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UTFR歴代代表で集まって、歴史を振り返ったり、未来を語ったり。

皆様こんにちは!
UTFRは、このたび4回目の春を迎えます!

最初は2人で始めた活動も、今は72名のメンバーに広がり、4月にも大量の新規メンバーが入って来るだろうと期待に胸を膨らませております。

さて、UTFRは2月の27日をもちまして、代表を交代することに致しました。

第3代UTFR代表は、工学部内定2年生の小山賞馨です。

代表の代替わりに際して、歴代の代表全員で座談会をし、今までのUTFRやこれからのUTFRについて、楽しかったことや苦労したことについて語る会を行いました!

UTFRにこれから入ろうと思っている人、未来のUTFRメンバー、そしてUTFRに関わる全ての人にぜひ見てほしい、素晴らしい座談会になったと思いますので、レポをお楽しみください!

歴代代表の紹介

初代代表 大野康晴(教養学部4年)

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UTFRの創設者。最初は完全にノリと勢いで団体を立ち上げました。色々悩みつつも、団体の方向性を考えていました。あまり東大内で注目されていなかった部分に焦点を当てられたのはよかったかもしれません。東京大学珈琲同好会も立ち上げました。


2代目代表 神田直樹(法学部3年)

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通信制高校のNHK学園出身。石垣島のプロジェクトや小学館での出版事業のをスタートさせました。今も高知県と協力したプロジェクトの立案に奔走しており、UTFRの教育団体色を強めました。


3代目代表 小山賞馨(工学部内定2年)

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山口県の宇部フロンティア大学付属香川高校出身。推薦入試で工学部に合格。最初はご飯を食べるサークルと聞いてUTFRに入った。昨年は山口県の母校でオンラインイベントなどを開催。

UTFRの歴史を振り返ろう

小山)設立時は僕にとっては遠い話なんですけど、当時はどんな雰囲気だったんですか?

大野)2017年12月に、2人で駒場の一食で「東大Fラン交流会」ってのをTwitterで設立してね

神田)おおおお!いきなりその部分に触れる!?

大野)それで、最初のツイートが「名門コールがうざい」で炎上して、ツイ消しした(※東大では、一部、新入生などが出身高校を言うと周りが「めいもーん!」っていうコールがあります。東大特有のものだと思っていたが、実は他の大学にもあるらしい)

神田)傍から見てる感じ、当時はマジでそういうアングラな団体でしたよね。名門絶対許さねえ...みたいな

大野)そもそも、本当にノリで適当にTwitterアカウント作っただけだったから、あのアカウントは当時僕がじょそこんっていう駒場祭の女装コンテストに出てた時のアカウントをそのまま使ったので、今でもいいね欄をさかのぼるとその名残がある(笑)
(当時のUmeetさんの記事がこちら

神田)てか、まあ僕はその歴史を知ってるので違和感があるわけではないですが、まずスタート時の名前が「東大Fラン交流会」ってやばいですよね。でも今までUTFRの公式記事ではその呼称には触れなかったけど、今回はそこまで話していくんだ~ってびっくり

大野)そこも含めて、この団体の歴史だからね。その名前や、炎上性もあって、東大Fラン交流会、東大内では知名度が高かったんだよね当時

神田)確かに、今の3,4年生の代はほとんど「東大Fラン交流会」っていうと通じる。

小山)今の1,2年生にとっては全然ピンとこないっすね~

大野)ただやっぱり、「Fラン」って名称はコンプライアンス的にどうなん?って話は昔からあったし、真面目な活動をしてるかどうかもよくわかんないから、名前を変えようって議論はずっとあって

小山)それでどうなったんですか?

大野)2018年4月に「おいでよ東大」って名前にした

神田)これは失礼ながらマジでセンスないなと笑った

大野)やっぱり、そもそも東大Fラン交流会に変わるインパクトの名前が無かった。Fランという言葉以上に自分たちを表している言葉もなかなかないなと思ったし。

神田)それはわかる。やっぱ自分たちの存在とか、Fランってワードは、メインストリームに対するアンチ的な要素入ってるじゃないですか。自虐的というか、アイロニックというか、あるいは反体制的というか、そういう感じはある意味僕らのかなり本質的なところなんじゃないかなと思う。でも「おいでよ東大」にはそれが無かったよね。
もはや「開成お断り東大」とかにした方がよっぽどそれっぽかった笑

