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見えづらい社会問題も想像する力を。エクアドル、先住民の声を聞いて

「私を変えたあの時、あの場所」

~Vol.31 エクアドル、ボリビアなど ~

東京大学にゆかりのある先生方から海外経験談をお聞きし、紹介する本コーナー。

今回は、宮地 隆廣先生に、エクアドル滞在をはじめとして海外渡航時のご体験をお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。

ラテンアメリカの先住民運動の研究で渡航へ

――学部時代からさまざまな滞在体験がおありの宮地先生ですが、特に学生時代の渡航体験についてお聞かせください。

宮地先生: 私は大学3年からラテンアメリカの政治について学び、4年にはメキシコに1年間留学しました。大学院では先住民運動について主に研究しました。ラテンアメリカはかつてヨーロッパの植民地であり、入植者の子孫である白人層が社会的に優位で、植民地になる前より住んでいた人々、いわゆる先住民が総じて経済的に貧しく、日常生活でも差別を受けてきました。この状況の克服を図る運動が活発なボリビアとエクアドルに赴き、先住民組織が過去30年の間にどのような政治活動をしてきたかを分析しました。ボリビアには2年半、エクアドルには1年滞在しました。


先住民組織の法務部で聞こえてきた、人々の切実な声

――先住民運動の研究で渡航されたのですね。現地での印象的な出来事など教えてください。

宮地先生: 先住民組織の歴史を知るには、その組織の文書を読む必要があります。エクアドルで、先住民組織に資料を閲覧できないかをお願いしたときのことです。タダでとは言わないから、できることがあれば手伝いますと伝えたところ、法務部に行くよう言われました。

法務部といっても、実態は専属の弁護士が1人で働く部署でした。資料は棚からあふれ、部屋の隅や廊下に放置されていました。そこで私は、文具店で大量の紙ファイルを買い込み、資料に1点ずつ目を通しては、ノートPCに内容を記録し、紙ファイルに資料を分類しました。エクアドルでの私の活動の半分はこの作業に費やされました。

当初、この弁護士は整理が苦手なのだと思ったのですが、ほどなく事情がわかりました。まず、先住民組織には十分な資金がなく、人を雇う余裕がありませんでした。そして、ホコリをかぶった資料と格闘している私の背後では、後を絶たずに相談に来る先住民の人々がいて、弁護士は多忙を極めていました。「土地を隣の地主に奪われた」「市役所も、警察も、地元の代議士も、全く相手にしてくれなかった」「警察に届け出たら、その後で家族が何者かに襲われた」など、聞こえてくる言葉の中身はどれも切実なものでした。

私が分類した資料の数々もまた、その大半がこうした相談にまつわるものでした。契約書や登記簿、法務部が裁判所や警察署、政治家などと交わした文書やFAXからは、先住民の立場の弱さを利用した不正が数多く発生し、一度そのようなトラブルに巻き込まれると、なかなか公正な対応がなされないことがわかりました。


見えてきづらい貧困や差別へも思いをめぐらせて

――法務部での手伝いの経験によって、実際の声が聞こえてきたのですね。

宮地先生: ラテンアメリカに深刻な貧困や差別があることは、渡航する前から知識としてわかっていました。しかし、実際に現地に暮らしてみると、そうした問題に直面することなく、案外普通に過ごせてしまうところがあります。安全な地域に住まいを借り、スーパーで買い物をし、大学で書籍や資料を読み、知り合いとおしゃべりしたり、研究について話し合ったりする日々は平和なものでした。

エクアドルに行く前に滞在したボリビアでは、開発NGOのアシスタントとして、先住民の村落に長期間住み込む経験もしたことがあります。農作業と家畜の世話で一日が過ぎ、集中的に作業する小麦の収穫では住民が助け合い、食料もまた隣人間で分かち合うことが日常的に行われていました。電気がなく、最寄りの病院に行くのに何時間もかかるなど、都会で享受できる便利さを欠いてはいたものの、生活は穏やかでした。

先住民組織の法務部は、先住民として生きる難しさが凝縮して扱われる場だったといえます。被害を受けた生身の人間を見る、その人たちの語る言葉を聞く、そして書類を通じてその人たちを取り巻く状況を知ることは、貧困や差別といった抽象的な概念に具体的な重みを与えるものでした。私が見てきた静かな日常の背後で、色々な問題が起きていることに、想像力を働かさなければいけないと思いました。

先住民組織の資料を保管する、農村部の建物。
「組織の資料は通常、都市にある組織の事務所に保管されていますが、写真のような農村部の簡素な建物に収められていることもあります。首都からバスで6時間かけて熱帯の地方都市に移動し、そこから1時間歩くと到着します。職員が入口を開けてくれるまで辺りで腰かけて待っていると、いつのまにか毒々しい色のヘビに囲まれていることがありました。熱帯の資料探しは命がけです」と宮地先生。


大変なことも乗り越えれば自信へ

――浮上しにくい問題の存在に想像をめぐらせることが大切なのですね。法務部での体験以外にも、海外体験全体を通じて「得られた」と思うことはどんなことですか?

宮地先生: 知らない場所で暮らすということは、日々の生活にせよ、研究に関わることにせよ、どのようにしたら自分の望むことができるかを手探りで見つけていくことだと思います。とりわけ海外の場合、言葉や習慣の違いがあるので、その見つけていく過程が一筋縄でいかないことが多いといえます。ただ、その大変さを経験してしまえば、それが後々、自信になります。

エクアドルから日本に帰国するとき、ふと「学部時代にメキシコで暮らし始めたときは、買い物ひとつできなかったよなあ」と思うことがありました。その当時、店員に何と話しかけたらよいのかすらわからなかったことを考えれば、できることがずいぶん増えたものだと感じました。平たく言えば「人生経験を積んだ」というだけのことかもしれませんが、海外で暮らせば、その経験が自分を作っていくことになります。


――何気ないことでも、一つ一つの出来事が自分の経験になるのですね。では、帰国後も海外体験が活きているなと思うことはありますか?

宮地先生: トラブルに対していら立ちを覚えることが少なくなりました。ラテンアメリカでの生活は、全体的に見れば楽しかった半面、思い通りに物事がいかないこともたくさんありました。それに対して腹を立ててもあまり意味はなく、これからどうするかを考えないと、結局先に進めないということがあったのではないかと、今になって思います。

また、日常生活で自分の回りのことに注意が行き届くようになったと思います。立っているのがつらそうな人に電車やバスで席を譲るといった、ごくありふれた行動のレベルでの話です。法務部での経験が関連しているのかもしれません。


人付き合いで大切なことは変わらない

――なるほど、日常に通じる変化があったのですね。まさに「人生経験を積んだ」体験談です。最後に、留学や国際交流をしたいと思っている学生へ、メッセージをお願いします!

宮地先生: 留学や国際交流とは、つまるところ、人との出会いの機会です。そして、言葉や習慣が違っても、人付き合いで心がけることに変わりはないように思います。我を張り過ぎれば、相手は逃げていきますし、我を抑え過ぎれば、自分が楽しくなく、そんな自分に付き合う相手も楽しくありません。相手に敬意と理解を持ちながら、自分にとって楽しい時間を過ごしているうちに、実りある経験が得られるのではないでしょうか。

――ありがとうございました!


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