ライアー

ムシカ・フマーナ

この2ヶ月は、父の看病にのめり込んでいました。

父と私の間をつなぐものは、音楽でした。父は、もともと音楽に馴染んだ人ではありませんでしたが、閉ざされた感覚と痛みと飢えと強度のストレスの中、かろうじて音楽がコミュニケーションのツールになったのです。それは、お互いに不器用なものでしたが、ムシカ・インストゥルメンタリス(楽器の音楽)だけではなく、それを超えて、ムシカ・フマーナ(身体の音楽)そしてもしかしたらかすかに、ムシカ・ムーンダーナ(宇宙の音楽)の端尾にも触れたかもしれないと思うのです。情動ではなく、調和の音楽。獣にならず、人であり続けるための。

私は日常と音楽が浸透しあっていくのを夢見ていた、こんな形で開示されるとは。同心円に広がっていく、音。

父だけではなく、家族や病院のスタッフの方々、私の教室の保護者の皆さんとの関わりのなかで、触れるものの音。それは物理的な音ではないのですが。

その中心にあったのは、やはり父でした。
あのとき父の棲んでいた時空のなかで、それは、私から父へのギフトだったと同時に、父から私へのギフトでした。

それはわたしを支えてきてくれた音楽が西洋音楽というフレームを持っていたからこそ、その中で育てられていたのだと思います。
キリスト教圏の中で生まれ育った西洋音楽はじつは様々な源流をもち、それが人の体験を経ながら、複雑に編み上げられたもので、いろんな相(フェーズ)を持っています。人という存在もまた一人の中で様々な相を織りなしていて、それは個的なものもあれば、普遍的なものも持ち合わせていていて、響き合ったり、響きを失ったり、閉ざされていたり、途切れていたり、でも、それらは、混在しながら、時間の中を動的に生きています。

その人の中で鳴る、小さなトライアングルの音や、大太鼓のおと、リード楽器の奏でるメロディと、弦楽器やピアノのハーモニー。リズム。人は音楽で溢れかえっている。それがふとしたときに、自分の中でリン!となったものの反復を、誰かの中に聞くこともあるし、その逆もあったりします。人と人とが重なり合ってアンサンブルになる。それが本当にシンプルな社会の元素。

唐突に父に教えられたのは、父をはじめどんなひとも音楽を内在していて、それは外からの呼応に答えうるものなんだということ、そのために人は音楽を必要としている、ということ。人生の最後に近づくにつれ、様々なものを失っていく中で、なおその人が輝くものをおいかけられるもの。自我を応援し、支えて、導くもの。

自分の響きに導かれるなら、他者の響きにも触れられる。
二項対立ではなく、理解、の社会、です。

おおくの「社会」と呼ばれるものの中で見失っているものは、おのおのの感覚の中で眠っているだけで、まだこれから目覚めを待っているのに違いない。互いが丁寧にその響きを聞きあうことができる、きっとそんな時代は来る。

眠れない父に、と、借りてきた友人のライヤーを奏で疲れ、明け方につけたネットラジオから流れてきた、バッハのマタイ受難曲、父の寝息とともにきくとはなしに聞いているうちに涙が流れてきました。その時はそれがなんの涙だったか自分にもわからなかったけれど、音楽が人を高みにも導き、また、人の低く暗い場所にまで光を届けてくれることへの感謝、だったかもしれない、と、今は思います。


*〈ムシカ・インストゥメンタエリス〉   〈  ムシカ・フマーナ 〉〈  ムシカ・ムーンダーナ 〉は古代ローマ末期の音楽家ボエティウスが「音楽教程」という本のなかでギリシャの音楽論として紹介したもの。その後もヨーロッパの音楽論のなかで度々かたられます。自由七大学において、音楽は重要な学問であり、調和を導くものとして、数学にちかいものだったそうです。




愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!