大野)実際最初の新歓の時は「名門校お断り」ってポスター作ったよね笑

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小山)そういう感じからどうやって今のUTFRのノリになったんですか?Frontier Runnersとしての。

大野)2018年夏ごろに、せっかくだから合格体験記を書こうという話になった。多浪交流会の合格体験記とかめっちゃ売れてたからね。で、秋の駒場祭で『非進学校出身東大生の合格体験記』を出した

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大野)300部売れたらいいやと思ってたけど、まあ余ってもいいかなと思って700部刷ってみたんだ。そしたら受験生とか親とかにウケて、アホほど売れた笑。3日間開催だったんだけど、2日目で在庫切れて。
で、そんな中同じような境遇だけど入れますかって来たのが神田だったんだよね。

神田)あの時は完全にノリだったね笑。俺の経歴自慢しよと思って祭りのノリで行っただけで。むしろUTFR好きじゃないなと思ってた。アングラだし、ちょくちょく炎上しているの見てたからね笑

大野)で、この駒場祭でこれでメンバー規模が4倍(15→60人)くらいになったんだよね

神田)あとあれ、S学院の話も大きかったよね

大野)ああそう、S学院っていう高校なんだけど、数十年東大が出ていなくてアドバイスが欲しいって、駒場祭の時に進路主任の先生から声かけられて。結局は実施には至らなかったんだけど、外部組織と組んで教育に関わろうとしたのがその時が初めてだったので、その意味ではあれが今の石垣島や高知にも繋がっているんだよね

神田)だからこの時からFランって名前絶対変えようってなってたね。

大野)それまではコミュニティとしての機能が強かったけど、教育団体としてやっていこうとするきっかけだったね。

神田)じゃあ次に僕が代表をやっているあたりの代の話でいうと、大きいのはやっぱり石垣島で教育プロジェクトを立ち上げたことと、あと小学館から書籍を出版したことだと思う。真面目な教育団体としての活動を急先鋒として推し進めていく中で、代表になったっていう。

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小山)だいぶん今の雰囲気に近くなってきましたね。

神田)そう、でも今思うと反省とか後悔もあって。俺は結局Fランって言ってた時代の遺産を食いつぶしただけだったのかもしれないなあって。当時は「Fラン」って言葉に、世の中も東大も気に入らないみたいなアンチテーゼ的なモノが入ってたと思うんだよね。で、そんな中で苦労した経験があったからこそ、みんな活動に強く関わってくれたのかと。
でも、俺がやったことって、UTFRが元々批判してたようなメインストリームにUTFRを持って行ったことだったんじゃないかなって。そう思うと、再生産側になっちゃったのかもしれないなと。その過程で辞めたメンバーもいたし、Twitterもつまんなくなったって声も訊いた。

大野)UT-BASEとかで他の意識高い団体と並列で紹介されるようになってしまったら終わりだよね。

神田)そのあたりは次の世代に期待したいところではある。まあとはいえ、光の側面を見ると、石垣島は我々にとってもキラーコンテンツだったよね。みんな来てくれたし、実際素晴らしく楽しかったし、めちゃめちゃ仲良くなったしね。

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小山)それはありましたよね

神田)あと書籍もやっぱ嬉しかったよね。自分たちの活動がついに社会的な成果になったというか。

大野)社会的に認知されるようになったと感じているし、俺の代にはできなかったことをやってくれたなと思う

これからのUTFRの話

小山)大野さんが東大内での認知と土台をつくり、神田さんが教育団体として成長させてきた中で自分がどうすればいいのかっていうのは結構難しいなと。とはいえ、まず、コンプラ気にしつつも東大内マイノリティの居場所を作っていくことは大事なんじゃないかと思う。特にコロナによる情報不足の影響をマイノリティはより強く受けるから支援したい。

神田)わかるなぁ

小山)あと、対外的には、この状況は全国で困っている人にアクセスするにはチャンスだと思う。

神田)そうだよね、去年春にやっていたオンライン自習室も、規模は小さかったもののかなり成功だったと思う。ひとりでも毎日勉強計画をたてて報告していた人が第一志望に合格してくれたのが本当に嬉しかった。

