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本当の「先進国」とは? ベルリン留学で気づいた豊かさの本質

「私を変えたあの時、あの場所」

~ Vol.47 ドイツ/ベルリン自由大学

東京大学の先生方から海外経験談をお聞きし、紹介しているコーナーです。

今回は針貝 真理子先生に、ドイツ留学当時についてお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。


小学生のときにベルリンの壁が崩壊。その頃からベルリンに関心が

――ベルリンで留学されています。初めに、留学しようと思われた経緯から教えてください。

針貝先生: 私が小学生だったとき、大きな衝撃を受けた出来事がありました。ベルリンの壁崩壊です。父がドイツに友人を持っていたもので、小さい頃から「西ドイツ」を身近に感じていたのですが、壁崩壊後に、地図帳の「西ドイツ」は「ドイツ」に変わり、「ソ連」は「ロシア」になり、それまで不変のものだと思っていた世界地図が大きく書き換えられました。その頃から、異なる価値観がぶつかりあって動いている世界をのぞいてみたい、東西に分裂していたベルリンという街に行ってみたいと思うようになりました。そういう希望もあって大学では独文学を専攻し、DAAD(ドイツ学術交流会。日独間の学生・研究者の国際交流等を支援している機関)の奨学生として2008年から3年間ベルリン自由大学に留学しました。


ホームステイ先で強制退去の危機。外国で突然住居を失う恐怖

――小学生のときのベルリンの壁崩壊が記憶に刻まれていたのですね。実際にベルリンの街に行かれて、印象的だったことはどんなことでしたか?

針貝先生: ベルリンに留学して最初の3カ月間、私は語学学校の斡旋で、旧東ベルリンに長年暮らす老画家のところにホームステイしていました。中心街からは、落書きだらけのトラムに乗って北東へ20分ほど。老画家の暮らす古いアパートは、お世辞にも便利快適とは言えない家でしたが、古い音楽や絵画、画家が長年かけて集めた古いものに囲まれて時間の堆積を感じ、彼女が手ずから収穫したものを食べ、ときおり青い小鳥が窓から舞い込んでくるのを心待ちにする生活は、「先進国」らしいと私が思っていたものとは全く異なる豊かさに満ちていました。

ところが、事件が起こります。画家が旅行で留守にしていた最中のことでした。突然訪ねてきた大家に強制退去を求められ、それが元で裁判に巻き込まれてしまったんです。後から知ったことですが、大家はこの老画家を何とか退去させたがっていて、それで法律用語もよく知らない外国人が家にひとりでいるところを狙ってきたとのことでした。彼にとって、住人が長年かけてつくりあげた生活は無価値であり、この家は単なる資産でしかないようでした。私はその価値観に強い疑問を覚えつつ、遠い外国で住む場所を失う恐怖におびえて眠れない夜を過ごしました。

しかし幸いなことに、ドイツには住人を守る法がありました。私たちは最終的に裁判に勝ち、老画家はその家に住み続けることになりました。


本当の「先進国」とは何かを考えるきっかけへ

――裁判沙汰になったとは驚きですし、当時はさぞ不安だったことと思います。衝撃的な出来事ですが、その後ご自身の考え方などへ影響などはありましたか?

針貝先生: 家を失う恐怖におびえて暮らすなかで、日本で似たような目に遭っている外国人もきっと数多くいるだろうと思いました。しかし同時に、日本のパスポートを持ち、高等教育を受けてドイツ語を理解することができ、正式な受け入れ先もある私は、彼らとは比べ物にならないくらい守られた立場にあることも思わずにはいられませんでした。法や政治というものがいかに自らの生活と直結しているのかを、文字通り体感した出来事でした。

以来、「先進国」というものがあるとするならば、それは人が生きる権利を守り、かつ豊かさとは何かを根本から問い直すことのできる国ではないかと思うようになりました。また、日本在住の外国人を見る目も大きく変わったと思います。例えば外国語のアクセントが残る日本語でコンビニエンスストアのレジ業務に当たっている方々に接するとき、この業務をこなせるようになるまでに、どれほどの苦労があっただろうかと声援を送りたい気持ちに駆られるようになりました。もちろんそれ以前も、外国人差別をしてはならないとか、外国暮らしはきっと大変だろうなどということは、頭では理解していたつもりでした。しかし自分の生活感覚と地続きの強い実感をともなって、以前より高い解像度で想像することができるようになったのは留学経験を経てからだったのではないかと思います。


廃墟で芽吹いてゆく、新たな文化

――法や政治が自分の生活に結びついているというのは、本当にそうですし、これはドイツにかかわらず、日本でも、どの国・地域でもいえることですね。また、日本に住む外国人に対する見方が変わったというのも印象的です。
他にも、ドイツで生活していたときの印象に残る風景などありましたらお聞かせください。

