袈裟ですが、私は生きていける、生きていきたい、と、灰色になりかけていた日々が天然色になりました。自分の選択にも能力にも人生にも自信が持てなかった私が「情熱」を持てるようになる転機でした。幸いに、イタリアの町や歴史や美術やことばの魅力を知り、学ぶ意味を自分自身で実感できたからですし、人々のコミュニケーションや「人間性」Umanesimoに惹かれたからです。
その後ずっとイタリア文学を日本とイタリアで勉強し続け、2002年からは駒場で教えています。
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▲「数年前に再訪したシエナ。カンポ広場もワインも変わらず待っていてくれました…」
「他者」との出会いで揺すぶられる経験を
―最後に、留学や国際交流を検討している学生へ、メッセージをお願いします。
村松先生: 自分を探しに行くのでなく、「他者」に出会うことを目指してほしい。「他」との遭遇は自分が揺さぶられる経験です。私は外に出て「情熱」を見つけましたが、passione(伊)passio(羅)は苦悩や受難でもあり、compassion(「共に」感じる痛み・同情)やsympathy(共感)につながります。
かつてノーベル賞受賞前の大江健三郎氏にイタリアの若い作家がインタヴューをするのを通訳しました。そのとき「好きなことばは?」と聞かれて大江氏はpassionと答え、その多義性を説明しました。私の皆さんへのメッセージはその「引用」でもあります。
―ありがとうございました!
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