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時間

時間のある瞬間を狙い打ちできるようになると、
演奏はずいぶんと変わってきます。
リズムに乗って演奏する、という場面から、
さらに奥の話になるのかもしれませんが・・

それは物理的な時間の流れとは別に、
意識の中にはたくさんの時間の流れが存在している、
ということの証明でも在るように思えます。

演奏というのはいかに
”一定方向にしか流れない物理的な時間軸”に
それ(たくさんの時間)を表出させられるか、
ということなのかもしれない。

もしかしたらスポーツなどでも、そういった場面があるのかもしれません。

音楽に限らず、時間というものは、一定方向に向かって均質に流れていきます。
だから時計が存在できるのだし、それゆえ待ち合わせもできる、
だれもがその時間軸を共有して生きています。

音楽にも時間の流れが一定であることを前提とした
”楽譜”というものがあって
左端のト音記号をから右に向かって書かれています。
それに従う演奏なのだから、物理的には決して時間をさかのぼったりはできません、物理的には。

講座に参加されていたあるかたの弁に私も面白いなーと思ったことがあります。

その方によると、音楽の流れというのを意識したことがなかったけれど、この講座に来て、自分には「音楽は左から右へ流れてる」というイメージが、強固にあるということに気がついた、と言うのです。

それで、これは固定概念なのかなあ、と自問しておられました。

そうやって問い始めるときが私は好きだなあと思いますが、結論はその人に委ねておきたいところ。ただ、それが間違いではないということは確かだと思います。

でも一方で、音楽のなかの時間というのは、この世界にあって、とても独特な動きをするものかもしれません。

「音楽を描く」講座のツールとして欠かせないのが、音楽をドローイングで捉えていく方法です。
それを使って、そこにある時間の濃淡や陰影、密度のクラデーションがかなり具体的に見えてきます。(ということは聞こえてきます。)
楽譜にかかれている通り、時間軸は一定でありながら、です。


それをみていると、音楽を作り出した人間の時間感覚は、
物理的な一定の時間軸だけの中に在るのではなくて
感じとったり、うみだすことができる時間があって
それによって、
時間はもっと複雑で重層的でナマモノで
単純に一定方向に進んでいるわけではないということを肌で感じます。


音楽はじつは物理的音になる前にすでに生まれていて、
しかも様々な時間をもっている。

また、音がなったあとの響きというものだって一つの時間にとどまっているわけではないですよね。過去から響いてくる、そう考えるととても不思議な気がします。

最初に書いた音の狙い撃ちは、
人の感覚のなかで多相に織り上げられ未来へ向かっていく時間を横切って、
まだなっていない目的の音を目指して飛び込むような
そんな体験として、捉えることもできると思います。

・・・・ところで
時間を感じる感覚器官というのはどこにあるんだろう、とよく思います。

それがあるから人間は音楽を産める。
私達は時間をも生みながら生きているのかも。

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音楽前夜(谷中みか)
愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!

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