針貝先生: 心に残っている風景は、やはり街の中心部に点在していた廃墟の風景でしょうか。私が留学していた2010年前後、旧東ドイツの都市ではまだたくさんの建物が廃墟のままになっていました。画家の家から引っ越した先も旧東ドイツ地区だったのですが、その家の隣も、窓ガラスが割れ、落書きだらけになった廃屋でした。一方、私が住んでいたアパートは、古典的な装飾がほどこされた築100年程の美しい建物だったのですが、玄関の前に、今は使われていないポールが3本立っていました。同居人が言うには、かつてこの建物は東独時代に独裁体制を敷いていた党の事務所として使われていて、ポールには国旗や党旗がひらめいていたのだそうです。家から少し歩くと、大きな川に沿うように森が広がっていて、ちょうど良い散歩道になっていたのですが、森の中にも遊園地の廃墟がありました。止まったままの観覧車や横倒しに転がった恐竜を森の木々の向こう側に見ながら、かつての賑わいを想像したものです。東ドイツという今はもう存在しない国の痕跡が、こうして生活空間の至る所に生々しく残っていました。一方で、廃墟は新しい文化を育む場でもありました。高級デパートの廃墟にアーティストが集まってできた「タヘレス」が有名ですが、廃墟だらけの街は若いアーティストが安い家賃で広いアトリエを持ち、のびのびと活動することを許す環境もつくりだしていました。街の魅力の源泉となっていたのは、良くも悪くも間違いなくこうした廃墟で、それは同時に、過去になりきれない歴史の現場でもありました。

「よく散歩していた近所の森の中にあった廃墟です。フォンターネという19世紀の作家の小説にも登場するそうです。この近くに例の遊園地跡がありました」


狭い常識を出ることで外れる、自分自身の「枷」

――廃墟という一つの文化が終わった場所で、別の新たな文化が芽生えるのは興味深いですね。拝見したお写真もとても趣深いです…!
では、ドイツで3年を過ごされた経験が、帰国後も活かされていると思うことがあれば教えてください。

針貝先生: 家や大学や語学学校、そして私は演劇学を専攻していたもので、ベルリンで知り合ったアーティストと一緒に舞台制作をしたりもしていたのですが、そうした場で本当にたくさんの、今も交流が続く友人たちに出会うことができました。国籍も母語も性的指向も価値観も一様ではなく、自分の狭い「常識」が通じないこともしばしばです。でも、その多様性をあたりまえのものとして受け入れることができるようになったことは、帰国後も活かされていると思います。日本とは異なる世界を知ると、日本国内で一般化している「常識」を相対化し、歴史的に変わりうるものとして見直すことができるようになります。それをしんどい、面倒だと思う人もいるでしょうが、それは知らぬ間に自分自身を縛り付けている枷を取り払い、自由にしてくれる経験でもあるんです。

自分が携わっている芸術の現場においても、生まれ育った環境を時間的にも空間的にも広い視野で相対化し、歴史化する作業はとても重要だと感じました。ベルリンで出会った魅力的な演劇には、そうした視野を感じることが多かったように思います。そしてそれは、廃墟と隣り合わせで生まれたこととも無関係ではない気がします。

「演劇学には観劇が欠かせません。このカフェは劇場の近くにあって、雰囲気が良いのでよく行っていました」
長く暗いドイツの冬を照らしてくれるのはクリスマスの明かりだそう。「この通りにあるゾフィーエンゼーレという劇場で、制作にかかわった舞台作品Die Scheinwerferinの初演を迎えました。その後いくつも賞をいただいたりヨーロッパ各地で再演されたりと大成功を収めた作品なのですが、作っている最中からわくわくしていました。とても思い出深い場所です」と針貝先生。
「DAADの奨学金受給期間終了とともにいったん帰国し、日本でドイツ語を教えながら毎年がんばって渡独して博士論文を仕上げました。ようやく出版した博士論文をドイツの本屋さんで見つけたときの感動は忘れられません。書店員さんに、『私の本なんです! 写真を撮ってもいいですか?』と聞くと快くOKしてくれました」。Ortlose Stimmenが針貝先生の著書。


単語と感覚が結びつく「記号接地」の重要性

――異なる世界に触れることは、結果的に自分を自由にしてくれることでもあるのですね。
最後になりますが、留学や国際交流をしたいという学生に向けてメッセージをお願いします。

針貝先生: 「記号接地」という言葉をご存じでしょうか? 単語のひとつひとつを経験や感覚と紐づけること、記号と身体感覚との接地のことで、AI知能には決定的に欠けているものです。今は家にいながらにしてさまざまな情報に触れることができます。でも、自分にとって異質な場所にみずからの身体を置き、そこで日々新たに起こる出来事や新しく出会う人々に身をさらす経験から得るものはとてつもなく大きいのです。これからの人類にとって、AI技術が発展すればするほど、この身体感覚の重要性が高まっていくのではないでしょうか。本当の豊かさとは何か、みなさんもぜひ、みずからの肌で感じて考えてみてください。

――ありがとうございました!

コロナの前年にライプツィヒで開かれた国際ブレヒト協会の国際会議に参加したときの懇親会の様子。「懇親会の演出も凝っていて、不思議な色のライトに照らされています。バッハの活躍でも有名な文化都市ライプツィヒはベルリンから電車で日帰りできる距離で、留学中もよく行っていました」と針貝先生。

針貝先生は著書『Theater- und Tanzwissenschaft Ortlose Stimmen (場所なき声) Theaterinszenierungen von Masataka Matsuda, Robert Wilson, Jossi Wieler und Jan Lauwers (松田正隆、ロバート・ウィルソン、ヨッシー・ヴィーラー、ヤン・ローワースによる舞台演出)』(transcript、2018年)について、UTokyo BiblioPlazaで紹介文を寄せられています。
ぜひ併せてご覧ください。紹介文は こちら から読むことができます。


📚 他の「私を変えたあの時、あの場所」の記事は こちら から!

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