見出し画像

楽譜をえがく、ファンタジー

 utena music field の楽譜がお嫁にいきました

少し前のこと、うちの自作しているテキストに興味をもっていただいた音楽教室の先生のところへ、うちの「おとえほん」と「うたとピアノの本」がお嫁にいきました。送るまえに、パシャリとしたのが上の写真。うちの生徒たちはみんなこの本から楽譜=音楽 とであっていきます。おとえほんは、チョコレートの箱サイズでてづくり。馬糞紙の表紙に、櫟井さんのイラスト。

子どもたちは描く、音楽を

おとえほん、もらった生徒はうれしくて、レッスンバックから取り出して腕に抱えて持ってくる子もいます。

そうやって音楽と楽譜と仲良くなっていった子たち。

そして、うちの生徒たちは、幼児期にあそびの延長でがくふを描く率が多分どこの教室より高いんじゃないかと思います。

私は一切、自分で書いてみたら?なんていわない。

おとえほんのなかに、ほんのすこし、やってみるページをいれてあるだけ。

それが、時間を経てこうなる。

みんなではしろう


画像1

おとえほんをここまで消化して自分ごとにしてくれていると、ほんと嬉しくなります。大人がここで正しいかどうかで判断する愚行を起こしてはいけません。内的な衝動から音楽を生み出そうとする、その子どもたちの心の動きが音楽をまなぶ原動力になるのだと、私は考えています。

テキストであり、絵本であり、ファンタジーのおとえほん

おとえほんは、テキストである前に、絵本です。

絵本ていうのは、子どものファンタジー力をうんと動かしていくものだと私はおもっています。

私が思っているファンタジー力とは、妄想や内部迷路になるのではなく、根底から自分で物事を生み出す力になってこそ、本物のファンタジーだと思っています。

あ、話は少しそれるけれども、そういえば、ファンタジーについていままで書いたことがなかったかも。ミヒャエル・エンデの「モモ」は言うまでもなく、ジョージ・マクドナルドの「金の鍵」「リリス」やアルジャナン・ブラックウッドの「ジンボー」や梨木香歩の「裏庭」ブラッドベリの「火星年代記 」ガルシア・マルケスの「百年の孤独」・・・・ファンタジーを舞台にした冒険話ではなく、本当のファンタジーのこと。おとえほんをつくるときにあそこを通ってきた息吹が吹き込まれることを願っていました。

なにをつくったか、ではなく、このおとえほんで子どもとどこまで生き生きとその世界ではなしができるか、音楽をやり取りできるか。ひとりひとりに手作りして手渡すおとえほんは、レッスンのときが本番の冒険。



愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!