見出し画像

久しぶりの友人とウクライナと

生徒保護者さんに連絡しようと、ラインのトーク欄を開けたのだけれども、グループラインが見つかりません。あまりにわかりにくいサムネイルだったから、あれつけかえないと、そのたんびに探す羽目になってるな。
仕事の連絡先も多いので、子どもの顔や猫や謎な顔の丸が縦にずらっとならんでいるのをすいーっと下までスクロール。普段降りていかない一番下に、金魚。mさんのマーク。もう一年以上も連絡をとってないな。

mさんにはずっと連絡して伝えたいことがあったのだけれども、つい時間に押されて後回し。
でも、今日はなぜだかよどみなく指が動いて、電話ではなしませんか?と書いて送ってました。

すぐに返事が来て、最初に伝えたいことをつたえたらあとは、いつもの調子。
「きょうは、そうとうにひさしぶりにsさんにも会ったのよ、きょうはどういう日?」とmさん。
yさんやtさんにも最近あった、と言う話も伺って、ああ、読書会のメンバーだ。懐かしい。

mさんが無償でされているお仕事の話をききながら、そういえば、あのメンバーはみんな、他者への意識がちゃんとはたらく人たちで、それは自然暮らしの中にも浸透していて、その中にあって私は、ちょっとこの世から浮いてて、他者が目に入らないばかりか浮世離れしたようなことしかやっぱり考えてなかったことをおもいだしました。そのころはその違いを気にもとめていなかったけれど、今も変わらない様子を聞くと、私ってなんにも誰かのために動いてない気がして、ちょっと、変わらなさすぎて、残念な自分と思ったり。

・・・でも、あなたの言った言葉はずっとのこっていて何か折に触れた時にふっとおもいだす、深いところにあるから、日常的ではないけれど・・・と彼女。
ひろってやってもらってありがたい。
まあ、これを突き抜けることでしか人様のお役に立てないのだからと開き直っているのが今の私だけれども。

今、思い返してみて彼女らのいるあの昔の風景は、どこか故郷を思い出すのに似ています。みんなそれぞれにちゃんとそのひとのままそこにいて、それがmさんのお話で確認できてよかった。

・・・それにしても、なぜきょう、
たになかとSさん、ふたりとつながってどういう日なんやろう?・・・

そうはなしながら、お互いなんとなくわかっていた気がします。
だれが、私たちを再びむすんだのか。
それは内的な無意識な自分達でありながら、人智を超えたところのものでもあって。
私たちはもう一度、なにか大切なことを思い出さなければならない。

ウクライナを取り囲んでいる戦車。
生活の場をいきなり奪われる人たち。
これが今リアルタイムでおこっているなんて。

このまま続くと思っていた日常が
なにによってうばわれていくのか。
私たちはなにをもってしてなにをまもるのか。
そのみなもとをよくみなければ。

ニュースでは
STOP WAR
のプラカードを掲げた世界の人たちが映し出されていました。
日本にいるウクライナの方が「どうかウクライナを見捨てないで」と
声を詰まらせて訴えていた映像が胸にせまります。
隣人として、ただ祈ることしかできないけれども、祈ります。
今まさに渦中にある人たちが生き延びられることと、
ともにこの地上で人々が自分のために生きられる世界を。




愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!