見出し画像

幸せだから歌うんじゃない

人は幸せだからうたうのではない。
うたうから幸せになるんだ。
(w.ジェームス)

意識のプロセスは多分、
時間的な経過とも
空間的な距離とも
似て非なるものなんだと思います。

でもたしかに、前と後、内側と外側、みたいなものがあって、
社会は意識の表層で動いているように見えます。

だけど、どうなんだろう。

私は、もう戦争なんかは起きないだろうと無邪気に思っていました。
人類は100年前、200年前よりはずっと
高い意識をもつことができているから、今、平和なんだと。
どこかで、そう思っていた・・・

何かが深まりながら、でも、かならず
奥底から噴いてくる、生きた闇のようなもの。
昨日今日、世の中がひっくり返ったわけでなくて、
昨日も、1年前も10年前も
じつはずっと、それは生きていて、
そしてこれからも決してなくならないものなんだと、
世界は社会を嘲笑うように開示してきます。

そう、じつは自分の身の回りを見ても、
いや、自分の心の中を覗くだけでも、
それは、いつでもそうだったのです。

それは一体どこにひそんでいたのでしょうか。

以前こんな記事を書きました。

いつか幸せになったら、世の中が豊かであれば自ずと音楽が豊かになるだろう。
と、
まだ、そんなことを考えていました。

でもここ数ヶ月の世界の変わりように、
自分が世界を裏返しに見てきたことにきがついたのです。

ふと、何かで目にしたこの言葉。

人は、幸せだからうたうのではない。
歌うからしあわせになるのだ。

誰の言葉だったかもわからずただ浮かんできたこの言葉
ネットで検索したりして
何度も反芻するうち、自分の意識の裏と表がひっくり返るような
感じがしました。

そう、確かにそうだ。

人は、幸せだからうたうのではない
うたうから幸せになるのです。

これはパラダイムシフト。
どっちが嘘でどっちが真実という話ではなく。
信じた時に光が差すような。

富みや自由な身体や心の豊かさの庇護のもとにあるうたではなく
うたを求める思いの既にそこにある豊かさが
人を本当に幸せに導く。
私は、そっちを信じてみようと思いました。

豊かさは既に保証されている。
あとは、うたうだけ。
手に何もなくても。
闇をも携えて。

ウィリアム・ジェームス

1842年生まれ アメリカの哲学者、心理学の父
日本の哲学者、西田幾多郎の「純粋経験論」に示唆を与えるなど、日本の近代哲学の発展にも少なからぬ影響を及ぼした。夏目漱石も、影響を受けていることが知られている。

wikipediaより

(・・ただ、私はw.ジェームスについてはあまり多くは知りません。記事はこの言葉からの気づきによって、個人的体験として、書いています。借りて読んでみよう・・・)






愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!