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小山)これで高知とのプロジェクトが上手くいけば公共機関と連携できるようになるのではないかと思う。地方ほど学校側の対応に影響を受けやすいので、公共機関とも連携しながら東大を目指す人にとって戦いやすい環境を届けていきたいなと思っていますね。

小山)あと、内部での体験や価値観の共有はしておきたいですね。人によって勉強の仕方や講演会とかで話す内容もかなり違うし。

神田)そうだよね~。内部の知見でいうと、小山の代で初めてメンバーがごっそり卒業するのも大きいよね。

小山)今までタレントで運用されてきたってのは割とありますよね。なんだかんだ2人とも1年以上代表やってますし。だからこそUTFR内のコミュニケーションやチーム作りはやっていきたいなと思います。


なんで代替わりするの?

神田)じゃあ、なんで僕らが代替わりをするのかについて話そっか。普通の会社では代表が毎年変わるってヤバいからね笑。なんで大野さんはそもそも代表を辞めて俺にしたんですか?

大野)個人的には自分が珈琲同好会を始めたからってのもあるんだけど、代表によってサークルの毛色が変わるだろうなと思ったからかな。神田に任せたいと思ったのは、僕だったらこういう発信はしないなってことを発信していたから。noteでスタバの記事を書いているのを見たときに、この文章は僕が書けない文章だなと思った。

大野)僕としてもUTFRをスケールさせていくことに自信が無かったし、だからと言ってサークルをたたむのも違うなと思ったから。それでは今まで消えていたサークルと同じになってしまうし、結局教育支援ができないのも嫌だなと思ったから任せたってのはあるかな。

神田)俺がリーダーやってた時代はずっと属人性が~って言われてたからなぁ。俺の代で一緒にコミットしている人が少なかったのもあって、俺がめちゃめちゃやるしかなくて。だから結果としてぶっちゃけ次の代表選びが難航したんだよね。でも小山を選んだのは、別に消去法ではなく、ちゃんと小山が成長して、俺がやるより、小山がやったほうが絶対UTFRが成長すると思ったから。俺は2040年くらいにUTFRが全盛期を迎えれば一番いいなと思っているから、そのために代替わりするべきだと思う。自分のままだともう少しの変化しか起こせないなというのも感じているからね。

2040年にどうなっていてほしいか


神田)俺が2040年って言い始めたので、俺から始めるね。いきなりだけど、2040年には団体が消えていてほしい。団体の規模が拡大すると動きにくくなってしまうし、成長が難しくなる。今までは色々なんか新しいことやっても事後報告でよかったんだけど笑

大野)これはそうだね、個々人を見ると、団体がでかすぎるのはよくない

神田)でも、20年後も成長し続けていられるなら、それが最高だよねと思っていて。まあ我々に足りなかったもので、成長余地があるとすれば、あとはアセット、予算だったなと思う。たとえば1億円とかあったら家とか買えたし、海外でも活動できたよね。けど出資者が必要。その役割を自分たちが担いたいなと思っている。我々UTFRは少数派になることをいとわない意志決定をしてきたことが最大の武器だと思っているので、それを生かせる環境であってほしい

大野)僕は財団を作りたい。文系Ph.Dを目指しているんだけど、特に文系は奨学金がないんだよね。そういった人の意思決定をサポートできるようになりたい。

神田)多分だけど、UTFRのメンバーの家庭は東大内の平均所得よりは低いよね。あとそれ以上に、なかなか名門出身が持っているような情報を持っていない。進路選択とか。だからこそ家とか、アセットを備えた団体になりたいよね。

大野)地方から受験に来るときに泊まれるとか。アパート一個くらいほしいね。

神田)そう。でも意識低いことをゆるせる潤沢なアセットを持ちたい。やっぱりそのためにも今の我々の将来もすごく重要だなと思う。

小山)まあでも実際20年後に僕らがお金を出したいかどうかってその時に面白いメンバーがいるかによりますよね。

神田)まあ確かにね。面白くなかったら俺キレるかもしれない笑

大野)面白いって言葉が何を指すのかにもよるよね。

小山)そこがまだ言語化できていないうちはまだまだなのかもしれないです笑。

神田)Fランって言っていた時代の気持ちは忘れたくない。あまり真面目になりすぎず、とにかく成長と開拓を目指してほしいよね。


UTFRで一番楽しかった話

神田)じゃあ新歓映えする話をすると、UTFRで今まで一番楽しかったことって何?

小山)やっぱこれは石垣島行った時。星見た時っすね。街灯がなくて、空き地で車止めて一面星空っていう。

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大野)水平線の上に星が見える。地球丸いんだ~って。

神田)確かに、なかなか石垣島に1週間とか旅行できる学生団体ってないよね。現地の人に宿泊その地協力してもらってるからこそいける。あと石垣はやっぱ中学生の反応とか本当に良かった。こんな親しみを持って接してくれるんだ~っていう(この活動のレポートはこちら

小山)石垣以外では何かあります?

大野)一番最初の忘年会かも、メンバー増えた直後の。プレゼント交換とかやってね。

神田)母校の公式試験対策プリント出したわ~!

これからの予定で楽しみな事

大野)これからやる予定で楽しみなのはある?

小山)コロナとかの状況見つつですけど、新メンバー含めて軽い遠足とかっすかね!

神田)川越とかいいよね!

小山)あとは、地方行脚とかもやってみたいっす。例えば大阪、京都、兵庫の学校めぐってイベントやる、みたいな。

大野)あと、単純にまた4月にメンバー増えるのはとにかく楽しみ!

小山)そうですね、別に真面目な活動に興味なくてもいいので、どんどん入ってきてほしい。

神田)そうだよね、うちは何もしない人をキックしない、全然かまわないよ~っていう環境が特徴なので。

大野)気が向いたときだけきてくれればいい。Slackに現れて過去問もらうだけとかそういう関わり方でも全然。


UTFRの呼び名の話

神田)また話がちょっと最初のころに戻るわけですが、「Fラン」とか「非進学校」とか「東大非進学校」とか、我々の出身母体に関しての名称って、幾度となく議論されてきたわけじゃないですか。これについてはどう思います?

小山)「Fラン」がダメなのはさすがにわかるよね。

神田)「非進学校」と定義してしまうことの問題もあるよねやっぱり。母校の気持ちとか、そこにいる生徒のこととかも考えていくと。

小山)東大に入学するに際しての非進学校という伝わり方をして欲しいんですよね。そういう文脈で我々は使っているというか。切り取られ方の問題ですね。

神田)今回の記事で取り上げるか、そもそもずっと迷っているんだけど、やっぱりFラン交流会だったころの時期をそもそも公式で出すかどうかって凄い難しいなと思っていて。

小山)そこから方針に沿って名前が変遷してきたストーリーまで伝われば、それが一番誠実なんじゃないかと思いますけどね。

神田)そうだよね。自虐性も込めて、メインストリームに反抗する気持ちで言っていた想いもあると思うので、その想いに関しては、ずっと持ち続けたいとはおもっているんだよね。だからこそ、略称のUTFRだけは変えず、各文字の意味だけを変えてきたのだし。

大野)我々の団体は、やっぱり出自が非進学校などであることも大きく関わっていると思うから、そこを無くしてしまうとどうしようもないなとは思う。

小山)少なくとも内部的にはそこは遺していくべきだと思います。

神田)メインストリームに対するアンチってのがやっぱ源流だったからね。

大野)そういう意味で、そこに迎合したら解散だよね。

小山)民主的であることは、Fラン性と反しますからね。

神田)だから、時代の潮流に流され続けるのではなく、その時々の意思決定者が、信念に沿った名前をつけていってほしいねこの団体には。だからこそ、我々の代の遺産としてこのnoteは遺していきたいね。その時々で変わっていくかもしれない。

アフターストーリー:「Fラン」の話出してもいい?

神田)よっしゃみんなお疲れ様~!あのさ、今回の記事、Fランの話出してもいい?

大野)いいと思う

小山)隠したくはないっすよね

神田)俺もそう思う。目を背けるべきじゃないとやっぱり思うし、後々この団体が大きくなった時に、Fランって名乗ってたって言われるのも大変だと思うし。

小山)やっぱ団体内で、新メンバーとかが、Fランだったってことを知らないっていうのはなんか嫌っすね。

神田)追体験して欲しい葛藤の歴史だよね。そしてまたその結果、もしかしたらFラン交流会に戻るのかもしれないし。色々遺していければいいなと思います。

(2021年2月25日深夜 Zoomにて)



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